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「子育て相談」の悩みに共感しながらも、ひとまず子ども時代にトリップしてみる。

こんにちは
久しぶりの更新です
noteを書いていないと 書く能力が確実に衰えている(笑)

何が言いたいのか よくわからないものになりましたが
駄作として ここに置いておきます


「子育て相談」のラジオに寄せられる悩み

私は日常的に ラジオを聴く習慣がある
ニュース、歴史、暮らし、片づけ、発達障害など
いろんなジャンルを聴くのだが

子育てに悩める私は 「子育て相談」のラジオもよく聞いている
悩みに回答してくれるのは とある教育関係者
そちらに寄せられる悩みは まあこんな感じである

・子どもが汚い言葉を使うので 悩んでいます
・子どもがゲームをやりすぎる どうしたらいいか
・学校に行き渋る娘 どう対応したらいいか
・友達トラブル どこまで介入したらよいか
・授業中に離席をすると 担任から言われ悩んでいます
・集団行動が苦手 母子分離ができていないからだと言われました
・朝起きられず 生活習慣が乱れて困っています

どれも「わが家の話かな?」と 思うような内容ばかり
どの家庭でも 子どもに愛情を掛けるからこそ 寄せる相談だと思う

「わが子には こうであって欲しい」
「思うように 育っていないのではないか」
「親として 何をしてあげられるだろう」

そんな思いから・・・
子どもが生活の中でうまくいかない部分を「問題」として捉え 
相談を寄せるのだと思う

共感しながらも切なくなるのは・・・

ラジオを聴きながら
「わが家と一緒だわ・・・」と 激しく共感すると同時に
胸の奥が切ない感じがするのは なぜだろう?

そんな時は 子どもの時の私が・・・
ひょっこり顔を出している時かもしれない
「今やろうと思ってたのに…」 とか
「理由を話したって、言い訳って言われるでしょ」とか
「大人はいつもつまらない質問ばかりする 偉そうに…」なんて
子ども時代にトリップした私は思っている

相談内容の中には 
ゆっくり成長しようとしている子どもの手を
「もっと早く・・・」
「もっと良い方に・・・」
「私もこうしてきたから・・・」
「こうしないと 周囲に置いて行かれるから」
と 子どものスピードとは関係なく 
大人の進めたい方向に 無理やり引っ張っていないかな?
と感じることがあるからだ

子ども時代にトリップしてみる

目の前の子どもを「問題視」しようとしたときに
自分に掛かった フィルターをちょっとだけ外して
自分の子ども時代にトリップして
「ひょっとしたら子どもは?」という視点で 考えてみるのはどうか

「YouTubeばかり観ていたら ロクな大人になれない」
ではなくて
YouTubeを通して ボクがどんな世界を観ているのか

「学校に行けているか 行けないか」
ではなくて
学校に行かないことで ボクが生き生きしているかとか

「教室を抜け出すヤツは 教室の輪を乱す」
ではなくて
教室を抜け出して ボクは何を見に行ったのか どんな気分だったか

大人は子どもに 安全らしい道を歩いてもらいたいと願っている
だからこそ その安全らしい 
みんなが通るであろう道を 外れそうになった時に不安になる

大人が この社会に適応するために
知らず知らずのうちに身につけた 型にはまった生き方を
子どもに押し付けていないか?

大人の捉えた問題は、子どもにとっては問題ではない?

例えば「学校に行き渋るので、どうしたらよいか・・・」という悩み 
親は悩むよね・・・

でも そもそも
学校に行くことが当たり前で 学校に行かないことは問題だ!

という大人側の フィルターを外してみると
目の前の子どものありのままの姿が すっと入ってきたりする
学校を休んでいるうちに 目が輝いてきたなとか
無理やり机に向かわせる時よりも 自転車を颯爽と漕ぐ姿がいいなとか

もちろん親の悩みを 
放っておくということではない

その悩みを 子どもにぶつける前に
子どものいない場所で コップから溢れそうな悩みを大いに吐き出す!
そしてコップを空にしてから もう一度考えてみるのだ

問題に見えているそれは
「子どもの問題」なのか もしくは「自分の捉え方の問題」なのか
じっくり考えて 子どもに向き合いたいと 
いつも 自分を振り返る


お休みしていたnoteも
またぼちぼち書いていこうかな
読んでくださって ありがとうございます。

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