小川志津子

20年来、インタビュー記事に取り組んできた元フリーライター。青春の日々を過ぎて、今は「…

小川志津子

20年来、インタビュー記事に取り組んできた元フリーライター。青春の日々を過ぎて、今は「どこにいても、何をしてても、誰の人生も最高だ」を旗印に、派遣社員としてにまにまと暮らしています。 https://note.com/ogwszk/n/nd7962c6b3ce9

マガジン

  • 小川志津子の文。

    20年来取り組んだライター職を離れた派遣社員が、日ごろ見聞きし感じたことを記す随筆マガジン。

最近の記事

ああ、春が来た。

母が、銀杏を植木鉢に植えた。 いくつかの季節を超えて、枝が伸びてきて、あたりまえではあるけれど、イチョウの形をした葉っぱが生えてきた。 世界はシンプルにできている。ああすれば、こうなる。わかりきったことだ。そのはずなのに、生きることは、なかなかそこそこ難しい。 コールセンターの仕事に就いて2ヶ月だ。研修を終えたのが1か月前。私は今、最初からわかりきっていた壁の前にいる。 そもそも、電話応対業はここ数年、避けていたのだ。こうなることがわかっていたから。だけど私が所属して

    • 「旅」の困難をかたろう。

      旅って、むずかしい。 日本中、いや世界中のなかからひとつだけ、目的地を選び出す。その時点で、選ばなかった選択肢たちを、すでにざぶりと切り捨てている。 それから、日程を決める。1年365日ある中で、ほんの数日間を選びとる。その時点で、それ以外の季節を味わう可能性を、またもざぶりと切り捨てている。 選び取った選択肢が楽しいかどうか、自分に合っているかどうか、まるでわからないのに、である。 人には、いや少なくとも私には、「合っている土地」とそうでない土地がすごくある。前者を

      • ハハの推し活がバズった日のこと

        コトの発端は、今年の大河ドラマだ。 『光る君へ』。紫式部をヒロインに据え、平安時代の紆余曲折を描く意欲作。その初回の放送を観終えて、思い出したことがあった。 80歳を超えつつある私の母が、かつて50代や60代の頃、『源氏物語』の現代語訳に猛然と打ち込んでいたのだ。 そのパワーたるや、えらいものだった。地元の地区センターの『源氏物語』の講義に出かけ、取ってきたノートと参考書を広げては、束ねてある裏紙に鉛筆でその現代語訳を書きつける。なるべく、自分の言葉で。でも、よけいな贅

        • 年の瀬のごあいさつ

          ご無沙汰している皆々さま。 お元気ですか。いかがお過ごしでしょうか。 小川志津子でございます。 小川の2023年は、なんとも激動でございました。 あちらこちらへ職場を点々としたり、 行き着いた職場でハラスメントに出くわしたり、 うっかり新型コロナにかかったり。 そういうときの心の動きを、 自分で見つめるうちに、気がついたことがあります。 私は自分から、積極的に、 「不安要素」を探しに行っている……! 新しい職場で、新しい仕事に就けば、 「向いてないかも」「うまくできな

        ああ、春が来た。

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        • 小川志津子の文。
          91本

        記事

          激動の秋、アリ地獄にはまる。

          ちょっと今までにない秋を過ごしている。 10月になったとたん、コロナになった。びゅんびゅん上がっていく自分の体温。しかもなかなか下がらない。痛むノド、痛む節々。1日に2回、母に必ずLINEをするという約束を交わし、粛々とそれを遂行した。生きてます、今日も生きてます、おかーさん。味も匂いもしないけれど、でも「黒糖フークレエ(蒸しパン)」と「ロッテ クーリッシュ」だけは美味しいです。だから明日も生きてると思います。 ようやく平熱に戻り、仕事に戻るも、今度は後遺症的なやつにやら

          激動の秋、アリ地獄にはまる。

          「イラ立ち」の知覚過敏

          研修の日々である。 小さいころから、人の声にひそむニュアンスに知覚過敏だ。喜びや、悲しみや、孤独や、イラ立ちが、その人の声にまみれて聞こえるのだ。ひとりっ子の私にとって、まわりの大人たちを味方につけておけるか否かは死活問題だったので、各種の匂いをいち早く嗅ぎ取っては、先回りしておどけてみせる。それが当時からの、私のファースト・ミッションだった。 大人になってもその習性は変わらない。相手が自分にイラッと来てることが瞬時にわかる。この知覚過敏が大いに発揮されてしまうのが、新し

          「イラ立ち」の知覚過敏

          こちらが思うより、優しかった人たち

          3年間勤めた会社の、最後の勤務日を昨日終えた。 どんなに居心地のいい職場でも、「派遣法」とやらで、派遣社員は3年以上、同じところで働いてはならないと決まっていて、昨日がちょうどその最終日だったのだ。 ここを去るぞと決まってから、不思議現象がいっぱい起きた。極度のめんどがりの私は、毎日のお昼ごはんを「一日分の野菜ジュース」「サラダチキンスティック アヒージョ味」「おかかおにぎり」の3点に決めていて、毎朝それらをローソンで買うことを日課としていたのだけれど、最終週を迎えた頃に

          こちらが思うより、優しかった人たち

          「好き」の第三者であること

           私は、「なにかを熱烈に愛してる人」にめっぽう弱い。  たとえば演劇を作る人たちに、その思いを聞いて文字にしていた頃がそうだ。映画の学校の事務員さんを、務めていた2年間もそうだ。忘れもしない、その学校に新しい試写室ができたばかりの夜。誰もいないその空間で、映写スタッフ陣が私の知らないアクション映画をガンガンに上映して、悦に入っていたときのこと。その、悦に入っている人たちの後ろ姿が、なんだか妙に離れがたくて、私はそこに居座り続け、あげく終電を逃したのだ。  私自身が、なにも

