「アドバルーン」が歌詞に登場する米津曲 米津考察#1
この記事では「アドバルーン」という単語が頻出するのだが、本文中に説明を記載する余地が無かった。筆者の文章構成力の限界である。
そのため、序盤に説明を置くこととした。構成として微妙であるのは重々承知であるが、筆者の構成力の至らなさである。何卒容赦していただきたい。
もしも、貴方が意味を知っているのであれば読み飛ばしてもらって構わない。
■ アドバルーン
ad(vertisement) + bloon からなる造語。広告気球を指す。日本では昭和ごろよく見られたのだとか。
筆者は画像を見た時にデパート屋上の遊園地を連想した。レトロさ漂うファンシーな風船、それがアドバルーンである(?)。
目的
この記事は、米津玄師の作詞作曲した楽曲に限定して考察を繰り広げるものである。夏休みの自由研究レベルの自由奔放さで、結論らしい結論もない。すなわち、筆者が書きたいことを好き勝手書いただけの駄文である。
対象も得に意識していない。うーん、強いて言うならば…
米津玄師を最近聴き始めた人
→ 知らない曲との出会いがあるかも米津考察勢
→ 異論や訂正お待ちしております
見切り発車で執筆したので、至らぬ点があるかと思うがどうか生暖かく見守ってください。そして読了してください。何なら「スキ」してくれたってええんやで…。
発端
全身全霊をあげて米津玄師に傾倒していた時代もあった筆者。しばらくご無沙汰していたのだが、気が向いたので再履修を始める。
先日、癒しを求めて『ゆめうつつ』を聴いていたとき、表示されていた歌詞のアドバルーンという単語が目に留まった。
あれ、この言葉、別の曲にも登場していたような。それも古めのやつじゃなかったっけ。
検索
気になったのですぐ検索。
こんなに雑なやり方で調べることができるのか?と思ったが、しっかり情報を取ってきてくれた。
予想した通り、アドバルーンが歌詞に使われている曲は他にも存在するようだ。それに気が付いた自分、めちゃくちゃ偉い。
検索結果より、アドバルーンが歌詞に登場する米津曲は3つ。
『ゆめうつつ』
『駄菓子屋商売』
『caribou』
『ゆめうつつ』は、2021年にリリースされたシングル『Pale Blue』 に収録されている。2021年は、米津史で言えば現代寄りの近代。いや、もはや現代として捉えてもいいだろう。
この頃はもうCDを買わなくなっていたので把握していなかったのだが、パズル版とリボン版、どちらも特典が凝っている。毎回のように初回特典を複数用意されてしまったらファンは全て買うしかないんだよなあ。
(かつての筆者)(兄弟と分担していたので経済的な負担は少ないけど)
改めてジャケットを見ていると、イラストは勿論だが、とにかく色が綺麗すぎる。これまでのシングルの中で1番好きかもしれない。いや、何で買わなかったんだ自分よ…。
ちょっと話が逸れた。残りの2曲『駄菓子屋商売』、『caribou』について。
いずれも収録は『diorama』。名前を見てもピンと来る人は少ないだろうが、無理もない。この作品は 2012年リリースの1stアルバム だからだ。米津史で言うところの古代である(※ハチ時代は白亜紀としておく)。
もし貴方が動画を視聴できる環境にいるのならば、このクロスフェードくらいは聴いてみて欲しい。ヒットメーカーとして名をあげる前の米津玄師に出会える。昔の奴を知らない貴方はきっと驚くだろう。ククク…。
またしても話が逸れた。かくして筆者はアドバルーンが登場する曲のリリース年をそれぞれ確認したのだが、ここからとある事実が浮かび上がる。
「アドバルーン」は 2012年から9年ぶりに米津玄師の歌詞に登場した
これは深堀りのしがいがあるぞ…?真面目に歌詞を見てみよう。
歌詞考察パート
1. 駄菓子屋商売
2番サビ直前に登場する。
病んだ、腐った、死んだ、枯れた、朽ちた、落っこちた…まあまあ強力なマイナスワードが多用されている。「落っこちた」のが アドバルーンだった理由って一体なんだろうか。
筆者の考えは以下:
本来ならば空から不特定多数の人にメッセージを伝えるバルーンが、落っこちる。これが意味するのは、「伝えたいことがあるのに、もう誰にも届かない」
広告は殆どの場合において調子のいい文句が添えられていることから、「当初の威勢の良さはどこへやら」みたいなニュアンス。
すっかりへたばってどうしたよ、最初の元気の良さはどこだい?
