臼井靈氣がみせる光の道

龍神靈氣読本は毎週一回更新されます。
関東では桜開花のニュースが入ってきましたね。
しかし、今日は寒い……今週末プライベートで関東入りの予定です。
えみこが行くまで桜が待ってくれていることにしよう。

靈氣と出会って20年が過ぎました。
術者となり、指導者となって関東で暮らし。
ある疑問から靈氣研究をはじめて、師に咎められ。
破門され勝手に引退されたことにされて公表されました。
ああ、死んだことにされるってこういうことか、そう痛感したのはいまから12年前のこと。
だからこそ、「研究」ということにある意味こだわりがあるのかもしれない。
「その真実がなんであるか」を知りたいし、「ああ聞いたが、あれは事実なのか」を検証したくなる。
第五世代靈氣と言われた自らの臼井靈氣のルーツを研究しようとして起きた「生きながら殺される」行為。
でもそんなことは、研究者の間ではよくあることかもしれません。

いま、世で言われている臼井靈氣の歴史にわたし個人はすべてイエスとは到底言えず。
だからこそその事実が知りたい。
脳科学領域では「大脳に訊く」という解釈がありますが。
同じように臼井靈氣に関しては「いいよ、靈氣に聞くから」と思っている節があります。
エネルギーは言語を持たないから話さない、しかし、だからこそ感じさせることはしてくれる。
故人の通訳 通詞人は自分が会いたい故人と自由に会えないハンデを背負っています。
しかし例外があり。

向こうが会いに来る分には、話はできる。

臼井甕男氏はもう他界されていますが、その御霊から学ぶチャンスがないわけじゃない。
望めよさらば与えられん、その言葉を体現して死んでいきたい。
怒涛の破門から12年、一見靈氣と関係ない人間研究に時を費やしているように見える時間でした。
でもそれは「日本人」と言われるものを研究する時間だったような。
あの戦争が奪い去り、消し去った臼井靈氣の根幹。
それを受け継げぎ、次世代に繋げていくのはやはり日本人であるべき気がする。

わたしは、日本人として生き、日本人として死にたい。
それだけは、強く決意しているのです。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。