20/09/28(月)

朝起きたら、すごく久しぶりの青空。わー、今日に限って早出にしてしまった。洗濯したかったなー、なんて思っていたら。夜帰ってきて、洗濯機に洗濯物が・・・。え?いつ回したっけ? ぜんっぜん記憶にない。。。酔っ払ってた?土日予定入れて忙しかったから記憶飛んだ?うわーん。明日リベンジしたい。。。また晴れますように!

教える とか 伝える、は割と得意かもと思っているのですが、説明する は苦手な気がしていて。特に事務的なシステム的な説明と言いましょうか。こちらからに手順を伝えていると、1人で話しているのがつらくなってくるというか、なんか心配になってくるのです。相手のリアクションがイマイチだと、うまく説明できてないかな・・・ってどんどん焦って、同じこと繰り返したり余計なこと言っちゃったり。そしてさらに焦るという。

もともとこうやって書く時もそうなのだけれど、冗長になりがちなのよね。だらだらとああでもない、こうでもないと言葉を重ねていく。昔も誰かにブログの記事を読んで、いつも恐る恐る言葉(形容詞って言われたのかな)を選んでいるよね、って言われた気がする。こうやって()もたくさん使うしね。言葉足らずになることを不安に思って、似たような言葉や表現を重ねて、なるべくなるべく言いたいことへと近づきたいと思っているのだと思う。(ほら)

それにしても自信のなさって声や顔に出るものだなぁ。fake it until you make it な場面ばかりを繰り返している気もします。色々なことに手を出していると、新しいことへそれなりに順応する力はつくけれど、これは自信を持って説明できる!というものが中々築けないとも思うわけです。やらないと忘れるしねー

そして今日フィードバックをくれた人に言われた「懐にとび込む」ということ。そう、それ私の人生の課題なのだよなーー。愛想よく、感じよく、とはまた違う、なんだろう。ふと一歩飛び込むいいずうずうしさと、それが許される安心感とやっぱりの信頼感と。信頼感というのも、お互い、だね。自分が信頼されることと、えいっと飛び込んだ先の相手を信頼することと。ちょっと負荷をかけるような関係性。恐る恐る撫でているだけでは形が変わらないものへ、どんなものになるか分からないし、違和感がたくさんありながらも力を加えるもので生まれてくるもの。

そんなことを考えていて、たまたま見たニュース番組内の映画の宣伝コーナーが「懐に飛び込ませてください」みたいなタイトルでした。セレンディピティや。


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