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商いは忍なり、信なり、飽きないなり。

2019年12月から、定休日を設けずに整体院のご予約をお受けし続けています。毎朝いつもの準備をこなしていると、「またコレやってる…」「タイムリープしてるのかよ!」「このサイクル、いつまで続くん?」といったネガティブな気分になってしまう日があります。

自らを鼓舞するためなのか、「商いは忍なり、信なり、飽きないなり。」なんて戒めが浮かんでくると、「疲れているサインなのかな?」と気付いたり。

「商いは飽きない。」は藤本義一さんによると、18世紀の古文書に既に登場している語呂合わせとのこと。 [1]
「信」はおそらくは言わずもがな。「忍」とは、理不尽な事象にも、ただ耐え忍んでがまんすればいいのでしょうか? [2]

それとも、ひたすら目立たないように努め続けることなのでしょうか? [3]

「忍」といえば私は、京都カフェ オパールの小川顕太郎さんによる、以下のお話を定期的に思い浮かべます。

“京都で昔から客商売をやっているお店には、よく「堪忍」という字が店内に書いてあるのだという。これはどういう意味かというと、無茶なお客さんが来た時に「グッと我慢(堪忍)」して笑顔で対応する、という意味ではなく、「堪忍やけど(悪いけど)、おたくとは商売できまへんわ」という意味なのだそうだ!うーん、さすが京都。

 しかし、私は京都に来た当初、すでに同様の教えを受けていたのであった。それは、まだ喫茶店「パチャママ」をやっていた頃のオオヤさんからで、オオヤさんは概略次のように語った。こんな商売やってると、イヤーな客が来る時があるけれど、そういう連中にはまともに対応する必要はない。コーヒー一杯350 円(だったかな?)を注文したくらいで勘違いするなと言いたい。お茶一杯で無茶を言いたいのなら祇園に行け。そこでお茶一杯に何万円も払ったら、それなりに無茶もきいてくれる。場所柄をわきまえなさい。

 私はこの教えを聞いた時に、なーるほどこれは正に商売の真理であろうと感心したのだが、実はこれは昔からある京都での商売の教えに則ったものだったのだ。消費者=お客様を甘やかしてばかりいると、結局商売も腐っていく。店側がお客さんを育て、あるいは育てられ、お互いに高めあっていくのが理想の商売だろうが、今はそのような商売はなかなか望めない。とにかくお客さんを甘やかせ、痴呆化して、少しでもお金を吸い取ろうとする。お客の側も、コンビニエンスな満足を求める。かくして商売は腐っていく。これぞ資本主義の退廃だ・・・・などと書けば、オヤジの愚痴みたいですね。ははは。
 あー、堪忍、堪忍。” [4]

小川さんは焙煎家オオヤミノルさんのこの教えが、「脱サラしてカフェを始めたものの、難し目のお客さんへの対応に困惑し凹んでいた当時の私を支えてくれた」とおっしゃっています。 [5]

書籍などで語られがちな美辞麗句をしばしば受け入れ難く感じる私は、そんな小川さんのこのお話に定期的に救われている次第です。

参考文献:
[1] 藤本義一『現代版商人道』(1993年)『よみがえる商人道』(1998年)
[2] 横山光輝『三国志 30 周瑜と竜鳳』(潮出版社) 希望コミックス
[3] トマス・J・スタンリー&ウィリアム・D・ダンコ『となりの億万長者〔新版〕 ― 成功を生む7つの法則
[4] https://twitter.com/ogasawaramakoto/status/1703336504028967196
[5] https://twitter.com/mototenshu69/status/1703375587870744999

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