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私たちは、いらないのか

 某日、初回の店に行く。

 遊び仲間と歌舞伎町で飯を食ったあと、当然「では、キャバでも」ということなった。その友人とは、お互い指名がいる店が歌舞伎町にあるが、気が乗らず、「それならば」ということで、初回の店に行くことにした。案内所を廻るが、ピンとくる店がない。まぁ、初回料金では入れる店が少ないという二人の状況もあるが(なんの状況だ。アホみたいにいろんなとこへ行ってるせいではないか)。そこでマンゾク のスタッフにお勧めを聞き、そこに行くこととする。場内無料券+ジンロハーフボトルサービスで5kという料金である。
 その某店は、新規オープンしたばかりで、場所も花道通りから離れた、元々キャバクラではない箱での営業である(キャバクラとしては歴史も長い有名店Dのそば)。1階にあり、キャバクラとは思えないドアを開けると、できたばかりということもあり内装もきれいだ。しかし、テーブルに案内され見回すと景色(景色とは仲間内でキャストのレベルを指す隠語だ)が悪い。先行のキャストが「うちの店は●時まで営業(つまりかなりおそくまでというか、早くまで、ということ)なので、10時、11時からも出勤してくるよ」という。インタイムは10時過ぎなので、多少期待する。しかし、二人客である我々に対して、20分刻みで「2人・2人・1人」という形でキャストが付けられる。つまり、最後の20分はマイナスである。最後のキャストも「勝負」とは言い難い付け回しだ。回りを見ると、ピン客の数人がノーラッキーで放置プレイ中。トイレに行ったとき、トイレの奥が待機場になっていたのを確認できたが、そこには、数人のキャストがたまっていた。それなのに、この状況である。
 客筋も「早い時間はサラリーマンで、遅い時間はいろいろな人(キャスト談)」ということで、普通にスーツ姿(平日だった)の我々が、特に甘く見られた訳ではないと思う。「自動延長です」ということだったので、1セットでチェックを頼む。引き留め営業もされなかった。
 外に出て、二人の口からでた言葉は、当然「次はないな」。
 初回料金とは、どういう意味合いで行っている行為なのだろう。普通に考えれば「初回はサービスしますので、気に入った子を探してください。」というものか、「初回はサービスします。今日は好みの子に会えないかもしれませんが、店を気に入って頂ければ」というものだと思う。しかし、この某店、そのどちらのプレゼンも私たちに行っていない。
 そうすると思い当たるのは「初回料金でもとりあえず客を入れて、その日の売り上げを確保しよう」というものである。
 「初回料金で来るような客は、客にならない。」と思っているのか。確かに、今のキャバクラは金融達を含む太い仕事をしている人で成り立っている面もある。しかし、少し前キャバクラを支えていた「IT」の凋落をみてもわかるように、全面に出て目立って支えている客は、移り変わるのである。その点、太くはないが、月に2~3度は訪れるサラリーマンは、細かく拾うことで、下支えになるはずだ。そして、サラリーマンというのは、決していなくならない人種だ。
 某人気店も「あそこは、フリーで入って、ラッキーに期待するな」と私の回りの人たちが言う店で、現に、フリーで入っていいことはない。抜きものでもオーダーすれば、別だろうが、サラリーマンのフリー入店での遊び方ではない。
 歌舞伎町は、次々と新規店ができては、消えていく。そんな厳しいところでリピーターを生む可能性を持つ営業方法が初回料金だと思うが。
 身の丈に合った飲み方というものがある。クラブ(売掛制の本当のクラブ)で、サラリーマンが自腹で飲むことはできない。これは、店側の意思表示をサラリーマンも納得しているわけで、そこになんの問題もない。「時間制料金で、サラリーマンも自腹で安心して飲めます」というセールストークと共に生まれたキャバクラ。そこでは、サラリーマンも客として扱ってもらえると思って脚を運んでいる。もちろんサラリーマンにもいろいろあって、店に落とす金額の違いで、店側の対応も変わってくるのは当たり前だ。また、キャバクラと言ってもいろいろなランク(=セット料金の違い)がある。しかし、それもこれも身の丈に合った飲み方ということで、納得している。ところが、最近のキャバクラは、サラリーマン自体を軽視しているような気がする。

 キャバクラという業態は、大きく変わろうとしているのだろうか。

※2006年2月記述

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