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音と音の間にある「歌」が届く時

歌うように楽器を奏でる。
音と音の間にある音、弦楽器なら誰でも出せる。
けど、音と音の間にある「歌」は誰にでも出せるわけではなく、それが奏者の感性や思いになるのだろう。
それがリスナーに届いた時が「歌」になった瞬間なのではないかと思う。
二胡は女性の声に似ていると言われているのだけど、弦が2本しかないため音が弦の上で縦に展開する。弦の上を滑るように上に下に移動する。
音と音の間にある「歌」。
声や思いを表現できるのが弦楽器の素敵なところなんだけど、二胡という楽器は特に得意なのではないかなと思う。

友人の誘いで参加したオンラインランチ会。その時に参加されていた方の曲
二胡に合いそうな曲なので弾いてみてください!と聞かせてくださった。
シンプルなんだけど、耳に残る綺麗で素直なメロディー
mokko AIRCLOUDさんの曲です。

こう歌いたいはあるんだけど、それが曲の中に響いてくるには少し時間がかかる。
出したい歌い方のイメージの音が頭の中で鳴る。
それに近づくにはどうやって弾いたらいいかなと何度も試して、録音する。
リスナーとしての耳になるには、やはり録音することが大切だと思う。

自分の耳で聞く音と、リスナーとして聞く音は全く違うものに聞こえるから

自分の中から溢れるだけになったら、奏者として一人前なのだろうな
しかしながら、道のりはまだまだ遠い様子

その道を走ったり、止まったり、歩いたりしながら 味わっていこうと思う。

徒然草のこんなくだり
「芸事をしようとする人は、「習っていることを人に言わず、上手になってから披露しよう」と言うけれども、こういう人は一芸さえも身につけることができない。
未熟なうちから上手な人たちの中に混じり、笑われてもやり過ごし、正しく、我流に陥らず、稽古を続けていく。
そうやって年数を経れば、周囲にも名人と認められ、その道の第一人者になるものだ。」

笑われてもやり過ごし、正しく、我流に陥らず、稽古を続けていく。

今までの全てに出会いに感謝している。
昨年離れてしまったけど、私の耳に流れるのはやはりウェイウェイ先生の音。
素晴らしい技術の高い奏者は沢山いるんだけど、先生の歌は先生だけの歌になる。


先生ならどうやって奏でるだろう といつも想像している。
そんな時間が愛おしい。


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