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水島新司と日本野球〜水島野球マンガの予言的世界(70's)〜

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70年代のプロ野球、高校野球の出来事で、先に水島野球マンガが描いていた予言的なエピソードを紹介します。
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【水島予言#01】1974年の高校野球と、1973年の水島新司

 1974年。それは野球界にとって一つの分水嶺ともいえる年だ。プロ野球では読売ジャイアンツのV9時代が終焉し、「ミスター・プロ野球」長嶋茂雄が引退。その一方で、王貞治は史上初の三冠王を達成。プロ野球の打の主役が明確に入れかわる年となった。 そして高校野球ではこの年、金属バットの使用が解禁。今につながる「打高投低」時代のはじまり、といえる。もっとも、初年度は多くの学校で金属バット化に対応できず、木製で出場した選手がほとんど。この年夏の甲子園を制した銚子商業の4番、篠塚和典(当時

《時代とシンクロした水島マンガ》 神奈川高校野球の隆盛と、神奈川を舞台にしたドカベン

 「神奈川を制するもの、全国を制す」  70年夏の選手権を制した東海大相模に始まり、71年夏は桐蔭学園が、73年には横浜高校が春のセンバツ優勝と、70年代前半、神奈川勢の躍進が続いたころから使われ始めた言葉だという。  なかでも象徴的な存在といえば、74年に東海大相模に入学した原辰徳。同じく人気球児だった定岡正二擁する鹿児島実業との夏の甲子園準々決勝は、テレビ視聴率34%を記録。第4試合で最後はナイターとなったこの一戦、当時は試合時間が長くなるとNHKのテレビ中継は打ち切られ

【水島予言#02】1975年のプロ野球と、1973年の水島新司

 水島新司が「ライフワーク」と掲げる作品が3つある。ひとつは1972年に連載が始まり、その後、シリーズを重ねて都合43年も描き続けた『ドカベン』。その『ドカベン』と同じ年に当初は不定期連載として始まり、のちに映画化・ドラマ化もされた『野球狂の詩』。そして、もうひとつが73年に始まった『あぶさん』だ。結果的にもっとも連載期間が長く、そして時代に寄り添った作品となったのが『あぶさん』だった。  ホークス一筋の背番号90、景浦安武。通称あぶ。高校時代には二日酔いで出場した新潟大会

《時代とシンクロした水島マンガ》 “長嶋茂雄引退”と『男どアホウ甲子園』の結実

 水島野球マンガが確立される以前、野球マンガといえば『巨人の星』に代表される「読売巨人軍マンガ」ばかりの状況にあった。だからこそ、水島新司にとって、打倒・読売巨人軍マンガが創作意欲のひとつの源泉でもあったのは間違いないだろう。 『巨人の星』ですか? あれはプロ野球ですし、僕の原点は高校野球。まあ、漫画ですから別にどうってことないんでしょうけれど、僕から見て野球は『巨人の星』のようにあんなに苦しいものじゃないんですよね。もっと楽しくなければ(『月刊経営塾』95年10月号)

【水島予言#03】1979年8月の甲子園と、1979年8月の水島新司

 「高校野球史上最高の試合」はどれか?   そんな問いがあったとしても、出身地や年代、試合映像を見たかどうかによっても評価は大きく変わるだろう。それでも、1979年8月16日に甲子園球場で行われた夏の甲子園、和歌山代表・箕島高校vs石川代表・星稜高校の一戦は、あまりに劇的すぎる試合展開だったこともあって、多くの人から「伝説の試合」「神様が選んだゲーム」として賞賛を集めることが多い。  引き分け再試合になりがちな「延長18回の死闘」がその最終イニングで決着がついたこと。その18

《時代とシンクロした水島マンガ》 現実になった「ドカベン」と「球道くん」

 水島高校野球マンガの「打」の主役、といえば『ドカベン』の主人公、明訓高校の山田太郎。その豪打ぶりで多くの野球少年の憧れの的になり、現在40代、50代のプロ野球OBに話を聞けば、「ドカベンに憧れて甲子園を目指した」「山田のバッティングに憧れた」といった声は決して珍しいものではない(『大甲子園』文庫版巻末には、そんなプロ野球選手たちの声がそれぞれ収めらている)。  そんな『ドカベン』によって野球人生が大きく変わった人物、といえば、「ドカベン」のニックネームで公私ともに呼ばれるこ

《時代とシンクロした水島マンガ》 月産450枚!? 水島新司の「最盛期」はいつか?

 1977年9月3日、この日は日本の野球が「世界一」をつかんだ記念日だ。読売ジャイアンツ対ヤクルトスワローズ23回戦、午後7時10分6秒、この日の2打席目に立った王貞治は鈴木康二朗のど真ん中のシンカーをライトスタンドへ。メジャーリーグ記録を抜く756号を達成した瞬間だ。後日、この偉業が称えられ、当時の福田赳夫首相から初の国民栄誉賞も授与されている。野球が娯楽の王様だった時代、その「プロ野球絶対王朝」の最盛期として77年シーズンをあげる人は少なくない。  なぜこの話を持ち出し