勝手に「一丸」に入れないで 〜民放オリンピック同時キャンペーンへの疑問

僕はラジオ番組のパーソナリティをしていて、平日は毎日、赤坂にある放送局に通っている。局にはニュースルームというのがあって、そこで待機しながら放送準備を行なっている。そこには複数台のテレビモニターがずらりと並んでいて、NHKや民放各局、それからいくつかの海外ニュースなどが一望できるようになっている。

2020年1月24日。いつもより早くニュースルームに到着した僕は、テレビモニターをみて首を傾げた。あれ、なんで同じチャンネルを流してるんだろう? ずらりと並ぶほとんどのモニターが、インタビューに応じる桑田佳祐を映していたのだ。

近くにいたスタッフに、「ねえ、モニターなんだけど、なんで同じ番組に揃えてるの?」と尋ねた。スタッフの中に、熱烈な桑田ファンでもいるのだろうか。するとスタッフはこう答えた。「これ、5局同時放送みたいだよ」。

それは「一緒にやろう2020 大発表スペシャル」という企画だった。オリンピック開催半年前というタイミングに、各局の人気アナウンサーが揃い、桑田佳祐が作ったテーマソングを紹介するという。その放送は、全国の114局に同時でネット放送されたとのこと。「大発表」「スペシャル」という仰々しいタイトルをつけて煽るのは、いかにもテレビらしい。

その放送内では、番組横断企画として、「一緒にやろう2020 メッセージムービー」が流されていた。各局でMCをつとめたり、ドラマに主演している芸能人たちが、視聴者にカメラ目線で呼びかけるというもの。このムービーには第一弾と第二弾がある。文字起こしの内容は、それぞれ次の通り。

【一緒にやろう2020第一弾】

私には 難しいことでも
私たちには できる。
誰かの悩みは 誰かのアイディアが 解決してくれる。
誰かのアイディアは 誰かの技術が 実現してくれる
そうやって 実現された 2020年の日本から
世界は きっと変わり始める だろう。
一緒にやろう。
きっと、何かが大きく 動き出す。
できることは、色々ある。
例えば 一緒に世界を 綺麗にしてみよう。
(ピカチュー!※鳴き声出演)
心も綺麗に、街も綺麗に。
みんなが敬意を払いあう社会を。
ゴミのない綺麗な街も、一緒なら、夢じゃない。
まずは、テレビ局が、一緒にやろう。
その足し算の 答えは きっと無限大。
一緒に。
一緒に。
一緒に。
一緒に。
一緒に。
一緒にやろう2020

【一緒にやろう2020第二弾】
いよいよ2020年 東京オリンピック
この大会に参加するのは 選手だけじゃない
私たちも支えよう 綺麗な街で
綺麗な心で できることでいい
ちょっとしたことでいい
例えば ゴミをひとつ拾う
困っている人に声をかける 一人の力が
集まれば それは大きな力となって
成功を 夢を ぐーーーっと ぐーっと引き寄せるだろう
一緒に作ろう 心も街も 史上最も美しい オリンピックを。
私には 難しいことでも 私たちには できるから 一緒にやろう!
一緒なら なんだって きっと夢じゃない
世の中だって ぐーっと動かせる 未来はきっと
そう、ここから動き出す
一緒に。
一緒に。
一緒に。
一緒に。
一緒に。
一緒にやろう2020


僕のいた環境では、NHKと海外放送以外のモニターが、「一緒にやろう」と連呼してきた。そうしたこともあって、ものすごい同調圧力を感じたのを覚えている。twitterでリアルタイムの反応もサーチしてみたが、「すげー!」と行った好意的な反応もある一方で、「なにこれきもい」と、違和感や嫌悪感を表明しているアカウントもちらほらあった。

僕はもともと、「一丸となって」とか「力を合わせて」といった美文で、「いつのまにか含まれてること」「勝手に入れられてること」が苦手である。そのため、個人的に強い拒否感を抱いたわけだが、それと同時に、メディアとしての構造的な問題点も感じざるを得なかった。

