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好きな人に声をかけたら返事が「ぽよ?」だった

運命の人ってほんとうに居るとおもう?

わたしは運命なんて信じない。
「ずっと好き。嫌いにならない」とか「一生一緒」とか「絶対別れない」とかそんな言葉に騙されたりしない。
これらのセリフ、今まで付き合った人全員に言われてきたけど結局全員と別れているじゃないか。

人は、一つ一つの言葉に責任を持ったほうがいいと思う。
もちろん他人事ではないから、自分もだけど。

だから、“ずっと一緒にいようね”って言われても“居れたらいいね”と返すのが精一杯やった。“好き”って言われても“ありがとう”って返してた。

そうしたら、気付いたら振られてた。



振られる理由はいつも一緒。わたしからの愛を感じられなくなったってみんな同じことを言う。
確かにわたしは「好き」って絶対言わないし、自分からLINEすることも電話することもしないからだと思う。自業自得か。原因はわたしなのか。



でも、じゃあわたしも相手に合わせて“好き”って言ってたら、今も付き合ってた?今も一緒に居てくれた?わたしから離れていかなかった?
そんな確証はどこにもないし、もしかしたら違う理由で別れることになって結果は今と何も変わらないのかもしれない。

それなら、わたしは嘘つきになりたくなかったから、やっぱり言わなくて正解だった。
そう思い込みたいだけなのかもしれないけど。



愛情表現ってそんなに必要?相手に言わないと伝わらない?
好きだから付き合ってるんじゃないの?

こういう思考回路は、父親譲りなのか(父親も同じ考え方)、自分がどちらかというと男性寄りなのか、分からないけど昔っからそう。小さいころから【言葉足らず】と言われ続けている。



日本語って本当に難しいし、言葉が多すぎても少なすぎても誤解を招くし、自分なりにうまく伝えたところで相手の受け取り方をコントロールできるわけじゃないし、言った言わないで揉めることもあるし、こういうことが起きるくらいならわたしは“相手と話さない”選択をしてしまう。

だから日本語が未だに下手だし、誤解されることもあるし、わたしの人生における一生の課題なんだろうなと。



今までの恋人が全員
相手の愛情表現>私の愛情表現
だったから、わたしの表現力が足りずに終止符を打つことになったんだけど、それでもわたしは自分より愛情表現が多い人を好きになるんだろうな。
それでいて、わたしから愛情を発信しなくても理解してくれる人が理想なんだと思う。

でも、そんな好都合な人なんていなくて、相手も同じ愛情表現をわたしに求めてくるのが普通。
確かに相手の立場になってみたら、好き好き毎日伝えてるのに何も返ってこなかったら普通に嫌だよな。当たり前だ。



真っ直ぐ言葉をぶつけてくる人を好きになるのは今でも変わらない。
これはきっと、自分が苦手としていることを悠々とこなす人に【憧れる】感覚のほうが近い気がする。



わたしは、人と人が付き合うのは“好きだから”という理由以上に“お互いを高め合う”ことに意味があると思ってるから、自分のできないことをたくさんできる人が好き。
それは決して能力に限らず、わたしが食べられないものを美味しそうに食べていたり、わたしよりよくしゃべる人だったり、わたしが知らない音楽を知っていたり、わたしのことを私以上に見てくれていたり、そういう些細なことも含めて全部。

支え合いながら、刺激を受けながら、高め合いながら、一緒に成長していけるような人がパートナーだともしかしたら「一生一緒」という奇跡も起きちゃうのかもね。



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っていう自分のスタイルを貫き通します、みたいな文章を書いておきながら、今の好きな人には“好き”って全力で伝えるようにしています。
言ってることぐちゃぐちゃだけど、わたしの根本の考え方ごと変えてきた相手だからね。本当に離れたくない。

この場を借りて。
好きです。一生一緒に居てほしいです。


はい、矛盾。笑

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