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Ogen/blik Vol.3 出品者インタビュー第一回: 大久保雅基(中編)

前編に引き続き、大久保さんのインタビュー中編です。
聞き手は引き続き、牛島です。

ー大久保さんが企画されているコンサート”絶頂”で初演された食物連鎖を テーマにした作品、『【衝撃】食物連鎖の生態系を作ってみたら…』ですが、(作品についての説明:https://motokiohkubo.net/projects/2018/theworldoffoodchains/
食物連鎖というテーマを選んだ理由などあれば、お聞きしてよろしいですか。

もうブームは去ってきましたが、2018年は人工知能が広く話題になる年だったと認識しています。人工知能と音楽の関わりも注目され、今までにない音楽が生まれると期待されていましたが、僕は創作的な作曲には応用しにくいと考えていました。人工知能は過去の産物からパターンを発見することが得意だと言われます。モーツァルトの楽譜データを読み込ませて、モーツァルト風の音楽を作曲することは得意ですが、これからの音楽を作るという行為は難しいと考えています。何故なら新しい音楽であるかどうかは結局人間が判断するものであり、その判断には過去の文脈からの接続が必要となります。人工知能が好き勝手に成長していって、ランダムパラメータと変わらないような音楽が作られたところで、人間はそれがこれからの音楽のフォーマットになると考えるのではなく、その人工知能が作った一つの作品としか考えられないと予想できるからです。


 人工知能を内包する「人工生命」という領域があります。人工生命の分野には、まるで生命のように自律的に振る舞うものを人工的に作る研究があります。それを音楽に応用し、例えば音楽的なパラメータを生命に与え自律的に状況を判断し音を鳴らすようにすれば、思いもよらぬ音楽が生まれ拡張されていく可能性があり、人工知能よりも創作的な作曲に向いているのではないかと想像しています。人工知能がもてはやされていた2018年に人工生命を扱った音楽作品を発表することに意義を感じ、この作品に取り入れました。「人工生命」は翻訳された言葉で英語では「Artificial Life」です。「Life」には日本語での「生命」以外にも「生態系」や「環境」の概念も含まれます。なので「人工生命」と言うと生き物を作ることが想像されやすいですが、その生態系を作ることも人工生命の分野に内包されます。

ー人工知能は人間中心の考え方になりがちであるけど、人工生命は人間中心ではなく、人間も一つの生態系の一部という思想であるとのことですね

 本作は人工生命と作曲を接続させるための習作でもありました。そのため食物連鎖の生態系のシミュレーションを素材として、どのような作品になりうるかという発想で作曲しました。食物連鎖の生態系を観察する意識と、現代社会における音楽の役割をかけ合わせ考慮した結果「現代社会の音楽とコンサート作品それぞれに求められる音楽聴取スタイルの相違を顕在化させる」というコンセプチュアルな作品になりました。

ー現代社会の音楽とコンサート作品にはどのような聴取の違いがあると考えていますか?

 現代の音楽は、10年前に比べ集中して聴かれることが少なくなっていると考えています。以前はレコードやCDを購入し、自宅の再生機でじっくり鑑賞することが音楽の楽しみ方だったと思いますが、現在はPCやスマホで手軽に聞く機会が多いと思います。PCではマルチウインドウで他の作業をしながら音楽を聴くことができるし、サブスクリプションの音楽配信サービスで好きそうな音楽を次々にプレイリストに加えるので、一つの音楽を集中して鑑賞することは減ってきたと思います。音楽を、他のことをするためのBGMとして扱う方が多いのではないかと想像しています。僕自身もそのような音楽の聞き方になっています。そのような聞き方をコンサートという場に持ってくることで、どのような効果が生まれるかを考えました。
 コンサートでの音楽の聴かれ方はそれとは真逆で、決められた時間に集められ席に固定されます。お菓子を食べたりスマホを弄ったり、他のことをするのは一般的に禁じられ、ステージで演奏される音楽に集中して聴かなければなりません。もちろんそれを楽しみに参加しているのですが。そんな場所に食物連鎖の生態系のような仕組みに集中してしまうような映像を持ってくることで、集中する対象が音楽だけでなく映像にも分散されます。コンサートで演奏される作品なのに、音楽への集中を削かせる作品の提示もできるのではないかと考えました。

ー現代の集中して聴かれることが少なくなっている状況を悲観的に捉えるのではなく、その状況を受け入れた上でコンサートという集中して音楽を聴く文化に敢えて持ち込んだわけですね。また、テーマとピッチ・音価の決定に関連はあるのか、弦楽器セクションの音部分の作り方について教えていただければと思います。

 弦楽四重奏の中央奥にスクリーンが立てられ、そこに映された映像内ではローポリゴンのCGが食物連鎖の生態系を作ります。画面の4隅には楽譜が表示され弦楽四重奏はそれを見て演奏します。もし音楽の構成や、音と映像の関係がよく練られていた場合はマルチメディア作品もしくは音楽作品として面白いものになってしまいます。作品として提示したいことは「BGM的音楽聴取スタイル」です。それを明確にするためには仕組みや関係を単純化させ退屈なものにする必要があると考えました。なので弦楽四重奏の奏法もピチカートのみ、ハ長調で演奏できるものにしています。各生物に各楽器が割り当てられ、それらの増減によって楽器ごとのテンポが変化します。音価はそのテンポ内で可能な限り長くなる伸ばすように指定しています。ある1つの生物は増減することで、他の生態系に大きく影響を及ぼすので、その生物の増減で世界が変わるとし、全体のピッチを変化させるようにしています。
 このようにして食物連鎖の生態系という仕組みの関心に意識を持っていかせ、本来は音楽のみに集中されるべき人間の演奏をBGM化させ違和感を作ることで「音に集中して聴く音楽ばかりが、コンサートでは求められる」という暗黙の前提を顕在化させようとしています。

ーこれは音楽がBGMになるとのことですが、個人的にはBGMには聴こえないというか、音も主体的であり続ける気がしました。

 「BGM化させる」というのは、音への集中を分散させることの例えです。音に関心がある人ほど集中の比率が音の方に高くなってしまうと思います。

ーそうですね。けれども作品として面白い。

 作家が明確なコンセプトを立てた上で作品を提示することは義務だと思いますが、鑑賞者がその通りに読み解く必要はないと考えています。むしろ鑑賞者に何かを考えさせたり思い出させたり感じさせたり、その動機を作ることが重要だと思っています。


(次回、大久保雅基インタビュー後編は5/13に公開!)



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