お帰り寅さん②「男はつらいよ」シリーズへの誤っていた記憶

今回「お帰り寅さん」で寅さんに久々に再会して初めて、長い間(昭和の終わりから平成全部)「男はつらいよ」シリーズについて自分が誤解をしていたことに気がついた。

「旅に出ていた寅さんが偶然出会ったマドンナを好きになって、片思いをするけど結局フラれて再び旅に出るシリーズ」という思い込みがあった。あれほど盆暮れ正月にかかわって、どの作品も少なくとも切れ切れには見て、大笑いしたりしんみりしたりしていたのに、大きな勘違いをしていた。

マドンナはみんな、寅さんをフッたわけではなかった。それどころか、どのマドンナも寅さんに好意を持ち、寅さんのやさしさに救われていたのだった。寅さんが勝手に片思いをして相手にしてもらえないで終わるパターン、と記憶していたのだが、マドンナは恋愛感情はともあれ寅さんを好きになり、寅さんと出会ったことで人生を良い方向に変えることができていたのだ。寅さんの存在は、マドンナにとっていつまでも大切なあたたかい思い出になっていたに違いない。その寅さんの偉大さを、十代二十代の私はわかっていなかった。

「お帰り寅さん」で映し出された第25作「ハイビスカスの花」の南国らしい色合いのポスターは、売店の売り子をしていた高2の夏休みの自由な気分と、ポップコーンや森永ハイソフトを並べたり毎日残りを数えて売り上げを計算した、劇場の匂いと一緒に覚えている。休憩時間にところどころ見ていた作品のはずだ。でも、そのころは寅さんとリリーのおじさんおばさんのラブストーリーよりも、たのきんトリオを追いかけたりビリージョエルで洋楽をかじったりするほうがはるかに重要で、寅さんの優先度はかなり低かった。

子どもの頃や思春期に読んだ本を再度読んだときに、大人になったからこその別の面白さを感じるように、映画の場面も大人になってみると以前とは全く別の形で感情を動かされることがある。時を経て生き残った名作というのはありがたいもので、再会するたびに自分の過ごしてきた時と照らし合わせるように新しい発見がある。今回は、発見どころではなく間違って記憶していたことに気づかされた。この映画が製作されなければ、一生思い込みを修正できなかっただろう。

「お帰り寅さん」のエンディングで、昭和の終わりごろに同じ映画館でアルバイトをしていた元もぎり学生3名は、自分たちも驚くほどそろって号泣した。以前から寅さん興行のときのお客の様子とか、こんなことがあったよね、という思い出話はよく出ていたけれど、男はつらいよシリーズの内容についてこんなに話したことは初めて、というほど映画の後のご飯では話しまくった。若かった自分たちがどんなにその良さを軽視していたかという反省会のようでもあり、令和の新しい寅さん映画がなぜこんなに胸を打ったか、という発見を競う自慢大会のようでもあった。



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