見出し画像

ハハの推し活がバズった日のこと

コトの発端は、今年の大河ドラマだ。

『光る君へ』。紫式部をヒロインに据え、平安時代の紆余曲折を描く意欲作。その初回の放送を観終えて、思い出したことがあった。

80歳を超えつつある私の母が、かつて50代や60代の頃、『源氏物語』の現代語訳に猛然と打ち込んでいたのだ。

そのパワーたるや、えらいものだった。地元の地区センターの『源氏物語』の講義に出かけ、取ってきたノートと参考書を広げては、束ねてある裏紙に鉛筆でその現代語訳を書きつける。なるべく、自分の言葉で。でも、よけいな贅肉はつけずに。

それを何度も読み返しては、赤鉛筆で直しを入れる。そしてワープロソフトに打ち込んでいく。この作業を娘はときどき手伝った。縦書きでのプリントアウトに母はこだわって、使うのは「一太郎」一辺倒だった。ああ懐かしい。

同時に挿絵も彼女が描く。だいたいの図柄を手書きで描き、それをスキャナーでパソコンに取り込む。背景とか配置とかは「Photoshop」。私が教えたのではない。きっと参考書を買ってきて、完全独学だったのだと思う。

出来上がった挿絵と文章を「一太郎」でレイアウト。プリントアウトして冊子にする作業と、「ホームページ・ビルダー」でインターネットの洋上に浮かべる作業を、母は一心に頑張った。あれは彼女の、遅めの青春だったと言っていい。

母のその熱中ぶりのおかげで、ひとりっ子の私はだいぶ自由にさせてもらった。『源氏物語』はオガワ家にとって、親離れであり、子離れの象徴であった。母の世界がぐんぐん広がるのを、若い私は横目で見ていた。友達が増える。会合が増える。能楽とかを観に行くという。あのとき母は、羽ばたきたかったんじゃないかな、と今こうして書きながら思う。父と母と私、3人だけの世界から。

今振り返っても、母の手作業のひとつひとつが実にていねいだった。どうしてあんなに頑張れたんだか、娘はこう想像する。

彼女は「できあがり」を目指していたんじゃない。物語と、作業そのものがとんでもなく好きで、日々、その「好き」を全身で味わっていた。味わい尽くしていたのだ。「できあがり」を目指していないから、「締切」とかがない。ときどき離れたり途切れたり気を抜いたりしながら、彼女の推し活はゆるゆると続いていく。

平成の始まりにスタートした彼女の推し活は、平成の終わりに完遂を迎えた。ホームページ『和子源氏』はその頃のまま、作った当時の姿で今も置いてある。今の技術からすると拙いところだらけだ。文字、絵、文字、絵。でも、手直しするすべがよくわからない。オガワ家の誰にも。そのことが長らく、母と娘の弱点というか、小さなコンプレックスではあったのだ。

そのホームページのことを、2024年正月、娘は猛然と思い出したんである。

大河ドラマの余韻そのままに、久しぶりに『和子源氏』を開いてみる。開いてみて、のけぞる。文字と絵の洪水。えーーこんなに情報量すごかったっけ?? 知らなかった。娘は、知らなかったのだ。

気まぐれに、Twitter(X)につぶやいた。周りの何人かが「いいね」を押してくれるくらいで終わるだろうな、と思っていた。

このツイートが、大いにバズったのである。

つぶやいて2日で、表示回数78万。1.1万いいねと、5464リツイート。ブックマークが5388。引用リツイートがひっきりなしに、私のスマホに押し寄せる。

旧態依然としたこのホームページのあり方を、とがめる書き込みはひとつもなかった。むしろ、この素朴さが、功を奏していた。「ひと昔前にシロウトのおかーさんが独学で手作りしたサイト」であることの、圧倒的な説得力。

至らぬところもそのままに、ただ、そこにあるだけでいい。人の所業はそれだけで、人の心を打つ。

うれしい書き込みがたくさんあった。「学生時代に活用していました」と言われてびっくりした。母がもりもりと更新していた当時、古文の授業のテスト対策に、『和子源氏』が役立っていたという声。大学の卒論執筆に、参考にしていたという声。私たちの知らないところで、知らない人たちのお役に、『和子源氏』が立っていたという事実。今80代の母が、50代の頃に残した手仕事が、10代や20代を支えていた。そのことの不思議。

ワカモノたちも、母も、それぞれの場所で、頑張って生きていたんだなあ。

さあ、このバズりを母に知らせねばならない。彼女は「ツイッター」の仕組みを知らない。どう説明したら伝わるだろう。この怒涛の書き込みたちを、どう読ませたらいいんだろう。……ええい。電話だ電話。細かいことは、その後だ。

母は、まず「ええっ!」って言った。それから、「しーちゃぁぁん!!」って言った。いくつかの書き込みを読み聞かせると、「なんか、偉い人になったみたいな気がする!」「ありがたいわあーー!」「すごい時代になったねえーー!」。なんかそんなようなことを、繰り返し言った。

「しーちゃん、すごいね。すごいことしてくれたねえ!」

ちがうよ、私がすごいんじゃないよ。あの頃の、おかあさんの「好き」がすごかったんだよ。努力や研鑽のためでなく、推し活の幸福を存分に味わいながら、ちょっとずつ重ねていったおかあさんの「好き」が、気がついたら奇跡みたいに、たくさんの人に響いたんだよ。

ほんと言うと娘は、うらやましいのだ。熱く打ち込めるものがある人のことが。かつて熱く打ち込んだものがあって、でもその世界からこぼれ落ちてしまった私は、悲しい気持ちを浮上させないために、今日も平穏なルーティーンをすき間なく重ねている。もうあんな日々は訪れないかもしれない、そのことを覚悟しなければならない。気を抜くとその事実が悲しくなるから、さあ起床だ、化粧だ、出勤だ。

そしたら、母が言うのである。「おかあさんが源氏を読み始めたときは、今のあなたより全然トシとってたわよ」。

だからね、しーちゃん。これからよ、これから。

2024年、81歳の母は、あんなに打ち込んだ『源氏物語』をわりと覚えてないことに、自分で衝撃を受けていた。『和子源氏』をゆっくり読み返すのが、これからの楽しみだとにんまりしている。あのホームページを私たちの弱点の象徴としてではなく、「偉業!」として受け取ってくださった皆さんに、改めて感謝を伝えたい。母にとって、『和子源氏』が改めて、宝ものになったのだ。

彼女の青春が、ここからまた始まる。(2024/01/09)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?