【5625文字】音楽

 歌詞は、情緒の描写があまり入っていないのが好きだ。

なるべく美しい情景描写か、もしくは砂と汗の香るような現実的な描写どちらでもいいが、それらを基盤とした構成で、

ときどき、不意をついたように、的を得た心情描写が入っている、そういうものがいい。

辛い暗い、好きだ嫌いだがしつこく入っているものは野蛮だと思う。芸がないというか、粋じゃないというか。

 メロディは、歌詞がちゃんと聞こえるように、なるべくオーソドックスなものでなくてはならない。

あまり奇をてらいすぎるのはいけない。

とくにJ-POPでは、耳に心地良い旋律のパターンがいくつか決まってあるから、形式にのっとり、スケールを切り貼りして、感じの良いものにしておけばいい。

予測不可能に音が飛んだり跳ねたりするものは、あたらしくて良いけど、聴きにくい。

「しーちゃんには晩年が三回あったからね。中学二年の夏の終わりと、中学を卒業するときと、高校二年の冬。そのたびに、『これを遺書代わりにして死のう』っていうんで、かなりの大作をこしらえてる。なんでこう、死ぬ前の作品っていうのは、ああ、いや結局しーちゃんは今までずっと死ねなかったんだけど、どうしてこう、もう死ぬ、と意気込んで作った作品はみんな、よくできてるんだろうね?」

 死ぬ寸前の一滴だけが本当の芸術だ。それ以外は全部ゲロみたいなものだ。

「キヨが死んだあと、遺影代わりにさ、スタジオの壁にプリクラ張ってさ、花添えてさ、あのクローバーの横に一緒に生えてる白くて丸い花、なんだっけ、シロツメクサ。シロツメクサをね?みんなで、オロナミンCかなんかのドリンクのビンに生けて供えたんだよな。

で、俺はついでに、生きてる間キヨがずっと欲しがってたCDをくれてやった。北海道でいつまでもくすぶってる『そうとうをかし』っていう邦ロックバンドのインディーズ時代の『鳴る瀬』っていうシングル曲のCDなんだけど、

そこに入ってる『夢のなか』っていうカップリング曲が、よくて、キヨが好きだった。いい曲だよ。

レベルが高いとかじゃなくてさ、なんかこう、こういう曲が、メジャーデビューしたとたんに作れなくなるんだよなっていう感じの、エモくてダサくて熱いサウンドの曲。

かなしいんだよね。

ヨレヨレのTシャツ着て、質の悪いマイクでさ、小学校の教室より狭いライブハウスで歌うためにあるみたいな曲。そういうの名曲っていうんだよね?」

 名曲は存在しない。真のやさしさと自由がこの世に存在しないのと同じように。
自己防衛本能と反発であればいくらでも転がっている。それを拾って音楽にすると売れるかもしれないという。売れない場合もある。売れない場合のほうがある。

「キヨ、死ぬ二日前、もう髪も全部抜けちゃってさ、意識も、寝てるか起きてるか生きてるか死んでるか、ぐだぐだだったんだけど、夜、ふっと起き出して、いやにしっかり目を開いてさ、落ちくぼんで死神みたいな目だよ、その目で、ベッド脇でキヨを看てた椎葉さんに向かって、『死んで全部チャラ!』って言って、にやっと一回、笑ったのが最後らしいよ。キヨ、あんなだからさ、ありがとうとかごめんねとか、素直に言えないんだよ。きっと誰にも言われたことないんだろうね。言われて嬉しいことは、自分が言われないと分からないもんね。言われて嫌なことばかり言われてきたから、キヨは人が嫌がる言葉は分かっても、喜ぶ言葉が分かんなかったんだ。死んで全部チャラ、っていうのは、キヨの、椎葉さんに向けた、最大限の謝罪と感謝だったと思うよ。」

 才能は存在する。
あなたが、これだけは死ぬまで誰にも喋らず隠しとおす、と心に決めているそのひとつ。

それが才能だ。才能とは恥部のことである。

度胸があってプライドが無ければそれは音楽になれる。

「しーちゃんがさ、この前ひさしぶりに戻って来てたよ。キヨが死んでったいきさつを話して聞かせてやったら、なんか、甘い香りのする粉末をポケットから取り出して、キヨのプリクラの前に供えてさ、『キヨ、シャブだぞ』なんて笑って言うんで、びっくりした。

シャブじゃなくて、駄菓子屋で買った砂糖菓子だったから良かったけど、しーちゃんが言うんで本当にドラッグに見えた。

それからしーちゃん、キヨに手も合わせないばかりか、小さい手で中指立てて、いーっと笑って『ヤク中め!二回死ね!』って言った。俺は念のため、キヨはシャブはやってない、ヘロインのために死んだんだ、ってことを説明しておいたけど、しーちゃんは聞いてたか知らない。

べつに説明しなくても良かったかもしれない。キヨがどの薬物のせいで死のうが、あるいは鼻に詰めたスイカの種がそこでスイカまで成長してしまったせいで死のうが、しーちゃんにとってはどうでもいいことだったと思う。

