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小5以来、約12年ぶりに大阪の銭湯に行ってみたら、心も身体も温まった話

2023年12月8~9日。
僕は大阪ミニ旅行を敢行した。

旅の最大目的は、12/9・10に池田市で行われた「第15回社会人落語日本一決定戦」の予選を観に行くことだった。

なぜ予選だけなのかって?しょうがないじゃない、決勝が行われる10日は「第37回青島太平洋マラソン」のフルマラソンの部にエントリーしちゃってたんだもの。人生初マラソンだったんだもの。とはいえ、9日の朝に宮崎を発ち、その日のうちに宮崎にトンボ返りするのはあまりにせわしないということで、前日(8日)から大阪入り。これまた人生初の「天満天神繁昌亭」へと出かけたり、お隣の大阪天満宮をのぞいたりして、その日の夜には大学落研時代の友人とも合流し、短くも濃い大阪旅をこれでもかと満喫。

上方落語の定席寄席、天満天神繁昌亭
繁昌亭のすぐ横にある大阪天満宮

それらについてはまた近々書くとして、今回は旅の最終盤で贈られた温かいお話について。

大阪と僕

まずは、「あたためるとより一層美味しく召し上がれる」コンビニおにぎりを見習って、より一層読んでお楽しみいただくために大阪と僕の関係性についてザックリと説明しておこう。
すでにご存じの方も一定数おられるだろうが、僕は転勤族の家庭で育ったため、大阪には厳密に言うと2回住んだことがあるのだ。

1回目は生まれてから2歳ごろまで。
2回目は、小3~小5まで。西暦で言うと、2008年4月~2011年3月までだ。
いずれも阪急宝塚線の駅が最寄りで、豊中市内に住んでいた。住んでいた場所は1、2回目で異なるが、頑張れば自転車で行き来できるような位置関係であった。

1回目の時はあまりに幼く、ほとんど覚えていない。
2回目は、期せずして小学校6年間で一番長く在籍した場所になったということもあり、非常に数多くの思い出が生まれた場所として、はっきりと脳裏に刻まれている。そのおかげか、第2言語である関西弁もこの3年でしっかりとマスターできた。

通っていた小学校は中豊島小学校。これで「なかてしま」と読ませる。豊島が「てしま」なのだ。東京だと「としま」だが、西の方だと「てしま」読みが一般的なのかもしれない。

家は小学校西門から徒歩2分。超近い。だからいつもギリギリだった。近い方が遅く行くようになるものなのだと思う。

学校外では、履正スイミングスクールや公文式服部本町教室(当時)に通い、それらがない日は豊島公園か×〇(バツマル;近くの公園の俗称)か、T君の家か、団地的なマンションの敷地、時期によっては近所の田んぼに行ってひたすら遊んでいた。一応言っておくが、平成の大阪での話だ。

同級生の実家がなんと…!

そんなわんぱくな生活を送っていた中豊島小学校時代。
クラスメイトのみならず、学校中、いや地域住民の誰もが愛してやまない場所があった。

それが「たこ湯」だ。

たこ湯外観

たこ湯。
たこ焼き屋であり、銭湯屋さんでもある。

そこは、中豊島小学校のクラスメイト・H君の実家だった。
転校してきて間もないころ、友人に連れて行ってもらったのが初めてだった気がする。お小遣いで小腹を満たせるメニューがそろっており、放課後の小学生たちのいいたまり場だったのだ。いつ行っても必ず誰か知り合いに会ったものだ(笑)

僕は、父と休日に行くことが多かったように思うが、毎回誰かしらと遭遇したし、毎回H君のお母さんは「お!フジエカイセイ君やんか!」と飽きもせず必ずフルネームで呼んでくれた。そう、一番最初からフルネーム呼びだった。あの人のことを大阪のおばちゃんと呼ばないで、誰のことを大阪のおばちゃんと呼ぶのだろうか!

