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海外旅行800円

接客が20点のカフェでスコーンを注文した。僕なんかが偉そうに接客を採点するのも申し訳ないのだが、それにしたって20点だった。こっちが話しかけても無反応を貫く姿勢は、敢えて具を何も入れていない千円超えのラーメン屋などではむしろ効果的なのかもしれない。しかし、商業施設の中の、開放的な南国リゾート風の雰囲気を演出したカフェにおいては、ただただ不可思議なだけだ。申し訳ないが20点とさせていただく。

トリッキーな接客に心を乱され軽くパニックに陥った僕は、普段は絶対頼まないスコーンのセットを注文してしまった。「今日のスコーン」と書いてあるが、日々の違いを楽しめるほど普段からスコーンを食べていないし、なぜ注文したのか自分でもわからない。スコーンを注文したというよりも、スコーンを注文させられた感覚である。もしかしたら僕は店員の術中にはまっているのかもしれない。

席に座り、南国ムードの演出に一役買っている作り物の草花を眺めながらぼんやりしていると、突然フロア中に声が響いた。

「スコーンセットをご注文のお客様ーーーーーーー!!!!!!!」

思わず体がビクつく。心臓がドキドキしている。どうやら店員が僕を呼んだようだ。さっきまで必要最低限以下の発声に抑えていたのと同じ人とは思えない声量である。敢えて声を小さくすることで聞き手を集中させておいて急に驚かす、怪談話の語り手と同じテクニックだ。おかげで自分が「スコーンセット注文者」だということを強烈に自覚させられた僕は、急いで品物を受け取りに向かった。

店員は無言でスコーンセットを手渡してきた。先ほどの大声の余韻など微塵も感じさせない。本当にこの人がさっきの声を出したのか?あれは幻聴だったのではないか?と、少し不安になる。声を出すときと出さないときの基準はどこにあるのだろうか。気になる。店員のミステリアスさが少し魅力的に思えてきた。彼はきっとモテる。

スコーンは、プレーンとチョコが一個ずつ皿に乗せられていた。ホイップクリームとジャムが添えてある。これが「今日のスコーン」なのだろうが、昨日のスコーンを知らないので何とも言えない。付属のフォークとナイフを使って食べようとすると、フォークを刺すそばから粉々に割れてしまい、ナイフの出る幕が全くなかった。理不尽だ。縁日の型抜きを思い出す。そういえばスコーンって死ぬほど食べにくいんだった…と、遠い記憶が蘇る。細かい破片を集めてフォークですくい口に運ぶと、「可もなく不可もなく」を水で練って焼き上げたような味がした。

人工的な南国ムードの中で、旨くも不味くもないスコーンをモソモソと食べる。視界には作り物の色鮮やかな草花。遠くカウンターでは店員が無表情で空を見つめている。一生曲名を知ることはないだろう陽気な音楽が薄く流れている。あらゆる要素が重なり合い、強烈に非日常を感じる。頭がくらくらする。しだいに、海外で歩き疲れてやむを得ず入ったカフェにいるような感じがしてきた。海外で歩き疲れてやむを得ずカフェに入った経験はないが、きっとこんな感じに違いない。

そうなってくると、この状況を取り巻くあれやこれやが急に好ましいものに思えてくる。作り物っぽいリゾート風味の内装も、全然喋らないのに人を呼ぶ時は急に大声を出す店員も、作曲者も覚えてないんじゃないかというくらい印象に残らない音楽も、これといった感想が浮かばない味のスコーンも、結局使わない方が食べやすかったフォークとナイフも、違いのわかる男が首をかしげそうな味のアイスコーヒーも、自分の部屋には置きたくない色合いの椅子も、やたらと多い段差も、全てが海外の妥協カフェ感を盛り上げてくれている。たかだか800円で海外旅行気分が味わえるなんて最高じゃないか。

さっき生意気にも接客に20点をつけたが、撤回させていただく。接客は100点だ。丁寧に対応されてしまっては、海外でやむを得ず入ったカフェのムードがぶち壊しである。あれくらいの愛想の無さがちょうどいい。急に大声を出してビクつかせてくれるのもいい。内装も、味も、全てが絶妙なバランスで、海外でやむを得ず入ったカフェの空気感を作り上げている。意図されていない分、より生々しいリアルさを感じることができる。行ったこともないのにそう思うのだから本物だ。

僕はコーヒーを飲み終えると、満足して席を立った。スコーンは少し残してしまった。去り際に店員が笑顔で礼を言ってくるのではないかと不安だったが、表情ひとつ変えず無言で直立していた。さすがだ。それでいい。最後まで完璧な接客である。ありがとう!

「え?」みたいな顔をされるのもアレなので、チップは渡さずに店を出た。


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