もっと言えば、キヨが生きていようが死んでいようが、しーちゃんにとってはどうでもいいことだった。キヨが歌詞を書けなくなってから、しーちゃんにとってキヨはほとんど死んでいるのと同じだったからね。」

 本質的なことを歌っている歌というのはないけれど、本質的なことを探し求めている歌ならいくつかある。

分からないことを分からないと喚くなら、どうでもいいことをどうしても炙り出したいなら、その手段として音楽を使うのは仕方がない。

「しーちゃんはいつも笑ってるから、何考えてるのか全然分からない。笑う以外の顔を、ひとに、しらふで見せるのが恥ずかしいらしい。

だからしーちゃんは、ふだん出せない、笑う以外の感情を、ぜんぶ歌声のなかでやった。怒りとか憎しみとか、泣くとか叫ぶとかをね。歌うときは、しらふでなくなるみたいだ。

ふだんのしーちゃんは、女の子のくせに弱そうにしないし色つやもないし、つまり全然可愛げがない、って感じなのに、歌うとやばい。乾いていた瞳に水分の膜が張って、それが薄ピンクにゆらゆら光ってさみしげで、その目で狂気を演じ切ったり、血のかよった生ものの唇で救いようのない愛を歌いあげたりする。

才能だ、と椎葉さんは言ったけど、しーちゃんはそれを否定して、しらふでないだけだ、と言った。キヨは、そんなしーちゃんを見て、うらやましい、と言ってた。何がどううらやましいのか、具体的には言わなかったけど、きっと酒やくすりを使わずに酔えていいなあとか、そんなとこじゃないかな。」




 
 テレビは点いていなかった。その代わりにFMラジオが流れていた。

12月の、夜のラジオで、パーソナリティはリスナーからのお便りをひたすらに読んで、その折に、お便りの内容を微妙にかすめるくらいの、中途半端なポップスを流していた。

12通のお便りが読まれて、うち9人は受験生だった。ほか2人はクリスマスを一人で迎えることを嘆いている男と女それぞれで、残りの1人は大阪でインドカレー屋を営んでいるネパール人だった。

お便りの内容は人生相談だった。

ネパール人の悩みは、アルバイトの女の子から日本語を習得したために、訛りのひどい関西弁でしか日本語を話せなくなってしまったことだった。どうしても「いいえ」を「ちゃう」と言ってしまって困るということで、ひどく悩んでいた。

そんなネパール人のためにパーソナリティが選んだ曲は、ウルフルズの『ガッツだぜ!』だった。

「ふん、こんなの全部『ガッツだぜ!』でいいじゃん」

男は、鼻を鳴らしてひとり呟いた。

床に寝かせたアコースティックギターの水平なボディに、飲みかけの缶チューハイを置く。

ことん、と木の空洞が鳴る音がして、その小さな音に向かって男は少しだけ笑った。さらに缶チューハイの隣にティッシュペーパーを敷いて、そこにナッツをぱらぱらと乗せた。

簡易的にしつらえた晩酌セットに向かって、こんどは機嫌よくにこりと口角を上げて、8畳ほどの広さのスタジオから少し遠いキッチンに向かって声を張る。

男の白い喉仏は息を吸い込むときにぐんと下に降りる。

「椎葉さーん、ねえ、もう食べちゃおうよ。待てないよ」

椎葉はシンクに向かって背を丸めている。その男が顔を上げて、顔にかかっていた長い前髪をうっとおしそうに手の甲で払った。そして顔を顰める。

「おい、ギターの上に置くな、食べ物を」

ごわごわした長髪は、うしろで乱雑にひとつにまとめられている。こだわって伸ばしているというよりは、放っておいたらここまで伸びてしまったという感じの、清潔感のない長髪だ。

鼻と口が大きく、額が広い。
切れ長の一重が、太い眉の奥に潜んでいる。
肌は浅黒いが顔色が悪く、3日前からこうして自分の体格に合わない狭いキッチンで、猫背で立ち仕事をさせられていた、というふうな疲れた風貌をしている。

「いいじゃん誰も弾かないんだし。ねえ、それよりケジャン」

「しおりが来てから食うってお前が言っただろう」

「しーちゃん本当に来んの?もう9時だよ。早くしないとさあ俺ナッツでお腹いっぱいになるよ」

「お前はピスタチオでも食っとけ」

「ピスタチオって食べたことないけど、あのカラみたいなやつも全部食べれんのかな?」

「知らん」

「チューリップみたいだよな、形が。チューリップ姫って知ってる?」

「リョウ、お前就職したんだってな」

改まって名前で呼ばれるのが嫌いだった。リョウは顔を不味くしかめた。

ピーナッツの塩がうつった指先を、何かを誤魔化すように舐めて、少し黙る。指先は白く、先がとがっている。

濡れた奥二重、長く密集したまつ毛のせいで、すこし俯いてふてくされただけで、憂いで白く頬が陰る。リョウの美しさは、間違えてつけてしまった何かのオプションのように、堕落した身体と生活にポツンと場違いにくっついている。

