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『中学1年生日誌』 あとがき

昨年の4月12日に始めてから丸1年。
ようやくこの「あとがき」まで辿り着きました。

とある中学生のとある年の1日を空想で描く『中学1年生日誌』という形で一年間毎日、絵を投稿させて頂きました。“頂きました“と言っても、誰に依頼されたわけでもないので描きたくて勝手に私がやりました。壁にペンキで落書きして捕まった人の供述ですね。


まずは何かのタイミングでちょこっとだけでも覗いてみてくれた方、ありがとうございます。また、このあとがきをキッカケにこれから見てみようかなと思って下さる方ももし居られましたらそれも嬉しいです。note. あるいは twitter の方でまとめて見られるのでこの機会によろしければお願いします。

ちなみに一応、お伝えしておくと中2には続きません。ここでおしまいです。急に死んだり劇的展開もなく日常は続いていきますが描くのはおしまいです。


note.の『中学1年生日誌』

twitterの『中学1年生日誌』


改めて昨年4月の最初の方のやつを自分で見直していますが、いや、しかし絵、下手ですね。あまりの下手さに今、引いてます。

そしてついでに、昨日あげた最新のやつも見ていますが、別にこちらも下手ですね。言うほど特に見違えもせず絵は下手なままです(字もな!)。引いてます。

まあそんなわけで、描いた本人ですら引いてる程の絵日誌に進んでお付き合い下さる“慈愛と寛容の権化“のような、今、こちらをご覧の皆様のことですから、

ついでに最後、少し語り入っちゃってる「あとがき」の方にもお付き合い頂けたら幸いです。下記、つまらぬ文字列ですがどうぞお納めください。





 特に絵の心得があるわけでもなく、普段、絵を描く習慣が全くないのにこんな試みを始めたのは本当に思いつき、キッカケはお察しの通りというか、やっぱり新型コロナウイルス感染症蔓延の影響です。

昨年4月の1回目の緊急事態宣言で、例に漏れず私も仕事が突如大方休みになり、ほぼ自宅で過ごす事になりました。当時は現在よりも感染症の実態も対策も手探りで、街には人がいなくなりマスクが売り切れ、世の状況は不安定そのもの。一体どうなるんだろう?と正体の知れぬ恐怖、説明しようのない心の不安を感じました。ニュースをつければ連日連夜、胸が締め付けられるような出来事ばかり。

そのせいなのか、じゃあ何をしよう?何かしないと落ち着かない!と思いつつも、積ん読してた本を読もうにも不思議なくらい全く集中力が続かず2ページ読むのが苦痛、ゲームや漫画やアニメや映画も同じく(※ジェイソンステイサム主演作以外)(詳しくは『あなたの事が気になっています。』 第1回をご覧あれ)、テレビはNHK『みんなで筋肉体操』の時以外つけていたくない、ジョギングも感染リスクがあるというし、仕事で役立つ資格やスキルの勉強しよう!というピンチをチャンスに変える気力も湧かず、有力スポーツ選手や政治家に「頑張って乗り越えよう!」と語りかけられても、正直「うっせっ黙ってろ」としか思えず、物理的にも精神的にも何かしてないと気持ちが保たないけど何も出来ないという感じでした。




そんな私の些少な悩みは置いといて、もちろん実際もっと大変な思いをされている方は想像も及ばない程、計り知れずきっと多くおられて、

影響は大人ばかりでなく全国のあらゆる学校でも新学期早々、というか入学式も行われず、登校すらも出来ず、行事も中止で運動会も遠足も何もかもなくなるなんて…とニュースなどで見聞きする度に「特に今年度、新入学予定だった方は影響が大きくて可哀想だな…」とまずは思いました。

と、条件反射で思っちゃったんですが、しかし「可哀想」なんて決めつけるのも失礼な話では、と思い直しました。それってきっと大人の勝手な思い込みで押し付けな発想なんじゃないかと。

