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あんぱんは好きだけど

おいしいあんぱんを食べた。あんぱんはよく粒あん派かこし餡派かが議論になるが、僕はどちらも好きである。どうしてもどちらかを言わないと興醒めするような場面では一応こし餡と答えるようにしているが、それもただなんとなくで、別に明日から粒あんと答えることになっても何の問題もない。

ただ、薄皮のあんぱんがやたらと持て囃される風潮に対しては疑問を感じている。あんぱんというのは、あんことパンを合わせて味わうのが美味しい食べ物のはずなのに、なぜあんこが多ければ多いほどいい、みたいなノリになってしまっているのか。コブクロがほとんど黒田氏しか歌わなくなったとして、それを喜ぶような奴はコブクロファンとは言えないのではないか。黒田氏があんこに相当するのかは置いておいて。

なぜそんな状況が生じてしまっているのか。考えるに、極端にあんこが少ないあんぱんを食べたときにガッカリ感を感じることから、じゃあその逆に行けば行くほど嬉しいはずだ、という単純な発想が始まりではないかと予想できる。そうやって、本来あるべき「あんぱん」という食べ物のベストバランスを通り越して、思考停止した状態で勝手に話が進んでしまっているのではないか。運転手不在の薄皮あんぱんバスの暴走を誰も止めることができなくなっているのだ。キアヌを、キアヌ・リーブスを呼んでこい。

繰り返すが僕はあんぱんが好きである。好きなのだが、とにかく薄皮あんぱんの評価のされ方だけは本当に納得がいかないのだ。百歩譲って「薄皮あんぱん」という商品があってもいいが、皮が薄いことを誇らしげにしているような雰囲気があるのは絶対におかしいと思う。虫の居所が悪いときだったら、「ならもうあんこ玉食ってろよ!バーカ!うめーうめーって、あんこ玉をよ!バーカ!バーカ!」くらいのことは思う。仕方ない。虫の居所が悪いんだから。別にいいでしょ。思うだけだし。

特に虫の居所が悪くないときであれば、「だったらあんこ玉食べればよくない?笑 別にいいけど笑」くらいで収めることができる。

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