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こんな夜(Scene2)

「今日はさすがにお客さんも来ないだろう。」
なんて雪を見ながら妻と話していたら、
「こんな日だから、今夜は飲みに行こうかな。」
と、常連さんから連絡が来た。気象庁から大雪警報は出されるし、交通機関は早々に制限されるし、通りにはいつもより随分人が少ないように感じる。今日じゃないと思うなぁーと言いながら、少し心が温かくなる。

 それでも今夜は忙しくはならないとたかを括ってのんびり準備していると、連絡をくれた方ではない常連さんがいらっしゃった。だいぶ寒そうに肩をすくめながら、「今夜は熱燗だなぁ」と言って座る。

 また別な常連さんは、タッタッタと小走りで入ってきた。肩に掛かった雪を払って笑う顔は、「来ちゃったぜ」と言わんばかりだ。

 間もなく、先ほど連絡をくれた常連さんも来た。「電車もあるから、1時間ほどで帰りますけどね。」と言ってはいるが、この人が1時間で終わるはずがない事は誰もが知っている。

 ひとり、またひとりと集まりだして、カウンターが埋まっていく。寒い寒いと言いながら熱燗を飲んだり、温まったからと言っては冷酒に飲んだりしながら思い思いに言葉を交わす。僕はその会話に耳を少し傾けながら、皆の晩ごはんに取りかかる。

 酒場の夜って良いもんだなと思うのは、こういうちょっとイレギュラーな夜だったりするのかも知れない。「あの時に飲みに来てたよね。」という記憶は、“いつもの夜”と比べても記憶に残りやすい。“いつもの夜”はそれはそれで好きなのだけど、窓の外に降る雪を見ながら皆が口を揃えて「雪見酒だねぇ」なんて言う夜は、その光景が情緒的で美しいものだからいつまでも残る記憶も美しかったりする。

 だからといってそういうイレギュラーな夜に、「商売上がったりだから来て下さいよぅ。」等と言うつもりは微塵もない。このご時世どこもかしこも気象や災害には細心の注意を払う中で、自分都合で“来て欲しい”と言うのはお門違いだし、やっぱり酒は酒なので、帰り道は心配になるものだ。そういう色んな気持ちもありながら、自己判断で、常識の範囲の内で来て夜を過ごしてくれる人達にはやっぱりありがたいと思う気持ちがある。

「ほんとにしょうがないっすねぇ」と言いながら
心の中でやっぱりこの人たちが好きで、この仕事は良いもんだと思うわけである。

 閉店の頃になると本当に街に人がいなくなる。雪は深夜になって止み、お向かいのマンションの大家さんが凍結する前にと雪かきをしている。折角だから少し手伝うか、と表に出て少しだけ雪かきと世間話をして、今日も良かったなと振り返って思った。

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