テレビアニメーション 設定制作のこと(原作とは無関係)その2

1992年、タツノコプロは本社はJR国分寺駅前に自社ビルを構えていたが、制作現場は西武線で国分寺駅から二駅北上した鷹の台にスタジオがあり。

その年の一月から放映していたテッカマンブレードは、その鷹の台スタジオで制作されていた。

転職初日は確か鷹の台のスタジオに連れて行かれたと思う。

そこには、数ヶ月前に働いていたアニメスタジオが潰れたという制作進行の方が、今回初制作デスクということで座っていて、僕を迎えてくれた。

背の高い彼は、「堀川です」と名乗り、「部下ができて嬉しい」みたいなことを言われたような気がする。後のPAワークス社長だが、当時はまだお互いそんな未来が来るとは、全く予感していなかった。

僕はラジオのディレクター、ミキサーという前職だったので、この転職に当たってタツノコプロからは「新作アニメ無責任艦長タイラーの設定制作で」という話だった。

設定制作って何?

その頃のタツノコプロ側の説明では設定制作とは、

「脚本や絵コンテを読んで、その話数に必要な設定のメニュー出しと、設定デザイナー(キャラクターデザイナー、メカニックデザイナー、美術デザイナー)への発注と追っかけ」

ということだったので、目の前の堀川さんが「部下ができて嬉しい」と言うのが、「ん?どういうことなんだろう」と僕は思った。

1992年当時は、設定制作という部署を重要性を持って構えていたのはサンライズだけだったような気がする。

とにかくメインスタッフに紹介されるということになり、鷹の台のスタジオから、「白馬スタジオ」という場所に連れて行かれた。

白馬といっても、ビルの名前が白馬ビルなだけで、場所は国分寺駅前のタツノコ本社の斜め前にある雑居ビルだった。

つづく

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