ここで1番のサビ前の歌詞を見てみる。
あ~なるほど。落っこちるモノつながりでバルーンが採用されたのか。
エレベーターは人を乗せる籠と重りで均衡を保っているのに対し、バルーンは風船内で満たされたガスの浮力と広告の重みで均衡を保っている。そのバランスが崩壊して「落っこちた」ってことね。
先ほどつらつらと書いた内容は完全に深読みでした。ハイ、解散解散。
ちなみにサビは以下。自暴自棄で荒れ果てた感情がむき出しになっている。
※ 蛇足だが、『駄菓子屋商売』は夜中に聴くのが愉しくて良い。
2017年のライブ『RESCUE』でもパフォーマンスされたことがあり、歌詞を見て心当たりのある人もいるかもしれない(それ以前も度々選曲されていた模様)。大合唱が愉しかった。
※※ さらに蛇足。米津は『diorama』から『ゴーゴー幽霊船』以外をライブで演奏することは稀。
直近ならば、2023年『空想』で『vivi』or『街』(街はマジで大穴)
それ以前だと、2017年の『RESCUE』で『Black Sheep』。
探せば他にもありそうだが、これだけで1本記事が書けてしまいそうなのでやめておく。なお、『diorama』の曲を一切演奏しなかった公演も存在する(2018年、『Flamigo』)。
2. caribou
この曲は『diorama』の4曲目で、前述『駄菓子屋商売』の次というポジション。これも何か意味あるのだろうか。いや、考えすぎか…?
アドバルーンは2番サビで登場。
このサビは対比表現が印象的である。
バルーンは浮くはずなのに「落ちていく」し、
弾丸は撃ち出された後は落ちていくはずなのに「浮いている」。
『caribou』は、会話劇のような歌詞構成になっており、ちぐはぐな2人の会話を例えていると考えられる。
また、アドバルーンを修飾している「甲乙齟齬」という言葉にも注目しておきたい。ちなみにこのフレーズ自体は存在せず、米津が造った表現である。
甲乙、齟齬に分けてざっと意味を調べてみた。
甲乙:ものの順序や優劣。
齟齬:物事が嚙み合わない、食い違い、行き違い。
また、「甲乙齟齬」 で検索した際に奇跡的に引っかかった、電子印鑑のサイトの表現が面白かったため引用する。
二者間で「齟齬」を起こさないための書式として、「甲乙」が用いられている。つまり、甲乙 と 齟齬 は対義語として捉えることも可能ではないか。
米津はこれも意図して「甲乙齟齬」と表現したのなら天才としか言いようがない(十中八九、筆者の考えすぎだろう)。
3. ゆめうつつ
平等に語ることができず非常に申し訳ないのだが、この曲はマジで良い。筆者による独断と偏見にまみれたランキング、「米津シングル2番手ソングランキング」では堂々の1位に輝いている。
そんな『ゆめうつつ』で一押しのパートは2番の歌い出しだ。偶然にもそこにアドバルーンが登場していた。
ハァ…どうやったらこんなに儚く寂しい詞が書けるんだよ…。まるで星の王子様みたいな世界。これは間違いなく、眠れるよい子のための子守唄。
気になるのは、1番の冒頭にも類似した表現が用いられていること。
広告を携えて飛ぶのがバルーンではなくて紙飛行機なんだってさ。これが何を表しているのかまだ筆者はしっくり来ていない。
備考
アドバルーンの発音について。
『diorama』収録の『駄菓子屋商売』と『caribou』は似通っており、とても癖が強い。筆者は正直、「アドバレル~」の方がしっくり来てしまう。
正直、歌詞を見ていなければアドバルーンと認識できなかったかもしれない。
『ゆめうつつ』も米津的な発音。うまく書けないのだが、こう、なんていうか、「バルぅ~ン」みたいな…。
まとめ
同じアーティストの曲で何度も使われているフレーズや対になる表現、世界観の繋がりを発見したとき、貴方はどんな気持ちになるだろう。
今回、筆者は「アドバルーン」に気が付いたわけであるが、非常に誇らしい気持ちになった。何より、登場曲数がたった3曲である隠れフレーズだったのが嬉しいポイントだ。
記事の執筆を通して分かったのは、同じ言葉であっても曲によって役割や振る舞いが変わってくることだ。どういった意図でその位置にはめこまれているのか、はたまた、どんな役割を果たしているのか。
ここまで思いを巡らせて考察するのは初めてだったが、なかなか楽しい。
今までは何かを発見しても誰にも言わずそっと胸の内に留めていたが、人に読まれる文に整える作業は重要そうだ。
芸術、音楽に関する自分の感覚を文章にするのは骨が折れるが、自分の考えを的確に言語化する練習にもなるし、感覚が研ぎ澄まされる気がする。
文章の長さや粒度、クオリティを毎回揃えるのは厳しそうだが、気負わずにシリーズ化していきたいと思う。
人生で一番聴きこんでいるアーティストは間違いなく米津玄師なので、音楽考察は米津率高めになるかもしれない。ではまた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?