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夜のメトロ

夜のメトロに乗っていた。
午後9時くらい。半蔵門線で新宿から中野坂上に移動していた。

わりと空いていて、がらがらの優先座席の真ん中あたりに座ったら、対面の優先座席、その端にヨーロッパ人らしい男性が見えた。
鼻がにょんと高く、細く、浅い金髪でややはげかかっている。30代後半くらいだろうか。

お腹が減っていたのかな。いや、減っていたんだろう。
男性は突然、手元にパックを取り出した。惣菜が入っているような、蓋が透明で底は黒色の縦長パック。チンジャオロースーだった。

男性はそれを食べだした。
夜の半蔵門線、優先座席の端っこで。もちろんにおいは充満するんだけど、なんていうかその場のニュアンスのようなもので、「迷惑だなあ」よりも「なんだかおかしな外人さんだね」という、どこかほんわかしたムードがただよった。

ひと駅つくあいだに彼はすっかり食べ終えて、満足気に空の容器を手持ちの袋へ片付けた。
片付けて、手元を見てる。目をやると、どうやらチンジャオロースーを食べているあいだに手が"べちゃべちゃ"になったらしかった。

もう外国人だとかなんだとか関係なくただのそそっかしいやつなんだけど、彼は内ポケットやカバンをまさぐってティッシュ的ななにかを必死に探していた。首を捻っては、探す。また捻っては、探す。ようは、見当たらないのだ。

そのころにはもう、周辺の空気はほんわかムード一色だった。

そんな空気感に押されたのか、彼の横に座っていた眼鏡をかけた女性が、彼に一枚のウェットティッシュを渡した。
「いります?」風のジェスチャー付き。彼はすこしだけ大きなリアクションで「良いの?」と言わんばかりに目をまん丸くひらき「アリガトウ!」と一言、ティッシュを受け取った。

真夏の昼間に喫茶店へ入った中年サラリーマンのごとく、手という手、指の間までしっかり拭く男性。嬉しそうだ。
もう、横に座っていた彼女を含めみんな優しい空気に包まれていた。なんだか、得をしたような気すらした。

拭き終える彼。にこにこしたみんな。自分もそのひとりだった。
幸せな光景のなか、満足そうに彼は、吹き終わったウェットティッシュを思い切り床に捨てた。捨てて、再度、横の女性に「ホント二、アリガトウゴザイマス」と笑いかけていた。
まちがいなく日本に来たぶんで、まちがいなく根がいいやつだった。
誰にでも分かるその事実が、事態を余計に混乱させていた。

中野坂上に着いたあと、笑いがおさえられなかった。
おもしろみって、こういうことなんだなあと思った。