そしてほとんど毎回、たこ焼きを1,2個おまけしてくれた。
そのたこ焼きがうまいのなんのって!
実際、こんなことがあった。

僕らが小学3年生だった時、テレビ番組の企画か何かで、「たこ焼きが大好きなエジプト人女性が、たこを食べる文化がない母国でたこ焼き屋を開くために修行をしたい」とのことで、大阪中心部にある某有名店に住み込みでの修行を申し込んだ。しかし、住み込みという条件では無理と言い渡され、代わりにそこの店員さんから紹介されたのがたこ湯だったのだ。もう名前は忘れてしまったが、その女性はたこ湯で住み込みで働き、修行期間にわが3年2組にも交流といった形で来られた。それほどまでにたこ焼きの旨さにも定評があるお店なのだ。

H君とのお別れはたこ湯とのお別れを意味した。僕は本当にたこ湯のたこ焼きが最高だと思っていたから、北海道に引っ越してしばらくは意図的にたこ焼きを口にしなかった。

約12年ぶりに懐かしのたこ湯へ

さぁ、時は2023年12月9日午後5時前。
僕は9日の19:50伊丹空港発の便で宮崎へ戻る予定だった。
預ける手荷物もないし、18:30~50に空港に着いていればいいやという心づもりで行動していた。
池田市での「社会人落語日本一決定戦」の予選が終わり、池田駅近くの本屋さんに立ち寄ったのちにたこ湯へ行くことにした。

いや、嘘だ。
とっくのとうに、たこ湯へ行くことは決めていた。
僕ははるか遠く、宮崎県の山奥、日本三大秘境・椎葉村の自宅からわざわざこのためだけにバスタオルを持参していた。

自分でも笑ってしまうほどの用意周到さだ。
だが、全く何の事情も知らなければ、思い入れもない落研時代の友人も一緒なわけで、その友人の許可を得たうえでのこととは思っていた。

晴れてその友人の許可が下り(彼は大阪初上陸だった!なんとディープな大阪旅だろうか)、阪急宝塚線曽根駅で下車した。曽根駅はかつての最寄りではなかったものの、生活圏内でよく利用した駅だった。ダイエーがまだイオンに駆逐されずに看板を掲げていることに勇気をもらい、ブックファーストが当たり前のように存在し、スーパーマーケット光洋も健在で、ミスドもお変わりないご様子であることに感動すら覚えた。少し歩いていくと、僕が初めてプロの落語を観たホールが増改築されて存在感を増していたが、ちゃんとそこにあった。小学生の足だと長かった下り坂もあっという間で、なつかしさのオンパレードに浸っているうちに、とうとうたこ湯が見えてきた。

事前に今も存在しているのか、行く日に営業しているのかを確認するためにウェブサイトは見ていた。だが、実際に目の前に現れるとやはり特別な感情が込み上げる。

土曜日の夕方。当時の記憶から言っても、常識的に考えても混んでいる時間帯。案の定、店の前の駐車場はほとんど埋まっていた。

店内に足を踏み入れようとした瞬間、僕の目に飛び込んできたのは番台に座るどこか見覚えのある顔だった。
思わず、隣にいた落研の友人に言った。
「あれ、H君かもしれへん」

さすがにいきなりは声をかけられなかった。確信は持てなかったのだ。
まずは一般客を装って、普通に券売機で大人520円の券を購入した。
友人もそれに倣う。
そして一般客を装って、券を渡した。
友人もそれに倣う。
さすがにバスタオルを持ってきていなかった友人は、貸バスタオル代も払った。
一歩後退する。
予想通り、次から次へとお客さんがやってくる。

お客さんが切れた。
今だ。

「あの~つかぬことをお伺いしますが、私2010年ごろまで中豊島小学校に通っていたフジエと申しますが…」
「…」でなんと続けたか覚えていない。でも向こうの気づきが早かった。

「、、、フジエか??フジエカイセイか???なんではよ言わんねん!」
「覚えてる?Hやんな、覚えてんの?」
「びっくりしたぁ!覚えてるがな~いやぁびっくりした。変わってへんなぁ、あ写真、写真撮ろか」

