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2004年と2005年、甲子園、レフト外野指定席

本記事は、2016年に自分がブロマガに書いたブログの記事です。
ブロマガが今秋閉鎖になるということで、記録として転載します。

2016年に2003-2006年の甲子園ビジター巨人戦を回顧して書いた記事になります。
当時の関西在住の巨人ファンの観戦記録になり、それなりに貴重な体験記と思いますので、noteを使ってネットに放流したいと思います。

それではどうぞ。

はじめに

以下に記すことは、特に、特定の対象(球団やファン)に対する文句や要望や抗議でもなく、いち野球ファンとして私が体験した観戦経験ことの備忘録のようなものです。
現在は無くなった風景であり、それ自体は今となっていい思い出であります。
ただ、今から10年ちょっと前に「巨人ファンはこんな環境で甲子園の外野応援をしていたんだ」という事実を残しておきたくて、書き記しておきます。
客観性を持たせるため、当時の事を記録してある文書や、ネット上の情報を探してみましたが、十分な資料が見当たらなかったので、自分の脳内にある記憶がソースです。
既に、10年以上の時間が過ぎているため、記憶に誤りもあるかと思いますが、ご了承いただいた上で、ご覧いただければ幸いです。
もし当時の甲子園のレフトスタンドについて何か、記憶のある人がいればご教示いただければと思います。

2003年、甲子園、レフト外野自由席

2003年、長年低迷していた阪神タイガースが、星野監督の指揮のもと18年ぶりにセリーグを制覇、関西地方は大いに沸いた。
ただ、生憎、私は関西生まれ関西育ちの生粋の巨人ファンでした。
その年、私は大学一年生で、親元から離れ、大好きな巨人の試合に惹かれ、欲望のままに甲子園で行われた阪神巨人戦のほぼすべてをレフトスタンドで観戦しました。
渦中の阪神タイガースの快進撃を疎ましく思い、そして原監督の電撃解任決定後にその年の最終戦が行われた甲子園で「辞めるな!辞めるな!」と声をからして叫んだものです。

当時の観戦のスタイルはこんな感じでした。
まず、2003年当時、甲子園の全ての試合で当日券が設けられていました。
どんな人気なカードでも(優勝決定試合でも)、必ず当日券があったのです。
少なくとも、全ての巨人戦では、試合当日に「レフト外野自由席」が、午後3時から発売されていました。
それを目当てに、大学で受ける講義もほどほどに12時頃から外野入場門近くのチケット売り場に並び、3時にチケットを購入し入場、6時のプレイボールまで練習を見ながら待つというのが、2003年の観戦のルーティンでした。

当時は、レフト外野は全て自由席です。(ひょっとしたら下段は指定席だったかも…)
巨人の応援団は、赤組(読売巨人軍応援団の大阪支部)が下段、黒組(G-FREAKは2002年に解散になっているが、その残党のような人たち)が上段で応援活動をおこなっていました。
基本的なリードは赤組で、黒組がそれに追随する形式でしたが、時々、すれ違いが生じてちぐはぐになることもありましたね(チャンテのタイミングなど)。
ただこの時はまだ、レフト外野席が「自由席」だったので、優勝街道をひた走る阪神ファンを横目に、巨人ファンは寒さを耐え忍ぶ小動物のように固まり、声を届けることができたのです。

2004年と2005年、甲子園、レフト外野指定席

阪神の優勝熱は冷めやらぬ2004年。
巨人の人気が低迷していく中、阪神人気にあやかり阪神巨人戦を「伝統の一戦」なんて呼ぶようになったのは、この年からだったと思います。

この年、阪神球団はチケットの販売方法や席割りに変更を施しました。
自由席の削減です。「席取り」などでのトラブルを避けたかったんでしょうね。
球団としては、自由席を減らして指定席にすることで、多くの収入を得ることができるし、ファンとしても自由席の席取り競争をしなくて済むので、一見、win-winに見える変更ですね。

自由席を「減らす」だけならいいんですが、巨人戦に限ると自由席は無くなり「全席指定席」になりました。
レフトスタンドに限ると、「レフト外野下段指定席」と「レフト外野上段指定席」の2席種になったわけです。
この全席指定席化が阪神ファンと巨人ファンの間にいらぬ軋轢を生みだすこととなのです。
ちなみに現在のように、レフトスタンドにビジター席があればいいんですが、ビジター席が設けられるのは2006年からのことです。

ましてや、阪神の勢いの絶頂期です。
上段に限れば4000席、また下段なら6000席をビジターファンで埋めるなど、到底不可能でした。
特に球団や応援団から「巨人ファンは上段に集まろう」といったような申し合わせも、周知すらもありませんでした。
結果、2004年の指定席化されたレフトスタンドでは、大多数の阪神ファンの中に、巨人ファンが散り散りとなって配置されることになったのです。

ちなみに巨人以外の球団は幸運(?)なことに、2005年までレフトの上段に自由席が残ったので、そこでまとまって応援ができたようです。
それでも阪神ファンの数は非常に多く、甲子園の中継を見ていても、ヤクルトや横浜はトランペット以外の応援は耳を澄まさないと聞こえない有様でした。

さてこの結果どういうことが起こったかは、想像に難くないでしょう。
関西在住の巨人ファンがレフト指定席を買う→阪神ファンに囲まれる→まともに応援ができない→観戦から離れる→阪神ファンの占める割合が増える、という流れが起きます。

