最初に飼った猫の話(1975年頃)
「猫が歩いた近現代」を読んでたら、小学生の頃飼っていた猫を思い出したのでその記憶を記す。
1975年頃。いつだったか忘れた。小学生。友人らと下校途中、段ボールで泣いている白黒の猫を見つけ、つい拾って帰る。
70年代のことゆえ、まず獣医に診せて健康診断とかワクチン注射という習慣はなく、そのまま家の猫に。
小さな平屋の借家であり、ペット可/不可という概念すらない時代でその辺はアバウトだった。
それがこの家。2010年頃、当時住んでいた家がかろうじて残っていたのだ。猫的にはよい環境だったんじゃないかと思う。
飼うといっても放し飼いが当たり前で、そもそもエアコンなどない時代の木造平屋建てなので、出入りは自由。寒いときは鳴き声がしたら玄関か窓から家にいれてやるという具合。猫はどこで寝てたのか、記憶がない。
ニャン吉と名づけられる。ど根性ガエルが流行っていたから。でも「ニャンキチ」は呼びづらく、普段は「ニャンキ」と略されてた。
トイレは玄関に木箱を置き、そこに適当な庭の砂。でも普段は庭か、近所の畑でしてたんじゃなかろうか。すぐ横に住んでいた大家さんは農地を持ってたし。
食事は……実は覚えてない。キャットフードはすでにあったようだが、その存在を知らなかったと思う。田舎はそんなもんだ。
たぶん人間のごはんの食べ残しかいわゆる「猫まんま」を食べてたと思う。
70年代の飼い猫なんてはそんなもんだった。
記憶にあるのはいくつかのエピソード。
1:木登り事件
高いところで鳴き声がすると思ったら、大家さんの柿の木に上って、そこで降りれなくなりにゃあにゃあ鳴いている。
上って下ろそうと思ったけど、途中までしかいけず、結局、近所のおじさんが上って下ろしてくれた。
高いところにはよく上っており、屋根に上ってる写真が残っている(うちの屋根ではない)。1975年か6年。お年玉で買ったコダックの110フィルムのカメラだったと思う。
2:床下行方不明事件
ある日、声はするのに姿が見えない。かなり必死で鳴いてる。
声を頼りに探し回ったら、隣の家の床下に閉じこめられてたのである。床下の通風口からかろうじて白い姿が見える。
隣家が引っ越した直後で(同じデザインの借家が5つ固まっており、そのうちのひとつ)、その日の昼間、畳をすべて上げて掃除してたのである。
その畳が上がってるとき、床下に入ってしまい、誰もそれに気づかないまま畳を戻してしまったのだ。
そのときも近所の人が畳を上げて救出してくれた。
3:猫を怪我させた事件
当時「いなかっぺ大将」が流行ってて、いなかっぺ大将と言えば「きゃっと空中三回転」である。猫は高いところから飛び降りても上手に着地するということだけ知ってて、ニャン吉と遊んでるとき、庭から家の中にぽんと投げてみたのである。
うまく着地したように見えたけど、しばらくびっこ引いてた。悪いことをした。
4:置き去り事件
日曜日のこと。母親が車で30分くらいのところに届け物があるという。車で出かけるとなるとくっついていきたくなるのが小学生というもので、両親と妹と(たぶん)一緒に車に乗ると、ニャン吉もするすると一緒に乗ってきた。写真は当時の車。なんだろ。カローラ?
でもまあ、母親が届け物をするだけなので、現地へ行っても車の中で留守番。
そして帰宅すると、ニャン吉がいない。どうやら、ドアが開いたときに外に出ちゃい、誰もそれに気づかなかったようである。
探しに行こうと喚いたんだけど(たぶん、そんな記憶)、もう日は暮れており、父親は今日はもう無理だから来週探しに行こうという。
当時はそんな扱いだったのだ。
そして翌週、車で同じ場所に向かい、そのとき車を止めた場所に同じように駐車すると、道路脇の塀の上にニャン吉がいたのである。そこで待ってたのだ。
ドアを開けると塀から飛び降りてそそくさと乗り込んできた。
嬉しかったのですごく記憶に残ってる。何を食べていたのかどこで寝ていたのかさっぱりわからないけれども(田舎なので身を潜めるところはいくらでもあったろう)、太もものあたりに怪我をしており、近くの猫と喧嘩したのかもしれない。
毎日同じ場所で待っていたのだろうなと思うと心が痛んだ小学生なのだった。
5:そして行方不明に
実のところ、ニャン吉を飼っていたのは2年くらいだったと思う。あるとき、家に帰ってこなくなり、探し回ったのだけど、見つからず、猫はひっそりと死ぬと聞いていたのでどこかに身を隠したのだろうという話になったのだけど、どう考えてもそんな年寄りじゃないわけで、事故にあったのかもしれないし、連れ去られたのかもしれない。もしかしたら両親は何か知ってたのかもしれない。
ただ、気がついたらいなくなってたのである。
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