見出し画像

【歴史に学ぶエネルギー】 16.オスマントルコの利権争奪戦

こんにちは。エネルギー・文化研究所の前田章雄です。
「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。イギリス海軍の石油利権の獲得に失敗したシェルは、ロイヤルダッチと合併します。その合併劇の裏で暗躍したガルベンキャンですが、今度はドイツを陰で支えます。
 

1)オスマントルコへの進出

ヨーロッパが第一次世界大戦へと雪崩込もうとしている20世紀初頭、チャーチル率いるイギリス海軍が石炭から石油への転換に決断し、イギリス独自の石油利権の獲得を目論んでいます。
じつは、石油のもつ軍事的な重要性に欧州列強で最初に気づいたのは、ドイツでした。しかし、肝心の石油がドイツ国内には埋蔵されていません。褐炭と呼ばれる品質の低い石炭はドイツ国内で豊富に出ますが、世界的に石油が産出される地域はロシアやアメリカ、そしてオランダ領東南アジアなど、ドイツの敵国ばかりです。
軍事力を強力にバックアップするためには、ドイツ自身がコントロールできる石油をもつこと。しかも列強がまだ手をつけていない地域でなければなりません。
 
これらの条件を満たす理想的地域がありました。オスマントルコです。
当時のオスマントルコは広大で、現在のトルコだけでなくイラクまで含まれています。現在のイランであるペルシャで石油が発見され、イラクにも石油があるのではと見込まれています。以来、ドイツはオスマントルコへ積極果敢に進出していくことになります。
まず鉄道建設を名目に、ドイツ銀行がトルコに対して莫大な投資をはじめます。同時にドイツ銀行はドイツ外務省の手先として、オスマントルコのスルタン(国王)以下の重要人物をつぎつぎと買収していく。巨額の資金をオスマントルコへばら撒いていったわけです。
 
スルタンのアブドゥル・ハミット二世は「アブドゥル馬鹿王」と呼ばれるほど金遣いが荒く、ハーレムに女性3万人を囲っていました。国の富を、馬鹿王ひとりで浪費していたのです。オスマントルコの宮廷財務大臣ハゴップ・パシャには、どうしても金の成る木が必要でした。
ガルベンキャンのレポートによると、どうやらモスールの地下に石油が埋まっているらしい。現在のイラクの首都バグダッドからティグリス川を北上した場所です。パシャはガルベンキャンを派遣して徹底的に調査させたところ、モスール地下の石油埋蔵に確信をもつにいたります。
すぐさまパシャはドイツに話をもちかけました。オスマントルコの石油利権は、すべてドイツが手に入れたようにみえました。
 
しかし、ドイツのカイザー(皇帝)ウィルヘルム二世が考えていたほどスルタンは単純ではありませんでした。スルタンにとって契約など、その時の気分でどうにでもなるものだったのです。ドイツはこの地域の慣習を知らずに喜んでいたわけです。
ドイツが契約どおり鉄道の建設を着実に進めているころ、スルタンは石油利権の切り売りをはじめていました。アメリカへも売った。次はベルギーへ売ろう。という具合です。
現代の感覚では、契約は絶対です。しかし、これが当時の中東の常識であり、それを理解していなかったドイツの責任です。列強諸国は石油のもつ効能を説明することなく、信じられない安値で利権を得ていたのですから、お互い様といわれれば返す言葉もないでしょう。
 

2)ガルベンキャンの嗅覚

ドイツ以外でオスマントルコへもっとも積極的に動いていたのは、アメリカの元海軍長官コルビー・チェスターでした。オットマン・アメリカン開発会社の代表という肩書で、鉄道や道路の建設に対する全面的な資金協力をもちかけます。もちろん、チェスターがトルコ政府内に多額の賄賂をばらまいていたことは、まちがいありません。
すると驚くべきことに、トルコのスルタンはチェスターに対し、ドイツに約束していたモスール地区まで与えてしまったのです。
 
この時、ドイツのバックで動いていたのはガルベンキャンでした。
だが不思議なことに、ガルベンキャンはチェスターのことを、ことごとく無視するのです。のちにチェスターはガルベンキャンに対し猛烈に抗議するのですが、それでもガルベンキャンは無視しつづけます。チェスターがなにを言おうがトルコ政府を動かすことは絶対にできない、と確信していたかのようでした。
歴史のどの資料を確認しても、チェスターの動きはドイツにとって脅威そのものでしかありません。しかし、ガルベンキャンは自身の回顧録においても、チェスターの名前さえ登場させていないのです。彼の生まれもった嗅覚が、チェスターに脈がないことを嗅ぎとっていたのかもしれません。
 
こうして欧米列強が中東の石油を収奪しはじめたわけですが、これから起こる第一次世界大戦の結末でひとつだけ確かなことは、石油が戦いの行方を決定づけたということです。これは、その後の歴史が証明しています。
大戦にむけて、ドイツとイギリス、あるいはアメリカのどこが先に中東の石油利権を得るか、水面下の闘いがはじまっていたのです。
「石油は、国家の運命を左右する最重要戦略物資である」
ウィンストン・チャーチルが主張しつづけたこの考えは、第一次大戦によって完全に証明されました。この大戦でドイツの猛攻に苦しんだフランスのクレマンソー首相もつぶやきます。
「石油の一滴は、血の一滴に値する」
 
 
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。


<CELのホームページ>
エネルギー・文化研究所の活動や研究員を紹介しています。ぜひ、ご覧ください。