【15年越しの悲願を達成しました】
不覚にも泣きました。
まさかこんなにステキなお花をいただけるとは思いませんでした。
そして、本当に会社を去ることができるようになるとも。
今まだ半信半疑なところがあります。
長らく結果が出ないで埋もれている時間が長かったので、副業という環境に甘えていたのはまちがいありません。
しかし、どうしてもやらなければならない、今ここで決断しなければ何も進まないと思えるようになったのが11月の末ごろのことです。
それからいろんな準備期間を設けて、ついに2月18日の締め日で15年勤めた会社を後にします。
最後の2カ月は本当に幸せでした。
いろんな人が
「ほんとにいなくなっちゃうの?」
「いやいや、いつもの冗談だろう?」
「お前はこれから会社を背負っていってくれると思ってた」
「いなくなるなんてショックだよ」
「一番若いのに一番頼りになったのに、、」
「お世話になりっぱなしだったから、これから恩返ししたかったのに」
「いなくなってもしばらく実感湧かなそう」
「いつもサポートしてくれてありがとう」
というお言葉を、社員や別の営業所ならびに取引先など、少なく見積もっても50人以上から直接いただきました。
ホントにうれしかったですし、正直お世話になった方全員にご挨拶できたというわけではありませんでした。
まだお話しきれていない人がたくさんいて、そこは正直心残りではあります。
ですが、あとは残った方々におまかせしようと思いました。
今でさえこんなに大事にされておりますが、15年前に今の会社に勤めてすぐ、僕は先輩方から酷いイジメを受けました。
運送会社なのでみんな安全靴を履いているんですが、鉄芯が入った靴のつま先でスネを蹴られる痛みは今でも覚えています。
とにかく痛くて痛くて、まだ気が若い血気盛んな現場の人たちは口より暴力が多かった。
毎日ヒザから下がアザだらけでした。
酷い日にはゴムのグリップで力が上がっている軍手で顔面を意味もなく殴られたこともあります。
おそらくそういう職場環境だったのでしょうね。
そんなところに僕みたいのが入社したものですし、しかも一番若いし、何かと目ざとかったのかもしれません。
でも、そんな人たちから信頼を勝ち取ることができました。
イジメられているときに決めたのが、辞めるときは「絶対に惜しまれながら去ってやる」と思っていました。
それを実現することができたと思えます。
と、同時に、そんなに僕に期待してくれて、未来を見出してくれて、これからも一緒にいたかったと言ってくださった方々へ、心から感謝しています。
なにせ、お世辞にも優秀でマジメな社員ではなかったです。
コピーライティングとコーチングのおかげでコンテンツメイクスキルは高かったかもしれません。スライドとか普通に得意です。
人の考えや心を察するのは上手だったかもしれません。
でも、こういう性格ですから、社則の抜け穴みたいのを探すのは得意だし、会社員的にみると「異端」といえる、扱いにくい社員だったと思います。
しかもそんな僕が中間管理職です。
会社はいったい何を考えてこんなに昇進させてくれたのだろうと思っていました。
そうして、そんなめんどくさい若干若めな中間管理職が会社を去ることになりました。(現在35歳です)
「なにかあっても絶対に最後まで笑って去るんだ」
そう心に決めていたのに、ついに最後には泣けてしまいました。
相当めんどくさい仕事を残してきているし、たくさんの迷惑がかかる。
でもみなさん、「お前なら必ず成功する」「自信をもって前へ進め」
そんな言葉を言われたら誰だって泣くかもしれない(笑)
ほんと、はからずしも去る直前で泣かされてしまいました。
15年越しの悲願は達成できたかもしれない。
でも同時に、15年越しの悲願を達成しつつ、一番会社に心動かされて感動させられてしまったのは、まぎれもない僕自身でした。
だから、声を大にしてこれからは何も嘘偽りなく自分の経歴を発することができる。
これまでは勤めてきた会社のことや勉強してきたことは隠してきました。
なぜなら会社が副業禁止だったから。
でもこれからは、これまでに身につけてきたコピーライティング×コーチング×運送会社の知識知恵をふんだんに使いこなすことができます。
まぎれもなく小倉の経験値のすべてが形になっていきます。
しかもコピーライティングよりもコーチングよりも長い経歴である会社員人生の知識知恵が使えるようになる。
ロープレでいうところの「覚醒」みたいな感じです。
会社に使っていた小倉の一日13時間もの時間が、まるまる自分のビジネスに使えるようになります。
これ、めちゃくちゃデカいメリットだと思うんです。
これからは、さらに大きく広く発展できると確信しています。
こんな僕を支えてくださった方々へ、深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
そして、同時に、、
この花束、帰宅するまでは僕のものでした。
でも帰宅して車から出すときに変わりました。
「支えてくれていたい母」へ贈るものになりました。
母や兄弟が支えてくださったからこその15年がある。
支えられてきたからこそ意味わからんこと言う草食系男子だった僕が何度も昇進したりできたし、
これまで健康に人生を達成してくることができた。
後ろ盾にはまぎれもなく母を始めとした家族の存在があります。
なので母に
「15年間もの間、支えてくださりありがとうございました。」
そういって、素直にこの花束をお渡しすることができました。
すごくよろこんでくれてよかったです。
そして同時に、
会社でここまで成長することができたのは、まぎれもなくコピーライティングとコーチングのおかげです。
師として仰ぐ半田やすひろさん、広田多恵子さんには感謝してもしきらないです。
まだまだ本当に未熟でして、彼らの価値観、視野、スキル、愛も誠意もすべてにおいて足元にも及ばないことを自覚しています。
常に謙虚で誠実で愛があり、妥協した仕事をしない彼らの背中は僕にとっていつもすごくまぶしいです。
しかしながら、だからこそ追い続けると決めた背中でもあります。
千里の道も一歩よりという言葉が使い方があっているかわからないけど、追い続けていきたいと思っています。
今となっては僕も何人もの生徒を預かる身となりました。
尊敬するお二人に導いていただいたことも大切にしつつ、家族に掛ける感謝と愛情と同等のものを生徒に渡していきたいと考えております。
もちろん仕事を妥協することも絶対にあってはならないと思っています。
これからはより一層、自分と仕事にストイックに、愛情と誠意を大切にして突き進んで参ります。
これまで支えてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
これからはもっとお世話になることが増えてくると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
立ち入り業者の兄ちゃん&姉ちゃんにいただきました、どんぶりみたいなケーキです①
立ち入り業者の兄ちゃん&姉ちゃんにいただきました、ラーメンみたいなケーキです②
15年間のお礼参りに、地元の神社に行ってきました。
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