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そんなタイミングよくいくかね、という話

そんなタイミングよくいくかね、と思うことがある。
最初に思ったのは、高校一年生の夏休み。
そうさんという友人に対してだった。

そうさんはどこか老犬のようなこもった声が特徴で、
どちらかと言えばやや気が弱く、
けれどみょうに主張の強い顔をしていた。
「カッチカチやぞ!」でお馴染みの、
お笑いコンビ・ザブングルの加藤さんに少し似ている。

その日、夏休みに入りたてだった僕らは、
連れだって最寄りの繁華街までバスで移動していた。

たいして用事もない。
いつもと同じ、ダルい午後。
ただ一つ、そうさんの左耳に光るピアスを除いては。

そうさんは、ちょうどその日、
僕の家でピアスを空けていた。
おもちゃみたいなピアッサーを手に
ぶるぶる震えながらタイミングを探し、
挙げ句の果てに「自分じゃできない」と懇願をしてまで、
苦心してピアスを空けていた。

ガシャッというピアッサーが閉じる瞬間こそ
文字通りカッチカチになったそうさんがいたが、
空いてしまえばこちらのもの。
仮ではあるがきらりと光るピアスは、
大人の階段を半歩くらい上ったような錯覚を
そうさんに与えていた。いま思えば、
そうさんは街でピアスを買いたかったのだろう。

そんな経緯があって、僕らはバスに乗っていた。
バスは少しだけ混んでいて、
僕らが座る後方右側の2人用シート以外の席も、
ちらほら埋まっている。
終点である地下鉄の駅で乗り換えれば、
目的の繁華街まではほんの10分ほどだ。

当時から、バスが好きだった。
ゆっくりと変わる車窓も、独特の大ぶりな揺れも、
なんとなく心地よい。
その日も「ああ、いいものだなあ」と思いながら、
窓の外を見ていた。

ふと見ると、横でそうさんがカッチカチになっている。
カッチカチで、足元をきょろきょろと探っているのだ。
「どうした?」聞くと、くぐもった声を震わしながら
「ピアスが落ちた」と慌てている。
どうやら留め具が緩かったようで、
揺れのはずみにピアスごと外れてしまったようだった。

「穴が、埋まる!」
そうさんが慌てている。無理もない。
無理もないけれど、どうしようもない。
座席のふちなどをさがしてみるけれど、やはりない。
小指の爪ほどもない小さなアクセサリーだ。
移動するバスの中で見つけるのは難しい。

「埋まる!」そうさんは慌てる。
「埋まるって!」必死の形相で探すが、やはり見つからない。
埋まっていく耳、進むバス。
やがて終点に着き、バスが鳴らす“プシュー”という
エアーの音とほぼ同時に、そうさんは「埋まったあ…」と呟いた。
そんなタイミングよくいくかね、と僕は思った。