自分が今のように結婚し子持ちであれば、しばらく甲子園での観戦はあきらめていたでしょう。
しかし、当時の自分はと言うと、若干20歳で血気盛んな若者だったという事もあり、根拠のない反骨心に燃え、甲子園に通い詰めました。
指定席に着くと、基本的に前後左右は阪神ファンです。(阪神ファンの友人と見に行き彼らが隣に座ることはしばしばありましたが、半分以上は1人で観戦していました。)
僕が席に着くと周りの阪神ファンの方の多くはすごくバツの悪い顔をされます。
けど、そりゃそうですよね。今日の敵なんですもん。仮に自分が逆の立場でも、同じような態度になると思います。

試合中、阪神の攻撃中は四面楚歌ならぬ、四面虎歌ですが、こちらも負けじと表の攻撃では声を上げます。
「ここはレフトなんだ、ビジターの応援をして何が悪い。恨むのなら、こんな席割りにした阪神球団を恨め」くらいの心持ちで応援していました。
ただ、カッとしても阪神の選手やチームに悪態はつかない事、なるべく笑顔でいる事、立たない事は心がけていました。

このような自分に対する周辺の阪神ファンの反応は本当にバリエーションに富んでいました。
良い場合は巨人のチーム状況や自分のおかれた環境に同情してくれる人(ビールをおごってもらったこともあった)、悪い場合は巨人が点を取ると後ろから蹴ってきてこっちが注意をしてもしらばっくれる人、警備員を呼んで自分を追い出そうとする人(巨人ファンを見ると子供が泣くらしい)、阪神が負けたら飲み物をかけてくる人、勝ってもカンフーバットで叩いてくる人、胸ぐらつかんで悪態ついてくる人…。
書き連ねると悪い場合が多いですが、そりゃこの環境ですもん、お酒も飲むでしょうし、エキサイトな空間ですから、今となってはなるべくしてなったのだと思っています。
幸いに、被害はかばんや服が汚れただけで、具体的な外傷は無く、少し心に傷を負ったくらいですからね。

やはりこうした環境なので、2003年と比べると、自分だけではなく、レフトスタンド全体で細かいいざこざが増えたと感じました。

応援団ももはやほとんど機能していない状況です。
レフトスタンドの巨人ファンは分散していますから、下段で応援活動を行う赤組の目の前には阪神ファンが大勢座っており、彼らに向かって応援を行うという、異様な光景が当時のレフトスタンドにはありました。
黒組は、仲間内のレフト下段指定チケットを集め、自分たちが貯まりたいエリア(上段)で観戦予定の阪神ファンとチケットを交換したり、最上段の49段目とその後ろの人一人が立てるスペース(彼らは50段目と呼んでいた)で応援活動をしていました。
ただ、こんな状況で、統率が取れるわけありません。
なんとか、声を合わせようとするのであれば、赤組が応援に使うブロックサインを覚えるしかありませんでした(3コール前にパーを出すと「ホームラン!ホームラン!○○」、バットを振るポーズで「かっ飛ばせ!かっ飛ばせ!○○」等。ブロックサインはこの時の経験で全て覚えてしまいました。)。
9回表に、阪神がリードしていると、もはやブロックサインの確認すらままなりません。
「あと一人」「あと一球」コールに、我々の声はかき消され、自分の声すら自分に届かない。
これほどの「多勢に無勢」を経験したことは、ついぞありませんね。
もちろん巨人が負ければ、そそくさと帰ります。
ただ、これはビジターファンの宿命でしょう。

悔しいことは悔しいがその逆もあります。
周囲は9割7分が阪神ファンという状況で、巨人が勝てばどうなるか?
関西在住の巨人ファンにとって、最高の瞬間が訪れるのです。
4万5千人が肩を落とし球場を去る中、残された500人ほどの巨人ファンがレフト外野席の下段に集まり二次会で盛り上がる。
世界屈指の規模の球場がガランとする中で、球場の照明を落とされるまで、ビジターファンが占拠し、応援歌を歌い続ける快感たるや。
こんなカタルシスはめったに味わえるものではないです。得も言えぬ征服感を感じることができるのです。
当時も巨人の補強は品のいいものではなかったし、監督も好きませんでしたが、当時の関西における抑圧された巨人ファンの欝々とした気分を、敵地の甲子園で選手たちが一掃してくれるのであれば、文句は言えませんでした。

かくしてこのような環境で、関西在住巨人ファンは2年間、レフトスタンドから声援を送り続けたわけです。
その間、野球観戦を止めてしまった巨人ファンもいるでしょう。
なんといっても、レフトスタンドは阪神ファンにとっても巨人ファンにとってもストレスフルな環境でしたからね。
晴れて2006年には、ビジターシートが設けられ、ファン間の余計な軋轢は減り、観戦と応援がしやすくなりました。
阪神球団には感謝感謝である。
(一部の阪神ファンが他球団ファンへの嫌がらせのために、わざとビジターシートで観戦するという事案が新たに発生したが、それはまた別のお話…)

むすびにかえて

散文的でありましたが、これが自分の経験した2004年と2005年の甲子園での巨人ファンによるビジター応援です。
当時は、確かにネット文化はあったものの、SNSはmixiがようやく出かけたくらいで、いくつかのテキストサイトや日記サイトがあったに過ぎません。
その中で、甲子園で応援し続けた阪神ファンの記録は散見されるが、ビジターファン(特に巨人ファン)による記述は多く残っていません。
ともあれ、今思い返してみると、かなり面白く、稀有な経験をしたなと思ったがゆえに、このように記録してみました。

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