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「過渡期」としての精神科

精神科とは、医学体系の中でも主に精神医学に基づいて精神に関する疾患を治療するための診療科ですが、「身体科」(私はあまりこの言い方を好まないんですが)と立ち位置がかなり異なる部分があります。

身体の病気のほとんどは、解剖学から組織学、生理学、病理学など「計測可能でビジュアル的に確認できるもの」をベースに持っており、それによって治療ターゲットが決まり、基本的には即物的に問題の解決を図ります。問題の解決にあたっては、ざっくり言えば「悪いモノを特定し、それを取り去る」というのが主たる手法で、原因が不明であったり技術的に取り去ることが困難でそれが叶わないときには、しかたなく表面に出てくる症状を抑えるなどして「以前よりマシな状態」を目指すわけです。

精神科の疾患の場合、身体科よりも「症状の原因となる悪いモノが見てわかる」「原因を取り去れる」ということが極端に難しい臓器「脳」を対象としているので、そのようなアプローチは遅々として進歩せず、科学技術の進歩で様々な計測機器や遺伝子などの研究の発達で「少し見えかけている」ようになる部分はありますが、依然「取り去る」が難しいために、結局のところほとんどの治療は「症状を抑える」だけの対処になっています。

これが精神科の現状で、それ自体は「そういうものか」というものでしょう。

もともと精神疾患は、「脳というよくわからないブラックボックスの何らかの異常が原因で言動が異常になる」ものを扱っています。思考や行動の主体が脳であることが知られていなかった時代であれば、それらの異常な言動の原因が脳にあるとは考られておらず、瀉血などの身体的な対処や祈祷など「メンタル的な」対処、あるいは「監禁」などの物理的な対処、「放置」などの社会的な対処をしていたわけです。

そのうち、事故や頭の怪我などでの状態を含む様々な観察からそれらの異常な言動は「どうも頭の中にある脳という臓器が原因らしい」ということが判ってきました。そして、そのうちの一部、例えば脳腫瘍や脳梗塞・出血などの「脳の器質的な病変(見てわかる異常)」のある病気が特定され、外科的な切除のような物理的な対処されるようになってきました。

こうして、脳の器質的な異常による言動の異常は、「見て判る異常な部分を確認して対処する」ことが出来るようになったので、いよいよ精神科の治療技術がその分進歩して…とは、いきませんでした。そう。それらの異常は「精神科」ではなく「脳外科」が扱うことになったのです。

さて、そうした脳そのものの器質的な異常の他にも、身体の他の臓器が原因で発生する精神障害も判ってきました。副腎や甲状腺などのホルモン異常から言動に異常が出現することがあり、これらは「症状精神病」と呼ばれています。これらも、原因が特定でき、また対処が可能なものですから、精神科の診療技術がその分進歩…は、どうでしょう。当然ながらそれらは、主に内分泌科などの「身体科」で治療がされますので、精神症状が激しくてコントロールが困難な場合を除いては、主に精神科からは離れて治療が為されることになっていきました。

そうこうしているうちに、突然の意識障害や痙攣を主症状とする「てんかん」が、精神科の手から離れていきます。元々てんかんは、精神科での古い分類で三大「内因性精神病」の一つになっています。このことからも分かるように、てんかんは主に精神科で扱う疾患でした。内因性精神病とは、「原因不明だが多分脳そのものに原因があるだろうと思われる精神病」です。これが、脳波などの検査機器で詳細が判るようになり、また発作のメカニズムや始まる部位や対処方法にも目処がついてきて、「わけの判らない脳の異常」ではなくなってきたのです。現在でも、てんかんは旧来どおり精神科でも診療されてはいますが、近年は小児科や神経内科、あるいは対処方法によっては脳外科、あるいは「てんかん専門の医療機関」で治療されることが主体になってきました。

さてその後、「認知症」に光が当たってきます。「認知症」は、本来様々な病気の結果として認知機能に障害が出る「症候群」ですが、その中でも「アルツハイマー病型認知症」といった神経変性(何らかの原因で神経細胞が異常に多く死んでしまうこと)で症状が出て来る認知症に関しては、MRI等の画像診断技術も向上し、また進行具合をコントロールする薬物も開発されて、要するに「見えて、即物的に対処できる」ような疾患に変わりつつあります。以前であれば「物忘れ→わけが分からない言動異常の病気→精神科」だったものが、少なくとも入院を要するほど対処不能な状態でなければ、一般の「かかりつけ」の内科や神経内科など脳を扱う医療機関全般で診療されるようになっています。今や認知症に関する精神科の役割は「身体科で手に負えない行動異常や施設の空き待ちで一時的に入院要請する」という、限られたり本来的ではない形になりつつあります。

それでは今後は。従来、主として精神科で扱われているものはどうなるでしょう。例えば、前述の「三大内因性精神病」の残りの二つである「躁うつ病」や「統合失調症」はどうでしょうか。

