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二十歳になって死ぬのが怖くなった話

皆様、お久しぶりです。
ohanaです🌼

最近ほんと寒いですね…
ぬくぬくしたお布団が至高…✨
少し前まではカナダの寒さ自慢をしていたのに、今はもうほぼ日本と気温が変わりません。皆様暖かくしてお過ごしくださいね☃️🧣


今日は年末にお話しするには少しテーマが暗いかもしれません。
私事ですが先日二十歳の誕生日を迎えまして、なんだか良いのか悪いのか、色々なことを考えていて。
自分の言葉で頭や心を整理しながら、年末にお鍋でもつつきながらうだうだお喋りするつもりで綴れれば、と思います。
(話題が話題なので、もし気分を悪くさせてしまったらごめんなさい。)




死ぬのが怖い。
たまに、たまらなく、居た堪れなく、そんな気持ちになる。

まだ20歳、人生はまだきっと、きっと続いてゆくはず。
わからないけれど。そうだと願ってる。

高校生の時、ひたすらに授業と自習を繰り返す勉強合宿なるものがあった。
その中で、国語の授業、「死」をテーマに自由に作文を書く時間があって。
少し背伸びしたくてその漢字の成り立ちを含ませたりしながら、「自分の大切な人たちを悲しい気持ちで残していくから死が怖い。」
そんなことを書いた。

私のクラスの担当だった国語の先生は、その作文をとても褒めてくれて、1日の授業が終わった後、夜に大広間に全員集まって自習する時間があったのだけれど、私の作文を持ってこっそり寄ってきてくれて、すごくすごく小さな声なのに熱が伝わるような話し方で褒めてくれた。すごく、嬉しかった。
きっとその翌日だったと思う、同じ国語の授業内で、私の作文を「本当にすごいのがあったから。」と言ってクラスの前で読んでくれた。読み終わるまで私の名前を言わなかった先生も粋だなあと思う。
最後まで読み終わった後の空白で、クラスの人たちが、わぁ…と静かに反応してくれているのを感じて、嬉しかった。
「はい、これはohanaさんのでした。」
そう先生に呼ばれて、少し小っ恥ずかしい心地もしたけれど、そんな風に、私の名前や前提なしで、私の書いたものを良いなと思ってもらえて、本当に嬉しくて。

私が、誰かに受け取られる文章を丁寧に紡ぐことが好きになった理由はいくつかあるけれど、この日の出来事はこれからも忘れることがないと思う。
合宿ではなく、普段の国語の授業を教えてくれていた他の先生は、私の話をその先生から聞いたと伝えてくれた。直後とかではなく、時間が経ってからだったけれど、そんな風に私のことを憶えていてくれて、さらにそれを周りにも伝えてくれたのかと心が温かくなった。

なかなか時間もタイミングも難しいけれど、また大好きな大切な先生達に会いに、学校に行く機会があったらお話したいなと思う。今も、文章を書いている、大切な人に向けて言葉を紡ぐのが好きになった、そう言ったら喜んでくれるだろうか。



唐突に思い出話をしてしまったけれど、なんだかここ最近急に死というものをリアルに感じてしまって。寒いし暗いしな時期で、ひとりの時間が多いからだろうか、なんだか鬱々した時間が目立つ。
感覚として人が亡くなることをちゃんと理解できて、感情が動く年齢になってから、少しずつ自分の周りでも会えなくなってしまった人たちがいる。
それは自分の親族だったり、幼い頃から通っていた雑貨屋さんの可愛いお姉さんだったりする。
関係性が近かったり遠かったり、思い出の数も時間も人それぞれだけれど、一緒に過ごした時間が、映画のワンシーンのように心の中に残っているから、それ以上の続きが訪れないことを実感すると、それこそ心にぽっかり穴が空いたような気持ちになってしまう。

大切な人だからこそ、というか誰でも、できる限り苦しまないでほしい。だからその人たちが届かない場所に行ってしまったからと言って、怒りや恨みは感じない。けれど、寂しいのだ。

分かっているようで分かっていなかった、「いつかは…」といういつかが無慈悲にも訪れてしまって、準備のできていなかった私は急に目の前に壁が立ちはだかったように、一人で知らない場所に取り残されたように、行き場のない感情に飲み込まれてしまう。


根本的な部分は、あの作文を書いた頃から変わっていなくて、やはり今でも自分の大切な人たちに寂しい思いをさせてしまうから、死ぬのは怖いのだ。
いつかの記事にも書いたのだけれど、少し前まで「貴方のために生きたい」と思えたことがなかった。でもきっとそれは、「私がいなくなることで貴方が悲しい思いをするほど、私は貴方にとって大切な存在なのだ」と言い切ることが得意ではなかったからみたい。
そんなことを言ったら、私のことを大切にしてくれている人たちに対して失礼なのは、自分でも分かっている。それでも、私にそれほどの価値があると自信を持って信じることができなかったのだと思う。

でも。今は、「少しでも悲しい思いをさせたくないから、貴方のために生きる。」そう思わせてもらえるようになった。
本来は自分自身でそうなるべきだったと思うけれど、結局は長い間、私の側であたたかく見守って、とんがった私も受け止めてくれた人たちのおかげなのだ。本当、頭があがらない。
これからも健康に生きて、一緒に穏やかな思い出を積み重ねていきたいなと思っている。

みんなが大切な人達の愛に囲まれて、幸せに、にこにこと生きていってほしいな。直接会えたらもちろん幸せで堪らないけど、会える回数が少なくても、貴方が幸せに過ごしていてくれたら私は十分幸せです。
でも、楽しそうに近状報告してくれるお顔を見ていたいからやっぱり会ってたくさん遊ぼう。おばあちゃんになってもキャッキャしていたいもんね。




今は冬休みで本当に何も予定がなく、お家にこもってひたすらのんびりしているのですが、「何もない」時間って、すごく自分と向き合う時間になりますね。良くも悪くもという感じですが、自分で気づけていなかった自分を知る機会になっていて、二十歳という節目にはいいのかも?と思っています。

大好きなクリスマスや、年末、お正月を、大切な人達と過ごせないことは少し寂しいけれど、離れていても声をかけてくれたり、誕生日のお祝いをしてくれたり、そんな素敵な人に見守ってもらえていて私は幸せです。

帰国後に遊ぼう!出かけよう!お話しよう!と言ってくれる人達がいるおかげで、私は今年も健やかに年を越せそうです。


noteで私の投稿を見つけてくださって、優しいお言葉を掛けてくださる皆様にも、本当に、本当に、支えられています。
まだまだ私の憧れの方々が綴るような、あたたかく人に寄り添うような文章は書けませんが、少しずつ、一歩一歩、成長していけたら嬉しいです。


本年もありがとうございました。
皆様に、穏やかで素敵な時間がたくさん訪れますように。




また、お会いしましょう。
愛を込めて。


ohana.

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