オリンピックは、巨大なメディアビジネスとなっている。オリンピックは、メデイアからの放映使用料と、スポンサーからの協賛金の二つが資金源となる。

特に放映権については、オリンピックが持つ資産であると位置付けられている。オリンピック憲章の7-2には、「オリンピック競技大会は IOC の独占的な資産である。IOC は、現存する、または将来開発されるいかなる媒体や装置による形態であっても、大会に関する全ての権利と関連データ、とりわけ、そして制限を設けることなく、その組織、利用、放送、録音、上演、複製、入手、流布に関する全ての権利を所有する」と記されている。「聖火リレーの動画撮影禁止」云々も、高額な放映権を支払うメディア業界への忖度から起きた議論だった。

テレビは、払った放映権以上に、広告料金を入手したい。各局がオリンピックの「感動」を強調し、細かなスケジュールを案内する理由の一つは、それが「番宣」になるためでもある。その点、同時放送などでオリンピックを盛り上げようとするのは、要するに「オリンピック視聴率を盛り上げること」に繋がるという点で、とてもわかりやすい。NHKのニュース番組が「紅白の出場歌手が発表されました!」などと取り上げることと、同じ欺瞞の構図である。

根深いのは、こうしたキャンペーンに、各局の報道番組を入れている点である。「報道ステーション」「ニュース23」「news zero」などの番組MCなどが、「一緒にやろう」などと呼びかける。オリンピックには、収賄などの構造問題、開催をめぐる政治問題など、数々の論点が存在する。その問題を、時には厳しくく追求しなくてはならないニュース番組もが、一線を画することなく、動員に参加をする。「五輪とカネ」の問題を追求する側もまた、「五輪とカネ」の問題系の中に位置付けられてしまっていることに、躊躇がないようにも見えてしまった。各局、各番組の誰も、止めなかったのだろうか。

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「一緒にやろう」HPに掲載されたトップ画像


動員の呼びかけもまた重要だ。オリンピックのために「街を綺麗に」することに参加せよというメッセージは、それぞれの無償労働を是とするのみならず、各開催都市で行われてきた、例えば立ち退きやホームレス排除と行った問題に対して、あまりに不勉強だとも言える。

「心も綺麗に」というメッセージに至っては、誰がどのようにその「綺麗さ」を定めるのかという問題がある。オリンピックムードに水を差す僕は、心が綺麗ではないと認定されるのかもしれない。なお、この部分のセリフを、僕が好きな漫画『凪のお暇』のドラマ版出演者に言わせていたのは悲しかった。周囲の目に配慮された「綺麗さ」に押しつぶされた主人公が、自分なりの生き方を獲得していく物語だったのに。

「2020年の日本から世界は変わり始める」「史上最も美しいオリンピック」といった強いメッセージに、「きっと」「だろう」という推測の文言を散りばめるこの仕草。「日本スゴイ番組」同様、曖昧な論理で集団的ナルシシズムへと駆動する手法が、オリンピックでも多発されることになるのだろう。そんなことを感じたのが1月。

その後の新型コロナ対策で、オリンピックの開催そのものが不透明になっている。しかし予定通りにせよ延期にせよ、感染症を克服した日本と世界という、新たな「物語」が、そこに付与されるのだろう。ちなみに僕はかねてより、インフラ整備や各種対策、政治コストの増大を踏まえ、オリンピックは各国分散・同時期開催のメディアイベントにした方がいいのではないかと思っている。そういう「オリンピックはどうあるべきか」という議論も、ロゴや競技場など、数々の問題とともに、きっと、終わりよければ全てよしにされる、だろう。

「民放同時放送 一緒にやろう2020 大発表スペシャル」が放送された20分間。あの時間は紛れなく、日本の放送空間から多様性が失われた時間だと言える。もともとそんなものはなかったなどと、冷笑的に述べることはもちろんできる。それでも、その時に感じたげんなり感は、その都度言葉にしていく必要があると感じた。








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