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4回目 『四月になれば彼女は』

 映画を語ろう。
 4回目はわたしにとっては「観なければならない」映画だった『四月になれば彼女は』です。
 川村元気さんと佐藤健さんと言えば『世界からねこが消えたなら』『億男』がありましたが『世界から猫が消えたなら』には遠く及ばなかったかあ、といったところ。『世界から猫が消えたなら』はね、まあね、キャベツがかわいいこともあるし、ストーリーもよかったので。
 ネタバレせずにシンプルな感想だと、非常に残念な映画でした。ちょっとどこに感情をのせて観ればよかったのか……。

 前置きはこれくらいにして、この先はネタバレありの率直な感想を。

 以下ネタバレがあります。
 そして、この作品のファンにとっては不快な内容が多分に含まれていることを、予めご承知おきください。

























物語の流れと感じたこと

 結婚を控えた幸せそうなカップル、俊と弥生の様子から物語は始まります。
 その後ふたりは部屋に戻り、弥生が雑誌の記事を読むところ、0時を過ぎて「誕生日おめでとう」からのワイングラスが1個割れちゃうところ、そして洗面所の排水が詰まっているところは間違いなく、この先の雲行きが怪しいのだなと思わせてきました。
 直後の弥生の失踪。
 理由も解らない俊は心当たりを探すのですが一向に行方はわからないまま。
 その合間に、俊の学生時代の恋人・春のエピソードが挿入されて、人間関係が徐々に明らかになっていく、という展開。
 全体的にずーっとそういう感じで進んでいくので、個人的には嫌いな作りではないけれど、すっと入ってくるかと言われたら微妙なところ。髪型とか雰囲気で「学生時代」なのか「現代」なのかの変化をつけたのでしょうが。
 それぞれの関係性が徐々に明らかになって、おそらく一番の見せ場は、春の遺品のカメラに入っていたフィルムを現像すると、弥生の写真が出てくるところ。ここではわたしも、えっ、なんで? となりました。そこから失踪直前の弥生の行動──春とのかかわりが描かれるのですが、そこはよい流れだなと思いました。
 たぶん「弥生の写真が出てきた。なんで!?」に繋げるためにジグソーパズルみたいな作りにしたかったんだろうな、ということは解るんですけど、それが失敗だったんだなあ、って感じですかね。
 ラストは俊が弥生を見つけて捕まえて連れて帰って、ハッピーエンド。ハッピーエンド……なのでしょう、あれは多分おそらく。

キャスティングについて

 映画の構成として解りにくいとはいえ、物語としての出来はよい部類には入ると思います。
 ただ──ただ、です。
 やっぱりキャスティングって重要。
 森さんはとても素敵だったし、学生時代の春は本当によかったのだけど、現代の春を演じるには若すぎた。登場人物それぞれの年齢を数字で示してくれた訳ではないけれど、俊と出会ったときの春はおそらく十八、そこから十年で二十八。もうちょい「老けメイク」するくらいでちょうどよかったんじゃないですかね。要するに現代の俊と春が同年代には見えなかった、ということを言いたい。そういう意味では、今の健さんには「大学生は厳しい」とも思いました。学生時代の俊は確かに「学生」って雰囲気はあったし、そういう「演じ分け」をしているのも解った。でも、そういうことじゃないんですきっと。
 多分、キャスト同士の実際の年齢が近ければこういう違和感は生まれにくいはずで、健さんと森さんの実年齢が離れている分「同年代として画面に並んだときの違和感」が拭えませんでした。森さんが演じられた春はこの物語の重要なキーパーソンですし、森さんは素晴らしかったので森さんを否定する意味ではなくて、やっぱり春役は健さんと実年齢の近い、別な俳優さんがよかったんじゃないかなあ、とは思いました。
 この辺の違和感は、春の父親で出演された竹野内豊さんとのシーンでも感じて、竹野内さんも素晴らしかったんですけど、竹野内さんと健さん、やっぱりどう見ても「親子ほど歳が離れているようには見えなかった」んですよね。
 この物語では、俊と春が「同年代」であることが重要だから、例えば俊は実は社会人になったもののやっぱり医者になりたくて、大学入学時点で二十代中ごろ〜って設定でのキャスティングなら許せたのかもしれない。そういう、物語の本筋とは関係ないところで違和感が生まれるのはもったいないことだと思う。
 あと、キャスティング、とは意味合いが違うのでしょうけど、映画終盤、現代の春。おそらく「余命幾ばくもない」状態だったのでしょうが、残念ながら「そうは見えなかった」。劇中で「発症」という言い方をしていたので、急激に病状が悪化する病気だったのかもだけど、肌艶ぴかぴか、潑剌とした印象のお嬢さんが、余命幾ばくもないの? という違和感。
 とにかくキャスト周りのそういう違和感がもったいない映画でした。

