「苦手」があるから、上手になれる。
今まで私は「嫌いなこと・苦手なこと」があるのはあまりよくないことで、できるだけ努力をして克服しなければ!という考えをもっていました。
近頃、難しい作業をすることが続いて、自分の苦手なことがどんどんでてきて、それらを「片っ端から克服していこう!」として体調を崩していました。そこでふと思ったことがあります。
「嫌いなこと、苦手なことってそんな悪いことなんだっけ?」
今日は苦手というテーマで書いていこうと思います。
苦手なことは必ず克服…する?
私は、意見をぶつけあうことが苦手です。
「意見のぶつかり合いがなければ、成長しません」という話はよく聞くし、こういった「苦手なこと」って、なんとしても直していかないと!と感じてしまう。だからこそ、意見をぶつけあえる自分になれるよう努力してきました。
でも苦手なことに向き合うのってすごく辛いんですよね。
向き合っている時間が長くなればなるほど、めちゃくちゃ疲れます。
私の場合、論理的に話をすることがあまり上手くないため「思ったことをすぐ言葉にする」のというのがそもそも苦手。その上、人とぶつかり合うのも嫌いなので、意見をぶつけ合うというのは本当に辛いものです。
ちょっと前までは「苦手なことにも全力で!」と思っていたところもありましたが、あまりに向き合いすぎたせいで体を壊してしまい、夜も眠ることができなくなってしまいました。
不安と不甲斐なさでいっぱいになり、一睡もせず朝を迎えた瞬間。
「こんなに苦しみながら自分の悪いところにばかり向き合う必要ってあるのかな?」と思いました。
もちろん、苦手を克服する人を否定している訳ではありません。
でも全員が全員「右に習え」状態で苦手なことばっかり克服しようとする必要なんてないんじゃないかなぁと。今はそう思っています。
助け合わなきゃ生きていけないなら、良いところを伸ばしたい
「苦手なことに正面からぶつからないようにするにはどうすればいいのか?」
そう思ってから色々な人の行動を観察すると、人はそれぞれに個性を持っていて、得意・苦手なことがあり、助け合って生きているという事実に気がつきました。
「意見を上手に言える人は、別の不得意なことがあるのでは?」
「意見を上手に言えない自分は、別の得意なことがあるのでは?」
そう考えていくと、それぞれの特性をいかしながら生きていくほうが楽しいんじゃないかと。
だって、よく考えたら「苦手なことのない人間」なんて、今まで見たことがないんですよ。
そんな風に考え方を変えられるようになってからは、違う個性をもった相手のことをもっと認められるようになったし「私は他にどんな手段を使えば欠点を補うことができるだろう?」という感じで、自分とも向き合えるようになりました。
例えば、意見をぶつけることは苦手だけど、みんなの意見を聞いて「どうやったらチームで足並みを揃えられるか?」一人一人の話を真摯に聞いて回ることはできそうだな、とか。
だから実は、苦手があるからこそ「自分の良さ」と向き合うことができるんじゃないかなと感じています。
さいごに
このnoteを読んでくださる方のなかには、同じように苦手や欠点に悩み、苦しんでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
苦手と向き合うことも素晴らしいことですが、一度自分の「よいところ」を感じて、向き合ってみませんか?
それが「新しい考え」や「新しい自分」に出会えるきっかけになるかもしれません(と、自戒を込めた言葉で久々のnote執筆を締めくくりたいと思います)。
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