個人の意志や思いでどうにもしようのない大変な事や辛い事、もちろんそういう特殊な状況下に置かれつつも、でもきっと当事者じゃない私などが想像するに及ばない、他の誰のどの時間とも比較できない、その人の普通の1年、そして特別な1年をそれぞれの方が過ごしてるんだろうと思います。それをまるで空白かのように呼んでしまうのはあまりに雑で想像力が欠けています。

大人の思う「普通」はもう古くなった普通で、今ある普通もそのうち過去の普通になります。それぞれの違う状況や場所や時代を単純比較するのは意味のない事ですし、良いも悪いもないと思いたいです。何があろうとそこにはその人の確かな1年があって、自分たちと比べて可哀想なんて見方は失礼なんだろうと思います。




で、そんでもって、ここからなんですが、大人側から思う「送らせてあげたかった・送って欲しかった普通の学生生活の一年」って、そんなに楽しくキラキラした素敵なものだったっけ?「普通」ってそもそもなんだよ?というのもよくわからなくなりました。

まず、改めて自分自身の学生生活ってどんなだったっけ?と考えてみたんですが、すぐには…というか記憶を探っても探っても全然思い出せませんでした。自分でも驚くほど思い出せません。

運動会、文化祭、登下校、部活、確かに経験したはずなんですが、憶えているのは断片も断片、「シロアリがやりたい放題の木造建築」または「ネット注文受け過ぎたおせち」みたいな激スカスカ状態にしか思い出せません。「通学路の途中のあそこの金網は破れてた」とかどうでもいい事は妙に覚えていても、肝心なイベント毎などの記憶は遥か彼方にあって探り当てられそうな気配すらありません。

それでも無理やりなんとか脳内から掻き集めた思い出をピース数の少ないバカなパズルみたいに組み立てて、例えば中学時代で総括して考えてみても、掛け値なく楽しかったなあ、なんてちっとも思えないですし、当時も思ってなかったと思います。

どちらかというとクッキリ記憶が蘇るのは嫌だった事・辛い思いをした事の方が圧倒的に多く、どう美化しても楽しいばかりの中学時代ではなかったと断言できます。で、それが普通なのかはわかりませんが、私だけが特別そうだとも思えません。

もちろん「今でもすぐあの頃を思い出せる!どう振り返っても超楽しい中学校生活だった!」というのが普通の方もいるでしょうし、それぞれの普通があるんだと思います。例えば、運動会があったとして臨み方はそれぞれで、もちろん楽しみに思う方もいる一方で、なくなってラッキーと思ってる、そんな方もいるかもしれない。

どう感じるのも自由だし普通だし、それを比較なんてできないし、どんな一年をどう過ごそうがあなたの過ごした今年は普通の今年であり、特別な今年なんだと思います。なんかまぬけな禅問答みたいになってきました。




そんな事を考えてたら取り留めがつかなかったのと、結局、中学時代がほとんど思い出せなかったので、試しに私が想像出来得る限りの「普通の中学生活」を空想で描いてみようかな?と『中学一年生日誌』を始めてみました。当時の記憶がないので逆に題材としてはフラットに取り組めるかもと。

今を生きる子供たちにメッセージを伝えたいみたいな姿勢は元々なんか嫌いですし、公共の場での思い出&自分語りも愚かしいので、1個乗っけて空想絵日誌に。1日の中にいくつも出来事があるとして、出来るだけ特別幸せでもない、本当にただただ何でもないシーンの方を選んで切り取っていこう、というのは最初になんとなくルール付けして決めました。

もしご覧になって「中学生ってこんなんじゃねえよ!」と思った方がいらっしゃったなら大丈夫です、私も同感です。私もこんな中学生活は送ってませんでした。「嘘つけ、こんな楽しそうなことばっかなわけないじゃん!」と思う人も大丈夫。そう、嘘です。創作です。


設定を中1にしたのもその辺の理由です。小学生や高校生では子供過ぎたり大人過ぎたり、中2や中3になると思春期や反抗期を向かえて色気づいたり毒気づいたり。イメージですが大人への入り口の手前で最後の最後でウロウロしてる、なんか1番自分で自分がわからなかった時代で1番楽しそうだったのが中1。そんな中1の「こんなだったらいいのにな。」をテーマに毎日せっせと落書きしてみた感じです。

