なぜ嫌悪感を抱く表現であっても守らねばならないのか

 今回のノートはいつもよりかは短めになる……はず。というのも、正常な思考力を持ったオトナならば、直感的に理解できるような、とてもシンプルかつ当たり前の内容だからだ。
 という訳で、本日のテーマは「なぜ嫌悪感を抱く表現であっても守らねばならないのか」である。

嫌悪感を抱く表現であっても守らねばならない理由

特に重要なのは以下の3点だと思われる。

「特定の表現を弾圧してしまうと……」
(1) 表現の自由を侵害する
(2) 弱者や少数派が差別に抗えなくなる
(3) 権力者しか得をしない

(1)表現の自由を侵害する
 「基本的人権である表現の自由の侵害になる」と、普通はこの一言で話が終わるはずなのだが、それで納得しない狂人がいるために話がややこしくなっている。その手の輩は、どうも "権利" が自分にだけあると勘違いしているようで、他者の表現の自由よりも、自分の「見たくない物を見なくて済む権利」の方が勝るとでも思い込んでいるようだ。
 もし人権と人権がぶつかる状況になった場合「見なくて済む権利」を行使したければ、それが見えない場所に行けと判断されるだけであろう(※適切なゾーニングがされている前提)。
 また、自分は常に攻撃する立場でいられるとも考えているようで、「もしも自分自身の表現の自由が脅かされる状況に陥ったらどうするのか」という考えに至れない。
 "人権" とは "無条件""あらゆる人間に等しく備わっている" ものなのだから、AさんがBさんの表現が気に入らないと無理やり口を塞ぐ、弾圧する事が可能なのであれば、同様にBさんもAさんに対して同じ事がし返せるという事になってしまう。そんなバカげた世の中にしたいのだろうか。

(2) 弱者や少数派が差別に抗えなくなる
 表現の自由という人権を無視して、意見・主張・創作物などを何らかの形で潰して回る事が当たり前になったとしよう。すると何が起きるだろうか。
 まず間違いなく、味方が集まり難い少数派や弱者が最も酷い被害を受け、さらに迫害から逃げ出せなくなる。表現の自由が否定されれば、少数派が被害を訴える事も、正当性を主張する事も出来なくなり、単純に力や数が正義という社会になってしまうからだ。

 こう言うと「エロ表現が問題なのであって、言論まで奪うとは言っていない」といった反論があるかと思う。だが、それこそが大間違いである。
 なぜ「表現の自由」として守られている物の中に手を突っ込んで、身勝手な判断でエロだけを抜き出し、「お前は違う」とやってしまうのか。神様か何かにでもなったつもりなのか。
 私の言わんとする事がわからないなら、これをLGBTや民族に置き換えて考えてみてはどうだろう。
「レズは認めるけど、ホモは絵が汚いから認めない」
「白人は認めるけど、朝鮮人は敵性国家だから認めない」
 もしこういう意見を目にした時にどう思う。「表現」という大枠の中から、妙な理屈を付けて「エロ」だけ抜き出して火あぶりにするという行為は、早い話が単なる差別である。

(3)権力者しか得をしない
 また、エロやグロのような嫌われ者の規制から始まって、次第に対象が広がって行くというのは、戦前の日本でも見られたオカミの常套手段だ。いま自称フェミがやっている「自分達にとって気に入らない表現を潰すためにデマでも何でも騒ぎ立ててロビー活動する」といった手法は、そのような思惑を持った政治家や警察にとって、便利なチンドン屋のようなものである。
 なんせフェミ連中をその気にさせて暴れ回らせれば勝手に悪目立ちしてくれ、「民意なので仕方なく表現の自由を制限します」と、簡単に大義名分が手に入るのだから。そうやってペドフィリアが焼かれ、ロリコンが焼かれ、アニメオタクが焼かれ、ゲームオタクが焼かれ、気が付けばBLやショタも焼かれ、最終的には政府批判の声も焼かれる事になる。それが世界のあるあるであり、日本でも過去に実際に起きた歴史的事実である。
 そんな謀略にまんまと乗せられないためにも、はじめの一歩であるエロ規制・エロ弾圧 "こそ" やらせてはならないのだ。

表現への不寛容は、人間そのものへの不寛容

 感情任せかつ身勝手な表現狩りを続けていると、自分の嫌いな表現作品は確かに減るかもしれない。しかし、同じ手法でアナタが好きな作品も根絶やしにされる可能性が高まる事を忘れてはならない。
 また、気に入らない表現方法を潰して回る行為は、言い換えると「社会が許容する価値観を減らしていく行為」だ。それは、狭い狭い価値観にどうしても馴染めず、こぼれてしまう人間を次々に生み出してしまう。
 仮にそんな事になれば、社会に許容して貰えなかった人々はアウトローになるくらいしか選択肢が無くなり、この国の治安は一気に悪化するだろう。
 そのような展開に陥るのを避けたいならば、可能な限り多種多様な価値観を尊重し、誰もがどこかしらに居場所が作れるような、寛容な社会を目指すしかない。

 表現=価値観に対して不寛容という事は、人間の生き方そのものに対して不寛容と言っているも同然で、それは差別を生み出す母体になってしまう。

 以上のような理由から、嫌悪感を抱く表現であっても、絶対に守らねばならないのである。

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荒井禎雄

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コメント3件

表現の自由で「弾圧したら」それこそ「ただの弾圧」だよね? すごく繊細な問題だと
思いますね……。 「矜持」と「願望」を取り違えたらいけないってやつですね
この話が通じないから彼彼女らは鉄砲玉に使われているわけで
この話を理解した上で具体的手段を講じている利権のハイエナのほうが数手先ですね
おそらく具体的な個の手にする過剰な利益を根拠踏まえ明確に試算し妬みと正義の感情を中心に世論を動かして別の利権をぶつける以外に方法はないです
日本人に論理的思考は無理です
嫌悪だけで審判を下しつづけたら、それは歪みもしますよね、最後には何も残らない
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