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東京オリンピック2020が開幕したのだが…

オリンピックが好きだった。
1998年の長野オリンピックの閉会式なんてAGHARTAの『WAになっておどろう~イレアイエ~』にのせ幸せそうに踊りまわる世界各国の選手、関係者達を観て幼いながらも感動したものだ。
『嗚呼、これが平和の祭典なんだ。これで世界から戦争が無くなるんだ。』と。

あれから20年以上の月日が流れたが、いっこうに世界に平和は訪れやしなかった。
何度『平和の祭典』を行ってもその時が過ぎれば戦争、虐殺、差別、搾取は再開される。
言い様の無い違和感。気持ち悪かった。

2020年は、それに加えてCovid-19によるパンデミックが世界を襲った。
分断される人々、憎しみ合う人々。
それは未だ継続している。

その渦中で行われる『平和の祭典』

『平和の祭典』とは、言わばガス抜きのようだ。お上が民草達の溜まり溜まったメタンガスを抜くためのものなんじゃないか?
そもそもオリンピックに『平和』なんて求めても無駄なのかも知れない。

私はオリンピックを観なくなってしまった。いや、たまたま観たり聞いたりは有るがガッツリ観ることはなくなった。興味が失せたのだ。だからといってオリンピックに熱狂する人々を否定する気はないし、羨ましく思う。

実際、五輪選手からプロレスラーに転向すると楽しみでニヤニヤしてしまうし、少し話がずれるが今回の開会式で『カエルのテーマ』が流れたと聞いて、発案者は誰かと気になった。その方とは仲良くなれそうだ。

それでももう五輪は観ないだろうな。と思っていたのだが、夜勤明けでこの灼熱地獄を徒歩で帰宅している道中で『JAGATARA』の曲を聴いていて変な妄想が止まらなくなった。


2020年、covid-19が世界を襲う少し前に、まるで産声をあげるように復活をはたした『JAGATARA2020』が発表した
新曲の『れいわナンのこっちゃい音頭』

これだ。この曲だ。この曲を閉会式で流そう!この曲で皆で躍ろう!『ナンのこっちゃい♪』と歌い続け、段々と輪が広がっていく。
支配者達もそこに飲み込まれ、会場も飲み込みナンのこっちゃいの輪は世界へと広がるのだ。右も左も善人も悪人も、海も大地も物や生き物、魂は解けて混ざりあい1つになる。
そして、向かうべき場所はザイオンへ。


もう自分で何を書きたかったのかまったく解らなくなった。
これは熱中症による幻覚か妄想か?

それでは皆さんザイオンで逢いましょう。

最期に『れいわナンのこっちゃい音頭』のリリックを書き残す。


ハリボテの街を行く
空っぽ頭をぶら下げて
風にゃいつも吹かれるまま
青鷺 餌探し飛ぶ

支配者達 何も気づかない
川底の魚達の事を
善良な市民 何も感じない
自分だけが良きゃ あとはどうだって

このまま ここで暮らすんだろう
川の底 嵐を待ちわびて
このまま ここで暮らすんだろう
ゴミの山に種を蒔いて

ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい
ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい
ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい
ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい

南から嵐が来て
街の灯りが拐われた
小窓に映る残骸
ケモノ達はもういない

いつになりゃ いつになったら
俺達は許しあえるんだろう
澱んだ川に橋を架けよう
川底 光が 飛び出した

支配者達 何も気づかない
川底の魚達の事を
鈍らでは何も感じない
日銭を稼いで 働くだけ

さりとてすべてが絶望に
覆われたわけでもないけれど
遥か荒野を生き延びた
先祖の顔はどんな顔だろう

ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい
ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい
ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい
ナンのこっちゃい ナンのこっちゃい

罰ゲームなのか 人生は?
何を残すんだ 次の(番)晩に
鶴と亀が滑った
うしろの正面うりうりうりいぇい

君は何人 ナンのこっちゃい
敵が攻めてくる ナンのこっちゃい
口減らさねば ナンのこっちゃい
ゴミとご馳走 ナンのこっちゃい

金と薬漬け ナンのこっちゃい
種が種無し ナンのこっちゃい
死人に口無し ナンのこっちゃい
もう人で無し ナンのこっちゃい








今家に着いてシャワーを浴び生き返りました。
平和は訪れないし、与えられやしないし、待っていても来ない。ならこちらから迎えにいくだけ。

ナンのこっちゃい。




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