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ウィッシュリスト

ずっと前からそこにあったものに気づく時、怖いとか嫌だとか見たくないとか、そんな風に思うかもしれない。
たとえ、それが本心からのものであっても。
心からの願いは長年の生活の営みの中で最も必要とされず、役に立たないものとして片隅に追いやられ、蓋をされ、忘れ去られているものだ。


物心ついた時には、漫画好きが高じて漫画家になると決め、新聞の折込チラシの裏が白いものを取っておいて、ブツブツとセリフを言いながら少女の横顔ばかり描いていた。
上手にできた気に入ったものを眺めてひとり悦に入っていたが、母はそんな様子を見ていつも嫌そうな顔をしていた。



そんなものばかり描いて。
きつく小言を言われるうちに漫画を描くことが悪いことのように思えてだんだん隠すようになっていった。
部屋に母が入ってくると同時にチラシを裏返して知らんぷりをしていたが、もちろんそんなのは母にはお見通しだった。
また漫画なんか描いていたのか。
その責めるような口調がたまらなくなった。
そして横顔だけ描いていても漫画家にはなれないこともわかっていた。
ひとつめの願いはそうやって消えていった。


英語が好きで、いつか留学したいと夢見て本屋で留学ガイドを買って読んだことがある。
留学費用はびっくりするほど掛かるものだと知った。学生だったわたしがバイトして稼げるような金額ではなかった。
母はその本を見て眉を吊り上げた。
何考えてるんだ。
自分一人のことも何も出来ないくせに。
おまえが向こうでやっていけるわけないだろ。
お金もなく、気概もないわたしはそうかとあっさり諦めた。


友達グループも気が合わないと思えばすぐに離れ、専門学校もバイトもここじゃ息ができないと思えば、嘘の理由をついてでもさっさと辞めた。
続かない。諦めが早い。
ひとはどうやって普通に働いて生活できるのか。
わたしはどこかおかしいのか。随分悩んだ。
辞めたくて辞めたというより、辞めなければならない、という思いが強かった。
我慢や努力が、足りないのか、要領や頭が悪いのか、どれもそうだと思った。


今振り返ると、何ひとつ後悔はない。
こうなりたいと願ったことは今ちゃんと叶っている。
あの時、失敗した、馬鹿なことをした、人から理解されず、誰かを泣かしたこともすべてここに至るまで必要なことだったのだと無い胸は張れなくとも、恥ではない。



今、新たなウィッシュリストが生まれた。
タロットカードをもう一度夢を叶えるためのツールにすること。
人々の眠っている願いを起こして心に火をつけること。


自分自身に目をやり、創造性を育てていくことは他人に対する不要な介入を防ぐことになる。
求められていないアドバイスをすることも、それに従わないことに腹も立たなくなる。
ひとをコントロールしようとすることも馬鹿らしいと気づく。
自分を尊重できる。
卑下しなくなる。
するとひととの健全な境界が生まれ、他者を尊重し、陥れることを良しとしなくなる。


学校や会社でのパワハラは社会のいじめだ。
子供、大人は関係ない。
社会にタロットを通じて自分と向き合うやり方を広めていきたい。
いじめを根絶したいという願いは叶うだろうか。


みーちゃんのような知的なハンデがあるひと。
お年寄り。
精神的にハンデを抱えているひと。
子供たち。
心が傷つき、動けなくなってしまっているひと。
そんな人たちがそれぞれの垣根を超えて一緒に生活できる大きな家。
出入りも自由。
森があり、川がある、広い敷地に風が渡る、そんな場所。
そこで野菜を育て、お米を作り、鶏を飼い卵を貰う。


いろんなハンディキャップを持つひと、様々な背景を持つひと、それらが交じり合う生活が本物の生き方だと思う。
その中で会社を興すひとがいて、仕事を通じて社会参加ができ、笑顔でただそこに座っているだけの人がいて、寝たきりでもいるだけでいいひとがいる。


そんな楽園を創る為にはたとえ3億あっても足りないといったら、そんな与太話に付き合ってくれていた友人が、もう口に出した時点でそれは叶うんだよと真顔で言ってくれた。
そっか、じゃあ銀行に10億融資してもらえるくらいになるかも、と大風呂敷を広げて2人で大笑いした。



まだまだウィッシュリストは増えていくばかりだ。
3億なんてものじゃない、10億を動かせる女になるのだ。






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