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風呂が好き

まどろみ(微睡と書くらしい)の時間。昼下がり。少し気温が上がってきたこのくらいの季節の、縁側のような半屋外の陰で一息ついているときに風が通り過ぎて、普段はそういうのそこまで敏感に感じられるたちでもないのに、さすがに気持ちいいなと思って、少しうとうとしてしまう。してしまいそうになる。

今の私がそうであるのは、何も時間帯、季節柄だけの話ではない。昼過ぎに温泉に行って入ってきたからである。

街のはずれにあるのにかなり洒落た温泉の、中庭式の露天風呂スペースにある、水温33℃の炭酸風呂に勝るものはない、と正直思う。もし入ったことがない人がいれば、そうだな、人生半分損している。あれは実は、永遠に入っていられる風呂である。サウナ×水風呂勢がそのインターバルで整っている間に、私たちは33℃の炭酸風呂で、一生整っている。

とはいっても、さすがにそこで一生を終えるのは勿体ないので、普通の風呂に入って、何とか”温泉の日常”に戻る。そうしたら、その中庭のベンチに腰掛けて、全身で風を浴びる。入浴。

この時代に700円で生きててよかったと思えるのだから、自己評価では、私は人生得している。


芸能人はすごいなと思う。Twitterで自撮り写真を見るにつけ思う。自分の応援しているアイドルのみならず(そこは特に顕著だが)全員に思う。純粋に、自分を常にディスプレイに陳列させていることに対して、とてつもないことだなと思う。

当然、そのことに無自覚な人も中にはいるだろうし、それが生来快感に変わる人もいることはわかっていても、それでもそのディスプレイに向けられた数億の視線や、つけられた見えない傷は、なかったことにはならない。

これは芸能人も人だから、、、という阿呆話をしたいのではなくて、温泉の中庭のベンチで、全裸で風に当たって恍惚としていた私が、隣にある屋内の風呂でガランと桶が落ちた音で我に返って、「今の俺、見ようによってはキモいな」と思ったその後に、自然に浮かんだ”気づき”である。

風呂では、服がない分主義主張は汲み取りにくいものの、顔や態度や所作、歩き方、隠し方、入り方、足の伸ばし方で、大体の人柄が分かる。それをみるのが私の、浴場でのルーティーンといってよい。何しようが自由、現代では珍しく、守る服もなければ、逃げるインターネットもない、撮るカメラもないこの稀有な場所で、他人の目を最小限に気にして、憩いのひとときを満喫する。そんなときにすら芸能人は、全裸で、ディスプレイに陳列している。自らを。

とんでもない職業だ。恐れ入る。「有名になりたい」なんて、今まで何度も思ったことはあるが、いま一夜で有名にさせてあげると言われたら、了承できるのか。

解像度が上がってくることの一つのメリットは、やっぱり、やりたくてしょうがないそのことが、自分の本当に望んでいることなのか、それを冷静に判断できるようになることだと、痛感してやまない。

自宅から1時間かけてきたこの温泉だって、「最高だな、家の近くにあればいいのに」と思って、「この辺に引っ越してきたいけど現実的じゃないな」と思って、やっぱり近くにあったほうがいいなら、「じゃあ自分で作ればいいじゃん」となり、「自宅を改造して、どうせ誰も住まなくなるし、、、これを例えば15年後の目標にして、温泉ってどうやって引けばいいんだろう、井戸水を温めるとかだといけるかな」と思う。

そして、「それ、本当に?」と。自分に問う。

いや、わからん。

「俺はただ風呂が好きなだけだ」

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