見出し画像

祖父の形見のペンダント騒動。


良い帰省やったなあ…
という
前回。


鯖江から帰った次の日
仕事に行った。


仕事終わり
20時過ぎ。

スマホを見ると
姉からラインが。


「あんた!!

 お母さん
 あのペンダント

 めちゃめちゃ
 大事にしてたんやと!!

 ひっどいもんに怒ってるざ!
 ほんで
 電話にも出んて!

 仕事やったんやろ?

 すぐに電話しね!」




あのペンダントとは…


さかのぼること2日前。

兄、姉と
お祭りに繰り出し

父とも
うまい酒を酌み交わした夜。


父も先に眠り

兄弟で

ものがあふれすぎている
この家
どうするんかのお

的な話題になった。


そうなのだ。


あるあるやと思うが

実家。
両親だけで暮らすこの家。

なまじっか
広い田舎の戸建てには

収納スペースもたっぷりある。

納戸や押入れ。
ぎっちぎちに
つこてない
引き出物のタオルやら毛布やら
食器セットやら

すきまなく入っている。

プラス
使ってない部屋それぞれ。
何かしらの
私らから見たら
どうみても
「いらないもの」が
しまいこまれている。


その
「モノ」の量たるや

凄まじいものなのだ。


私かて
断捨離くじけラー。

ウチかて
いらんもんに溢れてる。

けどさ…


実家は
年季が違いますわな!


座敷の大きな机には

お中元やら?でもろた
とにかく
山のようなお菓子やら
食料品。


一足早く
実家に帰ってた兄。

「この食べもんとかの
 もう
 好きなだーけ 
 持って帰りねと」


とはいえ
私も姉も
電車で帰省しており

荷物はなるべく
少なく軽くしたい。


箱から出してもいない
お菓子類をあけ

賞味期限がギリ!
てのだけ
もろて帰ることにする。



続いて兄。


「ここも見てみね〜?」


実家に
高校まで住んでいたが

その時ですら
開けてみたことない


座敷の凝った彫刻の入った
戸棚を
ガラリと開けた。


そこには

何やら
沢山の
桐でできた小箱がぎっしり。




私の祖父は
小さいながら
会社をおこした。


その会社の
創立〇〇周年記念


と書かれた
小箱が
どっさり出てきた。


もちろん
一度開封済み。


開けてみると


金ピカの朱肉入れとか
金の杯とか
おちょこセットとか


いかーにもなやつ。


全て
文鎮にできそうな
重さだ。


金がベラボーに上がっているから

さぞや
価値があるのでは…

と思いきや

姉いわく
全てメッキやと…😂😂


「あんた
 これ
 持って帰りね?」

「いやーわ
 こんな重いの〜」


お中元のお菓子を
もろて帰るノリで


次々と箱を開ける。


すると。


薄めの箱
そちらも
創立45周年やったかな

記念品。


パカリとあけると

直径3センチくらいの
薄ーい
丸いペンダント。


黒い光る素材の上に
細かい
金で書かれた文字がびっしり。


よく見ると

般若心経ではないか。




私は一時

空海さんにはまり
空海さんがらみの本
読みまくった。

高野山にも行った。

般若心経
毎日
唱えてる。


「このペンダントは
 御守りにいいかもの」

というと

兄。


「あらー
 いいげのーー
 持って帰んね
 持って帰んねー」


このペンダントなら
つけて帰れる。



正直
祖父とは
一度も暮らしたこともなく

ほとんど
思い出もない。
(この話は 
 とてもややこしいのだ)


だが

まぎれもなく
おじいちゃんのものやし

そんなに言うなら
おじいちゃんの形見として
もらっておこう。


お兄ちゃんも
一つでも
ここの
モノを減らせて良かったのおと
満足げ。




というて
持って帰ったのが


冒頭の。


母親が
烈火のごとく怒った
ペンダントなのだ。


恐る恐る

母親に電話する。


母は
若い頃から
激情家であり

カーーーっとなると
世にも恐ろしい
鬼母になるのだ。



さすがに
母も歳をとり

そんな
激昂することは
もう 何十年も?
なかったが

久々だった。



かいつまんで説明すると

あの
見るからに

「いらんもん」として
引き出しの奥に
乱雑にしまわれてた

あの
般若心経のペンダント


母が
「父の形見」として

心より
大事にしてたものであり


それを
勝手に持って帰るなんて
どういうことや!!!


