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こんな良い文章が書けたら、私は幸せだ

良い文章って何だろう?

ずっと考えてきて、創作をする旦那さんにも聞かれ続けてきたことだ。

これまではずっと、人に「良い」と思ってもらえそうなものを手探りで書いていた。だからライクなどの数に苦しんでいたのかもしれない。それをしっかりやれる人なら良いのだろうけど、私はそんなに器用ではない。

公募ガイドで見つけたエッセイコンテストにも文章を出してみようと思い、これまでの受賞作文を読んだ。そこから気がついたことと、私の思う「良い文章」について考えた。

気がついたこと

  • 読んでいると泣きそうになる
    →ひとりひとりの想いに感動する

  • その人自身の記憶に、エピソードと思いが強く結びついている

  • 病気や自分がした良いことの話をするにしても、「同情して」や「私を褒めて」よりも、誰かにしてもらった事やそのエピソードに目を向けてほしいのが伝わってくる

  • 人に良く見られたいやライク数よりも、「あの時のあの人だけに伝えたい」という思いで書いている気がする

  • オシャレな表現、大げさな表現が一切ない
    →素直な想いを書いている

  • 学びがある
    →考えや行動をマネしたいと思う

文章の質が高い。短編小説やエッセイを読んでいるみたいだ。ライクがたくさんもらえるから、「良い文章」とは限らないのだな。質の高さに「負けた」と悔しくなると同時に、入選するのも納得した。

前の記事に書いたけど、自分のためにならないものばかり読むと、思考レベルも下がる。逆も然りなんだなって。そして、良い文章は自分から探しに行かないと見つからない。

私は記憶力が悪いし、ネットで読んだ記事のほとんども忘れているけど、受賞作文は一度読んでしっかり覚えている。それだけ私の心に残っていることにも驚いた。

私も誰かの記憶に残る文章を書きたい。

じゃあ、私の思う「記憶に残る」とは何なのか?共感、教訓、マネしたい考えや行動、読後の満足感のこと。この中のどれかひとつ、最低でも2つが揃った文章を読むと、私は鼻の奥がツンとしている。全部揃うと泣いている。

それらは無理やり作るものじゃない。少なくとも文章の技術と語彙力が乏しいうちは、自分の心が強く動いたものを書かないと、他の人の心だって動かないと思う。そうやって、記憶に残る文章を作っていくんじゃないだろうか。

これが、私にとっての「良い文章」だ。


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