「うん、でもすぐ辞めた」

「はあ?」

「就職したけど辞めた。ドラッグストア。ドラッグストアってどんな仕事してるか分かる?椎葉さん」

リョウは床に落ちていたアメリカンスピリッツの箱を拾って、中身を確かめた。つぶれてくしゃくしゃになった箱には2本入っていた。嬉しそうにし、そのうち1本を抜き取り、ライターで火をつけた。

「薬局だろ。薬売ってんじゃねえのか」

「ううん。チルド食品とか安売りの卵とかトイレットペーパーとかを売り場にひたすら並べる仕事。あとはレシート持ってきた人にポイントつけてあげる仕事。それだけ。退屈なんだよ。二度としたくないね」

椎葉は表情を変えないで、洗った食器の水を切った。床に飛び散った水滴は拭き取られなかった。

「おう。それだけのことがお前には出来なかったってことだ」

嫌味を言われてもリョウは涼しい顔をして煙を吐いた。缶チューハイの吹いた汗が、アコースティックギターのボディに円いかたちをとって貼り付いている。

リョウはそれを見て、イルカのバブルリングを思い出した。口を丸くすぼめ、ぽっ、と短く息を吐いて、円のかたちの煙を吐いて遊んだ。

「だからギターを机にするなよ」

「あ」

椎葉が、リョウの缶チューハイを取り上げ、ギターの上に置いているナッツをティッシュペーパーごと取り去った。

狭いキッチンに小さくなって入っていた椎葉は、リビング兼スタジオにしている、10畳の部屋に入ってくると身長の高さが目立った。椎葉は、ギターについた水滴をきれいにクロスで吹いて、弦がちょうどの加減で緩まっているか確認し、窓際にもとあったように立て掛けた。

「なにすんの!」

「楽器の上に物を置くな。まして食べ物を」

「机代わりにしたことでさ、アコギが致命的な傷を負うとは思えないけどね」

「冒瀆だっていう意味だ」

「ぼうとく」

「ぼうとくだ。音楽への。芸術への冒瀆」

「へえ。じゃあ椎葉さんが少年ジャンプ枕にして寝るのとどう違うんだよ。漫画はゲイジュツとは違うわけ?」

椎葉は口をつぐんで、顔を歪めた。リョウがにやりと笑って、取られた缶チューハイを奪い返す。

「しーちゃん遅いな。キヨも来ないし……あ」

「バカかお前」

「ねえやっぱさ、仏壇かお墓つくろうよ。死んだこと忘れちゃうよ」

「バカだなお前、本当に」

FMラジオが、『マカロニえんぴつ』の『hope』を流していた。

リョウが窓を開けると、真冬の冷たい風が部屋に舞い込んできた。ボーカルは、二日酔いのような気だるさで歌っている。13月の風が吹いた、と歌っている。

リョウは目を閉じて、耳を澄ました。風か、歌か、どちらに耳を澄ましているのか、椎葉には分かりかねた。

「椎葉さん」

「何だ」

「13月の風が吹いた、だって」

「それが何だ」

「いい歌詞だね」

ぼっかりと口を開けた夜。四角い窓から入って来る風のせいで、もうすっかり部屋が冷えてしまっている。

リョウは、暗い夜に向かって、空になったチューハイの缶を放り投げた。

アルミ缶は、放物線の頂点も見えないままに、夜の喉の奥にすいこまれていった。遠くで、カロンカロン、と、コンクリートに落ちる音がした。

「しーちゃん、来るよね」

リョウは、アルミ缶がすいこまれていった夜の奥を、じっと見つめて立っている。椎葉には背を向けている。

「リョウ、」

椎葉が言いかけたとき、リョウはゆっくりと振り向いた。夜風はいっそう強く、リョウの瘦身を吹きつける。

「俺って何か忘れてる?」

酔いか、寒さか、頬と鼻の先がすこし赤くなっている。目は、重たい前髪に隠されて、椎葉からはよく見えなかった。

「何も忘れない人間なんか居ない」

「しーちゃんは来るよね?」

椎葉は答えなかった。

リョウがふと顔を上げたので目が見えた。透き通った目で、もし絵の具を溶かしたなら一瞬でその色に染まりそうな、あぶない様相をしていた。

「…待ってれば来るさ」

FMラジオのバンドは歌う。

大丈夫、きみが言って、水曜日を、寝潰した。そういう歌詞だ。リョウは、いい歌詞だな、と思う。

「そっか」

青白い、陶器の頬が、ゆるやかな笑みをつくった。

椎葉は嘘をついたことを後悔し、リョウの狂おしい微笑みの向こうの、13月の風を寄越す、ふかいふかい暗闇から目を逸らした。




※マカロニえんぴつ『hope』より歌詞引用

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