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12月29日

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光の速さで今年が終わってゆく。きょうは祖父母のお墓参りへ。

19から社会人として働き始めてずっと接客の仕事をしていたため、年末年始が休みだったことがこの10年余りではじめてなのだけれど、休みは休みで光のようにすぎてゆく。年末の大掃除に一週間前から手を出したのだけれど、まだ最終関門のレンジフードが終わらないまま、今年が終わろうとしている。

今年はすっぱり26日で仕事を納めて、それから特に予定があったわけでもないのだけれど、そこから3日間、秒である。秒。体感秒。

3日なんてぼんやりしていればそれだけで過ぎていく。年内が締め切りの課題とか、まだ出せていない年賀状とか、木材だけ切って貰ってそのままになっている本棚とか、年内に片付けたいことは山ほどあった。物事に優先順位をつけるのが死ぬほど苦手なのだけれど、とりあえずこの3つの作業の優先順位はわかったので、優先順位1位から手をつけることにした。年賀状である。

フォトショを開いてデータを作る、まではできていた。ただ何となくデザインが気に入らず、一晩置いて考えよ(よくやる)と思って一週間くらい経っていたデータ、再度開いてみるとまあこれでいっか……となったので、そのまま使うことにした。

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シンプルなデザインにしたので、余白が山ほどある。シール集めが趣味なので、ここぞとばかりに貼った。年賀状、喪中だったり忙しかったりで近年は書けなかったことも多かったのだけれど、手紙を書くのがすきなので、お気に入りの極細のボールペンとシールでちょちょいのちょい!である。ここぞとばかりにクレヨンしんちゃんのシールをおろした。かわいすぎる。

年賀状を終わらせ、課題をキリがいいところまで済ませたのが昨日の深夜。課題、あと論文(白紙)とアイソメ図(真っ白)と、昨日書いた図面の着彩がまるごと残っている。あと3日しかない。そしてわたしがやるしかないのである。

そうして時間に追われている年末、師走って感じ。12月に限らず年々日が過ぎるのが速く感じていくけれど、来年こそはもう少しゆっくりしたいなあと5年前くらいから思っている。


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そして、今日のはなし。

祖父母のお墓は父方の田舎にある。ここで生まれ育ったわけではないけれど、長期休みや週末に行っては、野山を駆け巡って育った。

田んぼが広がる畦道の脇には用水路が流れ、水が綺麗だったので野生のメダカが泳いでいた。夏はそこでメダカやヤゴ、オタマジャクシやザリガニ、ヤモリなどをとって遊ぶか、上の池でブルーギルを祖父の兄が作ってくれた竹製の釣竿で釣って遊ぶか、海に行って泳ぐか、ヘビを探しにいくか、とにかく何にもない場所だったけれど、遊びには事欠かなかった。秋には背より高いススキが茂って、少し山を登ればみかん畑が広がっている。わたしが幼い頃はまだ祖父の兄が存命で手入れをしていたので、みかん畑も良い遊び場だった。収穫に使うコンテナに乗せてもらい運搬用のモノレールで山を下ったり(ジェットコースターみたいで楽しかった)、野生の孔雀を見つけて逃げたり、親とはぐれた野ウサギの子ウサギを保護したこともあった。運動神経はアメトークに出られるくらい皆無でどんくさいのだが、不思議と大きな怪我をしたことはない。

山の中腹にある祖父母の家からは、窓を開ければすぐに海が見えた。山と海両方がすぐ近くにある暮らしは、いまでもすこしだけ懐かしく、いとおしい。

祖父母が亡くなってもうしばらく経つけれど、人がいなくなった祖父母の家が寂れていくのはやはり寂しく感じてしまう。ギシギシ軋む廊下、急な階段、いくつになっても夜ひとりで行くのが怖かった離れのトイレ。夜中はたまにネズミが大運動会を開いていて、泊まるたび祖母が笑っていた。あの家を思い出すとき思い浮かぶものには、かならず祖父母の顔が入っている。いろんなことがあったのだけれど、わたしは祖父母がすきだった。小柄で穏やかな祖母と、大柄でなんでも自分で作ってしまう祖父。もう会えないからこそ思いが募るというのもあるかもしれないけれど、会えなくなってしまったいま、ああしておけばよかったなとか、あのときこう言えばよかったなとか、そんな後悔が山ほどある。そしてがらんとした祖父母の家に行くたび、そのことも思い出すのだ。


とはいえ一番近い商店まで車で30分、イノシシとネズミと虫と戦いながら暮らす暮らしに踏み出す勇気はわたしにはない。わたしは一度しか遭遇したことはないが、最近はサルも相当出るらしい。

住めるかどうかは別として、好きかどうかと言われれば好きだと答える。いまでもたまに、屋根に登ってばあちゃんのおにぎりが食べたいなあと思うし、大鍋いっぱいに作られたおでんが食べたいなあと思うし、じいちゃんが作ったところてんが食べたいな、と思う。外に出たらすぐに海が見える暮らしも、たまにいいなあと思うことがある。でもまあ、わたしはここでは暮らせないんだろうと思う。仕事も便利さも、ここにはない。あとはやっぱり、田舎ならではの近所付き合いというものが人見知りにはきつかったりもする。

でもやっぱり、この家がすきなんだよなあ、と思った。たぶん思い出が山ほどあるから。

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きょうは雨は降らなかったけれど、生憎曇りだった。

パラグライダーがいくつも飛んでいて気持ちよさそうだった。気持ちよさそうとは思うが、若干の高所恐怖症のためやりたいと思ったことはない。母はいつかやってみたいらしい。嘘でしょって百回は思っている。

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いつのまにか虫が苦手になったなあ、と思う。むかしは蛇でも虫でもなんでもござれだったのに、いまはもう触れるのはバッタまでである。セミもちょうちょも絶対無理。爬虫類両生類は全然平気なのだけれど、成長とともに虫だけがダメになった。

それが大人になる、ということなのかもしれないけれど、大人になったいまだからこそ、喪ったものが愛おしかったり、泣けてきたり、そんなふうに思えるようにも思う。できるならもう少し、大人になったわたしを見てほしかったな。そんなふうに思いながら、毎回手を合わす。

「じいちゃんばあちゃん、来たよ」。

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