細かい指摘になるけれど

 この先はもう、細かい指摘が続きますよ。重箱の隅突き。
 まずペンタックスってなに。ニックネームなのは解るけどセンスない。最初は「ペンタックス」って呼ぶかもだけどそのうち適当に略されたりして変遷するような気がした。あと後輩女子が先輩男子をそんなニックネームで呼ぶとも思えなかった。いや今の若いひとは呼ぶのかな。この辺の感覚はわたしが古いだけなのかも。
 友人のニックネームと言えば、ここでまた引き合いに出して申し訳ないけど、どうしても『世界から猫が消えたなら』のツタヤを思い出しちゃう。あれはほんとに秀逸だった。「タツヤだけどな」って訂正のツッコミ入れるところまでを含めて。
 それから、俊の「日常」パートの表現が雑。精神科医として働いてましたかね? 精神科医って患者とああいうふうに接するもの? 俊と弥生の屋上のシーンで、俊は白衣来てたし病院だろうとは思ったけど、あれは診察中だったんですかね? 今は何をしている時間? という感覚に、ずーっとつきまとわれているような感覚があった。
 あと、弥生が春のいる施設に行けたのはどうして? 春は施設の名前や場所を手紙で俊に知らせてたの? ネットで調べて特定して、姿を消すみたいにしてまで行くなら「弥生がそうまでしても春に会いに行かねばならない感情」を、もっと解るようにしてよ。
 突如再登場してきた印象の強いペンタックスだったけど、ペンタックスと春は割と密に連絡をとっている関係だったのかな? 俊とペンタックスもそういう感じだった? それにしても弥生の写真を発見後、弥生のいる場所まで、深夜にペンタックスの車で向かうとか鬼過ぎない? 現着明け方だったよ? 春のお父さんどうなった? 春は病気が解ってから旅に出たんだよね? そんな状態でひとりで海外なんてあのお父さんだったら絶対許さないよね? お父さんとっくに亡くなってる?
 そして。
 弥生が本気で逃げたかったならあんなにあっさり元鞘には収まらなくない?
 ……というところでしょうかね。
 要するに、上澄みだけさらーっとすくって綺麗にまとめてみました、という感じでした。
 繰り返すけれど、物語の筋はよいんですよ。ただ丁寧さがなかった。あからさまな表現じゃなくて映像から汲み取ってほしい、という意図だったのかな。あれで? とは思うけど。 

以下、よかったところ

 竹野内豊さん。あれが恋人の父親で出てきたら、二十歳そこそこの学生さんは間違いなく逃げる。
 仲野太賀さん。雰囲気が素敵だった。あの役どころをああいう表現で演じるのってやっぱり難しかったんじゃないかなって。
 誰よりいちばんよかったのは、わたしの中では河合優実さん。河合さん覚えました。喫煙者って設定は要らなかったと思いましたが。だって喫煙者の吸い方じゃなかったもの。煙草という小道具がなくたって、彼女なら全然大丈夫だったと思うけどなあ。
 俳優さんとその演技は、もう本当に本当によかったんですよ!

まとめ

 そういう訳で、映画の評価としてはかなりの酷評です。
 この記事を書くために公式サイトを見てきたのですが、あれを見てこの映画を観ても、答え合わせはできないかなーと思いました。
 弥生の問いかけ「愛を終わらせない方法」への答えのひとつは「手に入れないこと」で、それに対する新たな答えは「日々愛情を重ねていくこと」というようなニュアンスで、それを探すための物語だったんだな、ということは解りましたよ。だけど……春ちゃんが亡くなってしまったのでね。弥生の問いかけに当てはめたら「春から俊への愛は永遠に終わらない」になるんじゃないのかな、と思ってしまって。
 春ちゃんは弥生のことも察してて、俊に弥生のことを知らせるためにあえて弥生の写真を収めたフィルム入りのカメラを俊に遺したのだろう。だけど元カノにあそこまでされたらね、いくら俊が探しに来てくれたとは言え、弥生はこの先の俊との関係を修復していけるものだろうか、と考えてしまいました。
 春ちゃんを間にして、俊と弥生が変わっていく未来を予感させたかったのでしょうけど、わたしがひねくれているせいか、不穏しかなかったのだわ。大体、洗面所の排水の詰まりを見て「あーだめだ」になっちゃったら、根底にはその「あーだめだ」が残り続けてしまうから、よっぽど努力しないと無理なんじゃないかな、と、思うわけですよ。些細なことほど、乗り越えるのはきっと難しい。
 その辺りの、なんだろう、いったんは「あーだめだ」になったけど、それを覆す何か、が、見えなかったし感じられなかった。
 結局わたしは、俊にも弥生にも感情移入できなかった。俊と弥生よりも、春に寄り添ってしまっていて、だから春を中心にした物語を見たかった。春は俊と弥生の物語にとっては脇役だったけど、春を主役に据えたなら、きっともっと違う世界が見えたはず。
 学生時代の春がどんな思いで俊を諦めたのか、諦めざるを得なかったのか。病が発覚して余命僅かと知ってからの葛藤、ひとりで巡った各地の風景や風の匂い、そこで思ったこと感じたこと。旅の果てに自分の探していたものを見つけたときの喜びや切なさ。そういうものを見たかった。

 最後に非常に個人的な願望を書かせていただくと。
 健さんには、ぜひコメディをやってほしいですね。
 この作品も、おそらく健さんのファンが求める「王道」ではあるのだろうけど、なんだかもうお腹いっぱいだし、正直つまらない。もっと違う健さんを見てみたい。

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