ただ、コロナ禍中に一切、その事に触れない辺りを特に説明もしてないので、見ようによっては今を生きる学生の方への当てつけみたいに見えなくもないのかな…とは懸念はしたのですが、

「ま、こんなnote、誰も見ないや。」という思いが私の背中を押してくれました。特に否のご意見も頂かなかったので読みが当たりました。狙って保った低いアクセス数が功を奏しましたよ。




さて、面白くもない話を長くすみません。そろそろ締めます。

在宅時間を持て余し、多分に漏れず家の大掃除とかを始め、押し入れで発見した100均の筆、絵の具とパレット、大量の使いかけの画用紙、マジックペンで思いつきで始めた絵投稿。

絵心も素養も経験もない分、やってる間は新鮮で気がつくと4〜5時間経っていたり。コロナ禍中においての精神安定上、すごく助かっていました。人様に公開しといてなんですが作業そのもの自体を目的にやってました。

「作品」と呼べるほどのクオリティには到底到達してませんが(自覚あり!恥ずかしさを殺しながらやっております!)、それでもやって良かったと思えたので、今、達成感が割とあります。このあと取っといたワイン、開けちゃおうと思ってます。



今年2021年がどんな一年になるのやら。まだまだ全然見通せませんし、何が起こるのか分からない状況下で引き続き、生きていくことになりそうです。

昨年の一年が結局どんな一年だったのか。その正体はそれこそ今の世界線を生きる学生の方や子供達、もちろん既に大人の皆さんも、この後、例えば今を振り返って後々作られる何かの作品とか、語られるお話とかを通して教えてもらえるんだろうなと思い、不謹慎ですがそれは楽しみにします。

そんな季節を迎える時まで、どうかこれを読んで下さった皆さま全員漏れなく、ご機嫌に過ごしてくれればと願います。

最後の最後の「あとがき」までご覧頂きましてありがとうございました。


お昼の春菊

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P.S

(ここまでで充分ウザいくらい長いのにPS)
( note ユーザーの方以外は読み飛ばしてね的PS)

誰に見せたいということもなく、ただ読み返す時の自分を楽しまそうと思ってやってた『中学1年生日誌』でしたが、改めてご覧くださった方、更には周知拡散までしてくださった方、お歳暮送ります。

1回目の緊急事態宣言下の5月頃までの間に、絵は7〜8月分くらいまでは進んで出来てしまって「この分なら楽勝で完走できるだろう」とボンヤリしていたら、仕事がまあまあ忙しくなったりした最後の方は今日描いたやつを今日出すみたいな自転車操業。健やかな精神を保つために始めた事が、仕事終わりに夜更かししてなんとか明日分だけやるみたいな感じになり「めんどくせっ!なんでこんな事始めたん、4月の私!」と己を呪いつつ、でもやってる時は夢中で没頭できた感じでした。

今回、初めてnote.を利用して投稿しましたが、noteにはイラストを投稿してらっしゃる方もたくさんいて、掛け値なく私より1000倍上手な方ばかりですが、

“上手な方の獲得する1000いいね“と“1000分の1の技量で得られた私の1いいね“は等価値とマジで思ってるので「また見てくださってるじゃん!」と毎日興奮してました。他人事みたいに「世には物好きな人がいるものだな」とは失礼に言うと思ってました。どう見てもプロのイラストレーターの方が覗いてくれたような感じもどうやらあったりして「嘘〜?」と心から思いました。

そんな方々の創作ページも読ませてもらったりはしたのですが、じっくり見てしまうと能力の差にやる気が霧散してしまいそうだったので弱小アカウントが偉そうにノーリアクションで、そこは大変申し訳ありませんでしたと思ってます。ゴールが見えた最近になって前から気になっていた素敵投稿をされてる方の所に急にフォローし行ったりしたので不審に思った方がいたらすんません。そういう理由です。

という事で、私のフォローリストを覗いてもらうと、私が厳選した素敵記事を投稿されている方ばかりが出てくるのでオススメですー。

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