これらは、病気の経過や家族歴などから「脳に何らかの構造異常があるだろう」と目算されてはいたものの、従来の解剖や顕微鏡的な細胞の観察、あるいは脳波検査、CTなどでは「正常な脳」との違いが判然としていませんでした。しかし近年の検査技術と研究の進歩に伴い、「正常」な脳との微妙な形態の違いや、刺激に対する反応性の違い、脳の活動パターンの違い、遺伝子や遺伝子発現(遺伝子がどのように使われているか)の違いが少しづつ判明してきています。

その結果、今後は激しい症状が出る前に「検査で」判ったり、予防したり、あるいは場合によっては遺伝子治療や幹細胞による治療などで「根本的な」治療が出来るようになる可能性があります。

その結果おそらく起こってくることは、それらの病気の「精神科からの離脱」です。「原因不明な謎の病気」ではなく「ターゲットと即物的な対処が可能な脳の病気」となり、脳外科や神経内科、場合によっては一般の内科でも治療されるものとなっていく可能性があります。恐らくその頃には病名も変わり、「統合失調症」等ではなく「線条体ドーパミン代謝障害」であったり「Disc1変異症」であったり(名前は想像です)、より「ちゃんとした病名」になっていることでしょう。

「精神病」ほど深い症状ではなくても、同様に脳の「微細な変異や異常」が原因となるものは、その原因や対処方法が特定されるに従って、やはりどんどん別の病名が付けられて精神科から離れていくでしょう。また、発達障害のカテゴリに入るものも、脳の微細な構造の違いに直接対処する方法が見つかっていけば、あるいは発達特性の違いを吸収できるように社会情勢が変わってこれば、いずれにしても精神科からは離れていくでしょう。

精神科で扱う、もっと他の病気はどうでしょうか。例えば「心因性」すなわち、長く続く悩みや心理的な葛藤から来る、従来「神経症」といわれていた様々なタイプの病気は、内因性のものとは違い、臓器としての脳そのものの「構造としての異常」というよりその「働き具合の変調」です。また、極端な性格特性による様々な行動が問題となる「パーソナリティ障害」もありますが、いずれにしても、少なくとも建前上はベースとなる脳の構造そのものに即物的な対処が必要となるような異常があるわけではないですから、今後も「身体科」での対処になることは少ないでしょう。それらに対する対処の主体は、現状の精神科でも、表面に現れた一時的な症状を緩和するために薬を使うことはありますが治療の主体はカウンセリングなどの心理療法や精神療法、あるいは環境改善のアドバイスなどです。

そう。心理療法です。そしてこれは、別に精神科にいる「精神科医」でなくとも出来るモノなのです。臨床心理士等、カウンセリングなどの心理療法を体系的に学んでいる専門家が近年注目を浴び、従来「精神科医」が対処したりアドバイスしていた心理的なケアの分野はもちろん、精神科の臨床現場でも疾病の治療を目的とした心理療法の形で臨床心理士が活躍しています。そして、今後もこの流れは変わらないでしょう。

さらに都市部では、心理士によるカウンセリングだけで開業する人たちも増えてきています。かなりの需要があるのです。特に、「医療」のように、「病名」をつけ「治療」する、ということにこだわらなくても、「心のもやもやがスッキリする」「ストレスの対処方法が学べる」「企業との提携で心理教育をする」といった、社会全般のより広い状態をターゲットに活動することが可能です。また、心理療法は様々な新しい手法がどんどん開発されており、今後も洗練されていくことでしょう。

加えて近頃は、人工知能による心理療法も開発されつつあります。これが人間の心理療法の穴埋めや前処理に使えるようになれば、その組み合わせだけで「心因性」の疾患のほとんどはカバー出来るようになると思えます。

そうなってくると、心因性の「こころの病」に対処するにしても、精神科の出番は今後少なくなっていくでしょう。そもそも現代の医療保険を用いたシステムでの「医療」には、「こころの病」を扱うには、様々な制限が足かせになっている部分もあるのです。

精神疾患によって社会的な障害(社会とスムーズに関わることが難しい状態)が起こっている場合も、現在でも医療機関や役所で行われているケースワーキングのシステムが情報技術の進歩で洗練されていけば、わざわざ「精神科」を拠点とする必要も無くなります。

将来は、医学や心理学、社会システムの進歩に従って、身体因性は「身体科」で、内因性は「脳病」としてやはり「身体科」で、心因性は心理士や人工知能による心理療法で、社会的な機能障害は福祉で、という風に、どんどん精神科で扱う対象が減っていくことになるのです。そして最終的には「脳」は全て物質や「見て解る現象」に還元され、対処方法が確立して、臓器別診療科で呼ぶならば専門的には「脳内科」、軽ければ一般の内科などで治療されていく流れになり、「精神科」という呼称も概念も、そして特徴的な疾患体系や病名も、少なくとも「医学」の中からは消滅していくことになるわけです。

要するに現代は、「脳機能が解明される」までの繋ぎの期間として、やむなく「精神科」が存在しているのであって、その存在自体が人体の解明の「過渡期」を意味しているのだ、ということになるのです。

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