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仏教を学びながら思うこと

今、世界三大宗教を学んでいる。まだ序盤だけど、仏教に関して思ったことを書いてみたい。

宗教を勉強する目的は、無知と無自覚で人を傷つけないために、ちゃんとした知識をつけたいから。

※下記のことが良い・悪いではありません。「興味深い」という意味で、書きました。それを念頭に置いて読んでくださると嬉しいです。

日本人は宗教に馴染みやすい性質がある?

日本は何かを「神格化」しやすい気がする。

宗教でなくても、好きの対象者や物を「神」と呼ぶし、「崇拝」や「尊い」という言葉もよく見聞きする。推し活のために、お金をたくさん払う人もいる。推し活は布教活動で、推しのためにお金を払うのはお布施かな。

実際に私も、好きなものを「特別」にしている。好きなアニメの名言をNotionに集めたり、キャラを尊敬したり、同じものを好きな人とSNSで交流したりする。日本にいたらイベントに行き、グッズを買い占めそうだ。私は立派な信者にあたるのではないか。

「みんな」が安心?

日本は人と違うことをする・言うと、爪弾きにされることも多いから、「みんな」一緒だと安心できる。良く言えば、仲間意識が強い。悪く言えば、差別意識が強い?だから宗教など、大きなグループでみんなが同じところに向かうものには身を置きやすいのかもしれない。

縋るすがるならちゃんとした知識を持つ

人は生きていく上で、何かしら「縋る」ものが必要なのかもしれない。それが宗教だったり、好きなものだったり、自分だったりするんだろうな。だから、宗教や神様を信じるのは悪くはないと思う。ただ、それが依存になったり、縋る先を間違ったりすると、自分が苦しむから気をつけないといけないな。

私が引き寄せの法則にハマっていた時は、縋り方を間違えていたように思う。やっぱりちゃんとした知識を身につけてから、”何か”を信じる必要がある。私は言われたまま、何も考えずにいたから、自分の思う幸せは程遠かったんだろうな。

きっとキリスト教やイスラム教にはまた違う考えや、信仰の仕方があると思う。それらを学んで、自分が何を思うのかを知るのも楽しみだ。


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