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5歳児が砂場で人生を学んだ

幼稚園に通っていたのは2年間。
お隣の子と手を繋いで先生に先導され、2列になって歩いて園まで通った。
今でいう保育園のお散歩状態だ。
紺のスモックにバッジをつけて黄色い園バッグを斜め掛けにして、頭には黄色い帽子。
一歳半下の妹は登園しようと歩いていくわたしの後ろを泣きながら追いかけていったのよと母から聞いたことがある。
あーちーねーちゃーん!!
(あたしのおねえちゃん)

園では園長先生が文字を教えてくれた。
書き取りの時間だ。
それが終わって先生に花丸を貰えれば、園庭で自由に遊んでもよいということになっていた。
わたしは砂場で使う砂をふるう道具が使いたかった。ほかにも砂場で使えるものはいくつもあったが、いつも競争だった。
鈍臭いわたしはいつもタッチの差で奪われて間に合わなかった。
この書き取りの時間だけがチャンスだった。


わたしはいつも一番に靴を履き、砂場めがけて走っていった。
誰もいない砂場に着くと、いつもなら使えないふるいやシャベル、プリン型などがいくつもあった。にんまりと優越感に浸っていた5歳児。
うれしくて靴の中に砂が入るのも構わずシャベルで掘る。
深く掘っていくと少し濡れたような重い砂が出てくる。それをすくってパンパンにプリン型に入れ押し固める。
それをそうっと上から抜くと可愛い砂プリンができあがる。その上から乾いたサラサラの砂をかけるとさらに美味しそうに見えて満足する。


ただ気づくともうたくさんの子達が砂場に押し寄せてきて、わたしの使っていたふるいやスコップも後から来た子にさっと取られてしまい、わたしは返してとも一緒に遊ぼとも言えず、黙って砂場を離れることになることが常だった。
砂場は遊ぶと同時に人との関わりを学ぶ、ある意味戦場だった。
特に内気で意思を伝えられない子供には過酷なレースだった。
ストレスを抱えていた、たったの5歳児。


わたしは幼稚園に行きたくないとごねたことはなかったらしい。
でもね、園について靴を脱いで上履きに履き替えると大きな姿見の前でベソベソ泣いてるんですよと先生から言われてね。
そう母から聞いたことがある。
そう言われたところでわたしにはまったく覚えがなかった。そんな風にわたしは鏡の中の自分に慰めてもらっていたのだろうか。
嫌な記憶はどこかに押し込められ、消されてしまうのだろうか。


何度わたしは言いたかったろう。
そのスコップ、わたしが使ってたんだよ。
貸して。
よかったら一緒にあそぼ。
小さい声で聞こえないような声で、わたしは心の中で何度も反芻していた。
よし、言おう。
そう決めて握った拳は汗をかいていた。
声を出そうと息を吸うが、やはり飲み込んでしまう。
みんなと一緒にお山作りたいな。
向こうとこっちでトンネルを掘りっこしたいな。
一緒に砂プリンをたくさん作りたいな。


声に出して言わないと伝わらない。
自分から近寄らなければ相手にはわからない。
仲間に入れて。
一緒にやろう。
人生はこれを言えるか言えないかで決まるのかもしれない。
5歳だった小さな子供が今もわたしを見ているのだ。

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