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「これじゃなきゃイヤダー!」というこだわり

写真↑↑は、これじゃなきゃもう字を書きたくない!というペン!

ちょこっと頭の中の会話の言語化。

今読んでいる本で、憧れの生活を擬似体験することで、
セルフイメージが高くなり、やる気が湧いてくる! という項目があった
高級=憧れ に繋がるわけではないけど、日常から遠いものほど憧れにはなる。

私は10年程ツアコンをしていたのだけど
たまたま、恵まれていわゆる高級ツアーに添乗させて頂くことが多かった
新幹線は、グリーン車。ハイクラスの宿。特別な見学。特別なお席。船旅のフォーマルナイト。このツアーだけの特別な待遇。フランス料理、懐石料理etc
私の生活ではまだ到底できない体験を、非日常の仕事にいたおかげで、体験させて頂いた。これも生活のように続けていると、自分の生活のような錯覚に陥っていく。

もちろん、仕事なので、全ての時間が当てはまるわけではないのだけど、仕事が終わり一人ホテルの部屋の大きなベッドに沈み込むとき、ホテルのアメニティーを使う時、窓の外の景色を見るとき、食事をするとき、非日常の生活のはずが、私の日常とすり替わる。

お客様をお部屋に送って、自分の部屋の鍵をもらい部屋へ行くと、なぜだかお客様より良いセミスイートの部屋が出ていたことがある。添乗員は一人で泊まるのだけど、ダブルベッドの部屋は年齢が上がると好まれないことも多いので、その部屋があぶれたのだろうと思われる
時には、部屋がないこともあって、そんな時はなんとか空いているビジネスホテルに行くこともある。

いいこともそうでないことも含め、非日常なんだけど
私の体感覚や、視覚情報に、そういう非日常情報が多く書き込まれているのも事実
日常の生活にもすぐに戻れるけど、憧れの生活の絵面はすぐに思い浮かぶ。

なので、そうよね〜憧れの体験はとてもハイソなセルイメージに繋がるわ〜〜
なんて、共感しようと思ってた

のだがっ・・・
同時に「非日常つながり」で反対のベクトルに思い浮かぶ絵面がモリモリ出てきた。

もちろん、そんな良い仕事ばかりではなく、時にはハッと息を呑むような部屋もあったりする
靴下を脱いで畳に足を乗せた途端、べたっと張り付くのなぜだろう・・? 
掃除した? そういう畳なのか? 
まあ、そこに足をつけることは私には無理だった
なので入り口の近くに布団を敷きそれ以上のエリアを歩かないことにした。

なぜ、私の部屋の窓の前に電信柱があるんだ!景色が台無しだ!とお客様に怒られて、三時間正座させられ怒られたこともあったっけ
正座しながら寝そうになった。

食べ物の価値などは、もう驚くほど違うへッ?と思うことたびたび
創造力をたくさん使った
えっと私は夕飯たべたっけかな〜?と食べたことを忘れてしまう、ボケたのか?
となるほど・・少食向けのメニューとか
これは新メニューの漬物バイキングなのか?いや、オーガニックな体に良いメニューです、みたいなのとか
くるくる寿司を5回転くらいさせたような、ドライ寿司とか
コレハオニギリカナニカデスカ?と思うシャリでお腹いっぱいになる寿司とか

同じものを食べても、美味しい美味しいと喜ぶ人もいれば、
こんなひどいもの〜〜!と文句言う人もいた
だから、食べログのラッティングなどは全く信じない

真実を明らかにするのは罪なんだ!と思えるくらい非日常はたくさんあった

添乗の仕事をしていて、何かを評価するというより、全てを受け入れる、ということの方が、スムーズに時間は流れる
お前のようなのがいるから、質が下がるんだ!と怒られそうだが
そこに引っかかっていると、時間が止まる 仕事が進まない
多少引っ掛かりながらも、私自身が常に進化をしながら前に進みきる忍耐力がサービス業には必要なのだ
生ゴミを栄養たっぷりの腐葉土に変えるくらいの進化力!
ひっかっかる人には、沢山の人と出会ってしまうサービス業は無理かもしれない

何が言いたいのかというと
価値のスケールはとてつもなく広く、どっちがプラスでどっちがマイナスということもなく、自分がどこにマークしたいかで
自分の価値観を磨いていくのは、幅の広い実体験をしていくのがいいのだろう
ということ
幅広いスケールを持った上で、「これじゃなきゃイ・ヤ・ダー!」というものがあると洗練されてくる感が出てくるのではないか?
たまに妥協した時の、敗北感・・チコちゃんに叱られそうだ

「これじゃなきゃイ・ヤ・ダー!」という”こだわり野郎”は
すごく魅力的なのだ 
あくまでも、私にとって!ですが




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