お肉を食べるということ

ベジーとかヴィーガンを名乗る人ってめちゃくちゃ偉そうだなと思っている節があった。だが、何も知らずにそういうことを思うのは良くないので、少しアニマルウェルフェア関連の本を読んだ。
しかし、読んでみると、「うわ、これ肉食べるの絶対やめたほうがええやん。」となってしまったので、皆様にも押し付けていきたいと思う。

①食肉加工される動物たち

私たちは、ほぼ毎日のように何かしらの肉を食べている。美味しいし、栄養もあると思っているからだ。しかし、今口にしたこの肉が、どのような環境下で飼育され、どのように屠殺されているか、あまり意識したことがない。
食肉加工される動物たちは屠殺されるまでの間、劣悪な環境下で飼育されている。もうそれは本を読んでいて、ウエーとなったので、いちいち書かない。が、ウエーとなる。
そして屠殺される瞬間においても、「動物たちの苦しみができるだけ軽減されるように」などといった配慮は一切されていない。動物たちは生まれてから殺されるその瞬間まで、動物としての尊厳が全くないままなのである。

②食肉生産に従事する人たち

私たちが「美味しいお肉」を食べることができているのは、動物を屠殺し、加工し、流通させてくれている方々がいるからである。こうした人々が適切な労働環境のもとで働いているかというと、そうではない。常に不衛生で危険な環境に身を置かれている。
そして私たちはこうした産業に従事している人を、何となくアンタッチャブルな存在だと感じてしまう。動物を殺すことは不道徳的であるという認識があるからだろう。しかし、こうした認識からは目を背けて、「美味しいお肉」を食べている。

③環境への影響

肉になる動物は、もちろん生き物である。餌を食べ、排泄をする。この餌のために森林が伐採され、排泄物から汚染物質が出ている。
食肉産業は、コストをできる限り抑えて生産量を最大限にするために、集約的な体制が取られている(CAFOという)。こうしたシステムが生成する環境への影響は計り知れない。

おわりに

このまま私たちが「美味しいお肉」を食べ続けることは簡単である。しかし、動物たちは尊厳のないまま殺され続け、労働者はいつまでも危険な環境下で働き続け、環境は汚染され続ける。
完全なヴィーガンになることは難しいが、少しだけでも肉を食べる頻度を減らすことや、代替肉で食事をすることは可能ではないだろうか。
目の前の肉と、屠殺された動物は、同じものである。この間に何があったのか、目を背けないことが重要であると感じた。

読んだやつ

読んだやつ。
①はじめての動物倫理学/田上孝一
ひよこちゃんのところとか泣きそうになる。

②私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか/メラニー・ジョイ
肉を食べるイデオロギーを「カーニズム」と定義して、考えていく。読みやすい。

③現代思想2022年6月号 肉食主義を考える
メラニー・ジョイが紹介されている。まだ全部読んでない。


とはいえ、ジビエめっちゃ好きなのだが、どうしたらいいのだろう。


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