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岩波ホール

何が最初のきっかけで

特に映画好きでない私が

岩波ホールの友の会(エキプド・シネマ)に入ったのかは覚えていない。

友の会から郵送で案内が来て

1年間は随時上映を見に行ったことしか覚えてないのだけど、

観に行くときは一人ではなく、

当時まだ結婚前だった夫と二人だった。


綺麗な映像が好きだという彼も

決して社会問題や文芸映画に興味がある人ではなく

どうして二人で行くことにしたのかも覚えていない。

なんとなくデートでアカデミックな匂いのする

神田神保町に行くことがお洒落な気がしたのかもしれないが、

まことに残念ながら神保町の記憶も薄い。

とりあえず大手メディアルートでは情報がこない

若くて経験の少ない自分たちの知らない世界を見せてくれる

味わい深い岩波ホールの映画を

純粋に(何も考えず)観に行っていたんだろうと思う。


既に20代も半ばで大人と名乗ってはいたけれど、本当の大人になるには何かが足りないとぼんやり感じていた。

大人になりたくて行ってたような気がする。


映画の内容はいくつかおぼえている。

その中で一番印象に残っているのは

「紙屋悦子の青春」だ。

映画はもちろん岩波ホール厳選の質の高いストーリーと映像表現で、

食べ物から読み物までレビューという分野が苦手な私が論じる立場にないのだが、


特筆すべきは

隣の彼(夫)が明らかに泣いていた。

すでにそのころもう付き合って6年くらいたっていたのだけど、

何かの作品を見て泣いてる彼を見たことがないばかりか、

その少し前にシネコンで絶賛上映中だったさだまさしの「解夏」を一緒に見に行った時など、

すぐ泣く私の隣で

「どこが泣けるとこだったの?」と悪意ゼロのキョトン顔の彼に、若干本気で引いたものだった。

(今となっては私もどこで泣いたかは覚えていないのだが。常にいつも泣いているので)


「紙屋悦子の青春」は戦時中を描いていたのだけど、

彼は

実はそうとは知らない両思いのヒロインに

秘めた恋心を告げないまま自分の親友を見合い相手として彼女に紹介し、

直後に特攻隊として死んでいった男性の演技に

なにやら無性に胸を突かれたらしく、

「あんなにいい人が・・死んじゃうんだと思って・・・」

と涙の理由を話してくれた。


戦争映画のくくりに入るかもしれないが

淡々と日常を描く、

戦闘シーンや扇情的な音楽もない映画で、

その淡々さゆえに、

急に理不尽な死が訪れる感覚が際立ったのか。

多分彼のいつもは表に出にくい繊細な心のひだにふれて感極まったのだと思うのだが、

一緒に見ていたから言葉としてはおおざっぱでも

泣いたポイントが大体わかったし、

何よりその心に共感できることが嬉しかった。


鼻を啜る音が暗いホールの隣の席から聞こえてきた時も、

「いつもの鼻炎がでたのかな」

と一瞬、

自分の希望的観測に警戒したくらいだった。

だから余計に嬉しかった。


あの日がなかったら、

私たちは違うストーリーの中にいたかもしれない。


映画という芸術の力は確かにある。

映画が大衆を動かそうとするプロパガンダ的な商品ではなく、

人間の生命や心を描く表現としてあろうとする限り、

映画が好きでも大してそうでなくても、

ごくごく静かでも人の心を動かす影響力はあるのだ、と知った瞬間だった。


映画に、というより、

映画に感動した彼をみて感動した、という、

私にとっては貴重な思い出の場所だった。


そんな文化の灯火が消える。

今年2022年の7月に岩波ホールは閉館する。


「紙屋悦子の青春」に描かれた時代にも

良質の文化の灯火が、多くの人命と共に

非科学的な理不尽さで消されただろう。

その後にもどんどん消えてはいけないものたちが消えていいものと一緒くたに、

消えて行っただろう。


印象深い場所がなくなる寂しさはある。

でも、怒りとか悲しみではない。

岩波ホールもまた、

消えて行った良きものたちの後に、

生まれてきた場所だったからだ。


残されていって欲しい。

方法があるなら応援したい。

それでも結果

良いものが失われても、

より良きものが、生まれてくると

信じよう。


信じて

より良きものを作ろうとする人を

応援しながら、

私も何かを生み出していこう。

発する自分の言葉が、時代を作ってる。

誰でも。







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