          「好き」の第三者であること

          仕事中の雑念たちを記録するという試み

          「なにか、考えごとしてるからじゃないですか?」  データ入力業務のタイムがなかなか縮まらず、しかもとてもくたびれるのだと申告したら、職場の若い先輩にそう言われた。  考えごと……してる。してるわ。  私の脳みそは、ほっとくと雑念だらけだ。この職場にやってきて2年半。手が勝手に動くようになってきて、脳みそに隙間ができると、その隙間があることないこと、考えている。あっ、イカンイカン、と思って意識を仕事に引き戻すけれど、しばらく経つとまた思考している。そんな綱引きの繰り返しだ

          仕事中の雑念たちを記録するという試み

          2022年のおしまいに

          毎度毎度の皆さま、ご無沙汰な皆さま。 いかがお過ごしでしょうか。小川です。 年の瀬恒例の、ごあいさつ文でございます。 小川の2022年は、「好き」ということについて、 思いを致した1年でありました。 たとえば、ですよ。 ある時期の私は、演劇系雑誌媒体を主とした、 インタビュー記事のライターでした。 自分は演劇が「好き」なのだと、 何の疑いもなく、信じきっていました。 けれど演劇のそばに居続けることが、 ある時期から、とても難しくなりました。 激速のルームランナー

          2022年のおしまいに

          ヤツと同居をはじめた話。

          この部屋のどこかに、今もヤモリくんがいる。 初対面は、アパートの外階段だった。階段をのぼりかけたら右側の手すりに、ヤモリくんが一匹貼りついていた。あらぁーー、おうちを守ってくれてるのね?? とかなんとか(心の中で)声をかけながら、いつものように階段をあがる。いつものように鍵を取り出し、差し込んでまわし、ドアをあけたら、サササッ!とちいさな何かが我が家にすべり込んだ。 え!! ついてきちゃったの!!? そのまま彼は、今も我が家のどこかに潜んでいる。主にキッチンの界隈である

          ヤツと同居をはじめた話。

          私を好きな人を嫌いという感情

          これについては、まあいつか、書くんじゃないかなと思っていた。でもそれは先の話で、私の中で何らかの、覚悟が決まってからのことだと思っていた。じゃあ今それが決まったのかと問われたら、なんだろう、ちょっとよくわからない。でも「書かずに済ませて生きてく私」を、私は好きになれないなあと、思っちゃったので書き始めている。 私は、私を好き(そう)な人が嫌いだ。 それに気づいたのはわりと最近の話だ。人から「好き」を表明されるたび、この胸にむくむくとふくらむものに、ずっと長いこと名前がつか

          私を好きな人を嫌いという感情

          過去を戸棚にしまえない女

          いま私が就いているのは、いわゆる「こつこつ手作業系」の業務だ。 別部署から送られてくる手書きの書面を、データとしてパソコンに打ち込む。最初の頃は、記入欄ひとつひとつに緊張していた。でもだんだん法則がわかってくると、いつからか、手のほうが勝手に動くようになってくる。 そうすると、脳内に余裕ができる。誰とも話さず、ただパソコンのみと向き合う私の脳内に、ほんの少しの余裕ができる。その余裕が睡魔に占領されることがある。お昼ごはんのことを考えることもある。でも今日私がここに書きたい

          過去を戸棚にしまえない女

          愉快と不愉快がわかるようになったよ。

          それはもう小さい頃から、私が「これが好きだ」と思っていたものたちを、果たして私は、ほんとうに「好き」だったろうか? 自分の「好き」への疑心暗鬼期が、もりもりとやってきている。 たとえば、私は落語が好きだ。寄席に出向けば身体がゆるむし、噺家さんのことは口開けて観入っちゃうし、これを「好き」と呼ばずして何と呼ぶんだろう。 だから、好きな噺家さんのCDを見つければうきうきとiPhoneに取り込み、むふふ、入れたぞと満足をして、 そのまま、聞かないのである。 これは自分でも

          愉快と不愉快がわかるようになったよ。

          2021年の終わりに

          毎度毎度な皆さまも、 ひさかたぶりの皆さまも、 いかがお過ごしですか。 お元気でしょうか。 オガワは、元気にやっております。 キャリアをゼロにして、今の職場にやってきてから、 1年半近くが、経とうとしています。 派遣事務員として、静かに過ぎていく日々の中で、 強く感じていることがあります。 「どんな1日も、必ず終わる!!」 ……なにを当たり前な。 でも私には大発見なのです。 びっくりすることに、仕事って、 「やってれば終わる」のです。 やってれば、お昼休み。 や

          2021年の終わりに

          初のフルタイム勤務、所信表明。

          50近くになるというのに、私はまだ、いろんなものが怖くてたまらない。 機嫌の悪い人が怖い。話しかけて、いわゆる「塩対応」が返ってくると、ああ苛立たせてしまった!って身を縮めてしまう。気にしすぎってよく言われるけど、これはもう条件反射なんだからしょうがない。相手の話に笑顔でうなずきながら、「あーこれ本音じゃないなー」「行く先々でこのハナシしてんだろうなー」とかを察知する仕事をしてたのだから。 限界までやりきることが怖い。何らかの目標をやりとげるために、徹夜で血尿を垂らしなが

          初のフルタイム勤務、所信表明。