番台前にてH君と。撮影は落研時代の友人。

写真を撮りながらも
「あれ、北海道行ったんちゃうの?」
「せやで、あのあと北海道行って、ほんで今は宮崎に住んでんねん」
「そうか、で、宮崎で何してんの?」
「図書館で図書館司書として働いとる」
「なんやお前らしいな」
俺らしいんや、と内心思ったけどそれは言わずにいると、奥からH君のオトンが現れる。
「おとうちゃん、おとうちゃん、フジエや!フジエカイセイや!覚えとるか?」
「ん?おー覚えてる覚えてる!たしか北海道かどっか行くって言ってた」
「はい、そうです、ご無沙汰してます(なんで覚えててくれてんねん!)」
「いやぁ~もうすっかりおっちゃんになってしもたけど(笑)カイセイ、変わらんな」
「いやいや、ありがとうございます!」
そうこうしていたら、奥からH君のオカン登場。
「おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん!フジエや、フジエカイセイやで覚えてるか!」
「おぉ~カイセイ覚えてるで久しぶりやん、全然変わってへんな~もういっぺん中学入りなおすか?」
「いや中学は勘弁してくださいよ(笑)てか、覚えててくれてるんですか?めっちゃ嬉しいです」
「そりゃ、もううちがHでフやろ?」
「あぁ、名前の順的にですか?」
「いや、名前の順とかちゃうねん、覚えてんねん。だいたい小学生の時の人の名前はみんな覚えとるよ。せやけど、たいていみんなオッサン臭くなるのに変わらんなぁホンマ」

もうこれはキング・オブ・変わらんをもらってもえんちゃうかと思うと同時に、商売人の魂を見せつけられた気分になり、そして何より泣きたくなるくらい嬉しかった。H君だけならまだしも、そのオトンもオカンもはっきりと覚えててくれていたのだ。それもそこにいるのが当たり前かのように。決してオーバーなリアクションなどなかった。ただただありがたい。

「で、今どこおるん?北海道行ったんやんな?」
「今は宮崎にいてます」
「宮崎、てことは仙台か。あれ、宮崎ってどこや」
この時ばかりは〈宮崎宮城ちゃんと覚えろや論争〉など気にもならなかった。
「宮崎、九州です」
「九州か、ええな~うまいもんたくさんあるしな」
「そうですね」
「そうかそうか、写真撮った?」
H君「撮った撮った」
「ほな、ゆっくり入っといで」

いやぁ~もう感無量やった。
湯船に浸かる前からポカポカしてたまらんかった。
これぞたこ湯という歓待を受け、なつかしの風呂場へ。

もうすべてが懐かしい。
脱衣所の一つ一つさえ懐かしい。ケロリンの桶、向きだけ変えられる固定されたシャワーヘッド、お湯と水の蛇口の色、ちょっと熱めの湯舟、電気風呂、露天風呂、水素風呂などすべてが懐かしかった。

しっかりと身体を温め、店の方へと戻り、しばらくすると
「カイセイ!」
とH君のおとうちゃん(子どもの頃の感覚で言うとおっちゃん)から呼ばれた。
何事かと思って駆け付けると、
「これ食べや」と言って、僕と僕の落研時代の友人2人分のたこ焼きを用意してくれているではないか!
「え、ええんですかこれ?」
「うん食べや、マヨネーズそこあるから」

サービスしてもらったたこ焼き

泣いていいですかホンマに。
ここ数年で確実に一番心があたたまった。人生でも有数だろう。
「カイセイ」呼びも嬉しかった。ご厚意をありがたく受け取り、大好きなあのたこ焼きを頬張った。知っているあの味だった。王道のたこ焼き。
こんなんなんぼあってもええですからね、とはこのことやと思う。

帰り際、もう一度H君に会いたかったが、もうおらんとのこと。写真を撮るだけ撮ってもらって、渡してもらってなかったので、名刺にLINEの連絡先を書いて「おとうちゃん」に渡してきた。

「ありがとうございました、ごちそうさまです!失礼します」
「おう、またな!」

この別れ際のサラッとした感じがまた嬉しい。すぐそこに住んでてまたすぐ来れるやろ?と言わんばかりの声かけなのだ。何回泣かせにかかんねん、もうアカンってホンマに。

たこ湯を出て、服部天神駅を目指して歩いた。かつての最寄り駅である。友人は新幹線に乗るために梅田へ、僕は飛行機に乗るために蛍池へ。服部で別れた。
あたりを見回すと、パチンコ服部会館が相変わらず煌々と輝いていた。

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今回の大阪旅で分かったことがある。
僕は間違いなく豊中っ子であり、豊中出身であるということ。
これからも便宜上札幌出身とか北海道出身というだろうけど、心のふるさとは豊中です。

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