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心が大怪我

元々泣き虫でいじけやすい。

姉妹で私だけいじけてる顔の写真がダントツに残っている。

形成された性格をポジティブとネガティブどちらに針が振れるかといわれたら、
ネガティブな方に振れる。

泣き虫もいじけ虫も歓迎されないものだ。

私は精神的に強く、すぐ切り替えられる実務的な人格に憧れた。

自分の本質はそうでなくても、そういう装いができるよう心がけた。

特に自分が母親になってからは子どもたちに安心を与えるのが第一の仕事と考えて、
強く意識してきた。

所詮はペルソナなので、
装い続ければ無理がくる。


愛着の対象者との死別は、
心に大怪我を負うようなダメージがある、という。
それは、故人が高齢だろうが、自分が大人だろうが母親だろうが、関係ないらしい。


病による死別の場合は、もう亡くなる前から悲嘆の状態に入っているとのこと。
かれこれ12月の頭から私は悲嘆の中に入っていった。


母が入院していつ亡くなってもおかしくない状態と余命宣告されたこと。

母を病院に見舞いに行って、肝機能と腎機能がもう致命的なダメージを負っていることが黄疸と濃くて少ない尿量で、素人目にも見て分かったこと。

母の痛々しい、ただれた癌の患部を目の当たりにしたこと。

母の下の世話の仕方を習ったこと。

母を家で介護したこと。

自分の愛車に乗りたがっていた母の望みがあまりのしんどさに叶うことがなかったこと。

食べられる量がどんどん少なくなって嘔吐が始まったこと。

嘔吐に血がまじったこと。

何も食べられないのに大量に吐き続けること。

最期は会えなかったこと。

もう死んでしまった母の元に向かう実家への道。

魂が抜けてしまった母の亡骸を目の前にしたこと。もうおかえりとは言ってもらえないこと。

常に大なり小なり泣いていたけど、
常にしっかり立たないととも思っていた。

悲嘆の中に父と姉妹もいたから。

母亡き後、実家の家族で唯一のドライバーとして買い出しや用足しにも出た。

対外的な連絡も、来客対応もした。

色んな人の気持ちに触れた。

母と生きる世界が別れてしまった寂しさや悲しさは勿論あったが、
大好きだった母の亡骸を丁重に空に還してあげたい。魂を安らがせてあげたい。
実家に1人残る父の悲嘆が少しでも和らぐように。

その気持ちの一心で、立ち続けた。

でも、
心は大怪我だったのね。

やっぱり。

身体も心も疲れ果てた。
日常に戻ろうと試みたが、見事に身体が動かなくなった。すぐ涙が出てくる。

うつ病のときみたいだ。誰にも会いたくない。

でも、じっとしてれば、治る。
そう思う。

この世の半分以上の人間が、お母さんを喪って、それでも生きてるんだから、
私も、大丈夫。ただ少し、時間がいる。

元々がメンタル弱めだからね。


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