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繰り返すはなし

ルノアールにいた。平日の午後、新宿のルノアール。いくつかの仕事を終えて、タバコを吸いながら次の仕事のことを考えていた。

斜め後ろに、年配の男性がいた。3人組。

私服なので、もうお仕事を引退された方々だろう。野球の話しをしていた。

「ぼくは松井が好きでねえ…」
「最近、巨人が云々…」
「あの投手もなんだかんだ頑張ってるね…」

野球にあまり興味がない自分にとっては、耳に入ってくるわりにほとんど共感できないのでBGM程度にしか響いてこなかったのだけれど、ぼんやり聞いているとあることに気づいた。

Aさん「いや、結局ピークの時にメジャーに行くのがいいんですよ。ダルビッシュはそこがすごい」
Bさん「上原はいくつで行ったんでしたっけ?」
Cさん「結局、ピークは終わってからでしょ」
Bさん「ああ、そうかそうか…」
Aさん「だから、結局ピークの時にメジャーに行くのがいいんですよね。ダルビッシュはだからすごい」
Cさん「巨人も、補強してもすぐ抜けちゃうからねえ」
Bさん「いまは、ロッテとか勢いあるもんね」
Aさん「ピークの時にメジャーに行かなきゃだめですね。やっぱりダルビッシュはその点がいい」

繰り返してる。
Aさんが、文脈を無視して繰り返している。
文字にすると台本みたいだが、実際の会話ではごく自然に、でも恐ろしいほど繰り返してる。
そして、この現象はBさんにもCさんにも見られた。
いったいなぜ、彼らはおなじ話を繰り返すのか。

鮮やかに論証する技術はないので自分ごとに置き換えて考えてみると、はっきり言って10代や20代の知人に、こんな様子は見られない。

自分はいま30代だが、友人がこんなこと言ってたら、「うるさい」と指摘している。友人もあるいはわざと言っているのかもしれない。その質はともかく、ボケとツッコミ。
ちがう意味でボケている? そういうこともない。背筋はしゃんとしていて、身なりも整っていらっしゃる。繰り返すことを除けば会話もすごく論理的。むしろお年からすれば、元気なほうだろう。

なんでだろう。聞いていて、想い至った。
これは、感触のなさに起因しているんじゃないだろうか。

例えばこんな会話もしていた。

Bさん「あの投手はいま何勝していたっけね?」
Cさん「あれはね、たしか◯勝はしてるはずですね」
Aさん・Bさん「えー!そんなしてますか!」
Cさん「ええ、それくらいはしてるはずですね」

この後、Cさんが◯勝発言を繰り返すことはなかった。
これと似たパターンは、この後も見られた。
リアクションが大きいと、繰り返さない。

年配の方に限らず、年を経ると、あたり前だけど経験が増える。
それは極めて主観的だし限定されたものだけれど、
それらを使って生き抜いてきた自負と自信がある。
会話はいつからか、意見交換を超えて主張の場になる。
主張は認められて、始めて成立する。
リアクションがないからこそ、
主張を伝えようと同じ発言を繰り返すのかもしれないな、と思った。

そう考えると、自分だって同じことやってる気がする。
「これはいいこと言っただろー」と自信のある発言のあとに、
「うん、そうだね。あ、ちょっとトイレ行ってくるね」
なんてさくっと立ち上がられるとなんだか肩透かしを食らった気がして、
その後も言い方を変えたり事例を挙げたりして、なんとか伝えようとじたばたしたりするもんな。