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震災とB'z

なにを隠そう、最初に行ったライブはB'zだった。中学生のころ。

友だちがファンクラブ(B'z Partyだ)の会員だった。
「チケットとれたから、行こうよ」「うん!」。
音がおっきくて、ファンのあいだでは常識らしい振り付けがまったく踊れずもどかしい思いをしたけれど、ちゃんと楽しかった記憶がある。

ここ数年、きちんとB'zの曲を聴く機会がなかった。
誰かのカラオケで、とか。ラジオでたまたま、とか。
You Tubeに公式チャンネルがあったので、久しぶりに目にとまった曲をちゃん聴いてみた。「GO FOR IT, BABY -キオクの山脈- 」。

歌詞をざっくり言うと、
個人には過去にまつわる記憶が膨大にあって、それは山脈みたいにまわりを囲っている。素晴らしい記憶もあるし、怖い記憶もある。
でも、そのすべてがいまじゃない。キオクの山脈に囲まれて前に進めなくなっているなら、それを超えて未来へ進もう。
というものだろうと勝手に解釈した。良い歌詞だった。

思えば、B'zの歌詞はこういう「いまを楽しもうメッセージ」が多いような気がする。裸足の女神でも、辛いと言ってるならとりあえず踊ろうよ、と語っていた。別れた女性の想い出を語ったあとで、「色々あったけど、とにかく今ほしいのはディープ・キスなんだ」と具体的な方法まで指定している曲を知っている。

こういうのって、誰でも思い当たる。そういう意味で、占い的なのかもしれない。
「最近、よくないことがありましたね?」と「古い記憶にとらわれていませんか?」は、テクニックとして似ているし、共感性も高い。
ただ、占いは搾取するけど音楽は勇気づける。
だからB'zは支持されるのかもしれない。

ところで、歌詞を勝手に解釈してみたあとで、それまでのB'zの歌詞と比べてちょこっと違和感をかんじた。
歌詞中で語られる「とらわれている過去」の要素に、「楽しかった記憶」までもが多分に含まれている、ような気がした。

苦い思いでじゃないものまで乗り越えるの? 価値観が変わったのかな。
ファンの方に言わせれば、別に普通なことなのかな。
そんなことを考えていて思い至ったのは、被災のメタファーだった。
発売が震災翌年の2012年だったから、そう思ったのかもしれない。

震災後、CMや音楽・小説など、マスにメッセージを送るものの質が変わった。震災後のコミュニケーション・ワードのひとつは、きっと「癒し」だったろう。
例えば消臭元のCMはその代表だったと言われているし、個人的にはアニメーションを使ったCMにも似た要素を感じた。
とにかく、無視できなかったのは間違いない。

B'zの新曲は、ひょっとしたらその震災後の文脈のなかで、メジャーなメッセンジャーとしてはめずらしく、苦難に対して「攻めていく」ことを強く意識した内容なんじゃないだろうかと感じた。

「癒し」を経たあとにメッセージする内容として、「惜しまず捨て去る」というテーマを選んだのだとしたら、なんだか頼もしいし、気概のようなものすらかんじる。

しかし、これだけ無責任な自己解釈を長々と書いて、「いや、ぜんぜん違うよ。ふつうに恋愛の曲だよ。」なんて分かったら、それこそ自分のキオクの山脈みたいなものを超えられなくなりそうな気がする。