お兄ちゃんがまず

自分のものでもないのに
持って帰れというのもあかんけど

黙って持って帰る方も
持って帰る方や!


ということを
ヒステリックに
まくしたてたあと




『親のえんまに
 (いない間に)

 コソーーっと
 持って帰るなんて


 泥棒と一緒や!!」



コソー・・って・・


ど、泥棒て・・・


自分の娘を泥棒呼ばわり。


これには
身震いがするほど
腹が立った。


ここまで
読んでくださった方は
おわかりやと
思うが


本当ーーーーーーに

一ミリも
そんなつもりはない。


実家の
いわば
家じまいとして?

誰も使わず
こんなとこに
しまわれたっきりなら

私が
もろた方がええのかなくらいの気持ち。


兄も
同じだ。


だーれも悪気もない。



母に、

それ
めちゃくちゃ
大事にしてたんやで。
返しとっけ?


と言われれば


ごめーーーーーん!!!

そんな大事なもんやて
知らんかった
ごめんやで!!!



急いで
返すやん。


それで済むやん。


それを・・・・涙



母の怒号に
いたく傷つき

つい
私も声を荒らげ

母が
一方的に
電話を切るという

後味最悪な夜となった。


ああ
あんなに楽しかった帰省が

一転して
大惨事・・・涙





次の日
朝イチで
般若心経ペンダント


送ることにした。

1秒でも早く
送ってしまいたかった。



送る際に

お詫びの手紙を書いた。


書き始め

勝手に持って帰って
申し訳なかったことと共に

「泥棒と一緒や」の言葉に
どれほど傷ついたかだけは
書いてやろうと
思っていたが


書いてるうちに


もし
自分が逆の立場なら


自分の
父親の形見と思って
大事にしてたものを

勝手に持ち帰られたら

娘といえど

そりゃあ
悲しく辛いだろう。



大事なものとは知らずに

そして大事なものやなくても!

勝手に
持って帰るなんて
あってはならんことなのだ。



どこか
まだ
「小川家の娘」として

家のものは
自分のものみたいに
思ってもてた

クソ甘い
厚かましい
どこまでも子供な自分。

お恥ずかしいわ。


母の罵倒もひどいけど😂


冷静になれば
どう考えても 私が悪い。



てなことを
手紙にしたため


ペンダントを
丁寧に包み


貴重品扱いで送った。


次の日

無事届いたと
母から電話。


さすがに怒りの炎は
おさまり

疲れた様子だった。

そりゃそうだ。

ただでさえ
北海道強行墓参りで
へとへとやったとことろに

ペンダント騒ぎだ。


余計に
母が不憫になり


「お母さん
 本当ーーにごめんのーーーー」

素直に心から謝る。


力なく


「おとましいさけ
 言うんでないんやでの・・・」


おとましいとは
惜しいとかケチるとか言う意味かな?


それは重々わかってる。

母から
私と姉に
惜しみなく
自分の大事な宝石やら
たくさん
もろたばかり。

そんなんじゃないのだ。


母は
元気言うても
83歳。



おじいちゃんがくれたもの

母にとってのお父さんの形見。

人生のゴールへの
相棒として
大事に持っておきたいんやな

もっと言えば

当然あるだろう
人生最後への恐れのときも

あのペンダントに
「お父さん」に
縋りたい気持ちもあるのだろう。



うまく言えないけど
そう感じたら


母のあの執着。
その心情もよくわかり


と同時に

あの強くて怖い
パワフルな母の弱さ。
老い
を感じて


なんだか
途方もなく
切なくなったのだった。





しんみり??ですが

間違いなく
もうすぐ
これも
小川家の爆笑ネタに昇華するでしょう。


てかさぁ


お母さんも
そんな大事なもの
やったら

あんな
ぎゅーぎゅーなところに
しまわんといてぇぇ!!!😂


#実家
#帰省
#鯖江
#形見


サムネの写真は

そんな騒動が起こるとは
つゆ知らず


件のペンダントをつけて

福井のソウルフード

8番ラーメン食べてるところ。

8番ラーメン
8のかまぼこ イエーじゃねえわ!w w w w

般若心経のペンダントの写真は
これしかないので。。。



後日。
また
母から電話が来て


「お母さんが死んだら
 あのペンダント あげるでのぉ。

 お姉ちゃんの分と
(実は同じのが2個あったのだ)

 二つ
 今ピカピカに磨いてるでのぉ」


母にとっても
相当
コタエル出来事だったようで

かえすがえすも
申し訳ない・・・・・😢












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?