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大学生活を振り返る②~これから大学生になるあなたへ

もう新年度だというのに、いつまで後ろ髪を引かれているんだとお叱りを受けるかもしれない。だが、前半を書いといて後半を書かないなんていうのはなんとも不誠実ではないか。それにまとめておきたいのだ。もうしばしお付き合いを。

前半の記事はこちら。

コロナ禍の大学生活(大学3年)

もう正直なところ、記憶が混濁していてどれがどの年の話か怪しい部分もある。

大学3年の春は1ヶ月くらいはキャンパスに行けた記憶がある。久しぶりに会う人もいて、なんだか新鮮だった。でも、喜んだのもつかの間、すぐにオンライン中心の生活に逆戻りした。

3年ともなればインターンに精を出す人も増える時期だが、僕は特にその予定はなく日々を淡々とこなしていた。

ゼミも始まったが、オンラインでの輪読をメインでやりながら、4年生と合同でのゲストトークがあったり、限定的なフィールドワークが行われたりした。元々の知り合いがあまりいなかったこともあって、すごく打ち解けられるというようなことはなかった。

3年の夏休みの記憶はほとんどない。ということは特に何もしなかったのだと思う。塾講バイトの夏期講習と、ワクチン接種1回目をしたくらいだろうか。…ホントか?もう少し何かした気がする。オンラインでのイベント参加とか、そんな程度だったのかもしれない。

当初は9月の2週間で図書館実習を行う予定だった。その場所として、僕は陸前高田を希望していた。大学1年時に、NPO法人SETが手掛ける大学生向けまちづくり(?)プログラム(通称CMSP)に参加し、一週間、陸前高田市広田町に滞在した経験があったのだ。そのご縁があったため、ぜひとも地方の図書館というものを感じたかったこともあって陸前高田市立図書館を希望した。

希望自体は通った。だが、コロナの感染状況に翻弄されることになる。緊急事態宣言が出されたり、各自治体の政策的にも県外利用者の制限などが行われたりし、結局9月は見送ることとなった。

その後も予断を許さぬ状況は続いたが、先生とも相談し、11月上旬に行くことにした。当初の2週間から半減の1週間であった。行けただけ感謝である。それに非常に中身の濃い時間を過ごすことが出来た。この時の経験をまとめた文章は、立教の機関リポジトリなどからアクセスできるはずなので、興味のある方は参照して欲しい。

このタイミングで陸前高田でのさらなる活動をする芽が生まれていた。ちょうどその頃陸前高田イタルトコロ大学なる取り組みが始まっており、そこのコミュニティに投げられた町の方が抱く高田の課題に対し、何か出来るのではと手を挙げたのだった。滞在中には町の方と直接会って話したり、今後の計画を立てたりした。その実施を3月にしようとしていたが、またもやコロナに阻まれ、結果4年の飛躍へと繋がることになる。

図書館実習の直前、10月末には新潟県の大地の芸術祭にゼミ合宿で訪問した。初めての新潟県であり、初めての大地の芸術祭だった。地域とアートの融合に感嘆しっぱなしだった。また行きたいと切に願っている。

実習の帰りには気仙沼へ寄った。もちろん、『おかえりモネ』の影響だ。あのドラマはすごく丁寧な心情描写が多く、同世代が主人公でもあり、すごく共感できるとともに身体に深く入り込むストーリーだった。名作だと僕は勝手に思っている。そういうわけで短い滞在時間だったが、気仙沼でモネ展を堪能し、JRで帰っていったわけだ。行く前にはまさかピカチュウに悩まされることになるとは思いもしなかった。

3年の秋学期もそこそこ授業は取っていた。だが、オンラインのものも引き続きあったし、課題自体をこなす時間は陸前高田でもあったので、そこまで実習による影響は出なかった。おかげで、気がつけば俗に言う「三卒」を達成し、4年生の1年間は単位的にはボーナスステージとなったのだった。

この頃もバイトは継続して行い、ライターの仕事も行っていた。落研のラジオもまだ隔週担当交代制でやっていた。正直言って僕は、図書館実習が11月になったことで、インターンに行くことを諦めた。11月末締め切りというのが多かったのだ。ただエントリーすればいいという訳じゃない。いろいろと書類を書いたり、動画を提出したりなどしなければならなかった。一応マイナビだかなんだか忘れたが、その手のサイトに個人情報を提供してあげて、気になる企業をお気に入り登録するなどまではした。が、そこから先は付け焼き刃でやってもどうなんだと考えて、一切やらなかった。これが正しい姿とは到底言えないだろう。だが、それだけが正解というわけでもない。ここで中途半端にしないで、スパッと切ったのはそれはそれで良かったのだと思っている。

春休みは就活本格スタートのタイミングだ。いわゆる3月解禁ってやつ。3月に陸前高田でのイベント開催は叶わなかったが、それは都道府県を越えることへの牽制が大きく、外出自体をひどく忌み嫌うものではなかったと思っている。だから、高田へ行けなかった代わりと言ってはなんだが、あちこち行った。外出行為への罪悪感を覚えなかったので、遠慮なく出掛けていた。ちゃんと個人でできる感染対策は取った上での態度である。

近場では小田原城に日帰りで行ったり、岐阜の帰りに名古屋に寄って名古屋城へ行ったり。友人と新宿から羽田空港まで歩いてみたり(ちなみに、その友人とは過去に歩いて山手線一周も行った)。極めつけは、九州旅行だろう。新庄ビッグボス率いるファイターズとの開幕戦をどうしても福岡で見たかった。一応(?)ハムファンの後輩とともに福岡へ乗り込んだ。試合観戦を堪能した翌日は太宰府へ。そこで後輩とは別れて、まずかつて住んでいた姪浜をブラタモリ。感傷に浸りながら、新幹線で鹿児島へ向かう。おばと合流して鹿児島市内を観光。薩摩藩の偉大さを肌で感じた。その後福岡へ戻って、飛行機で帰ればよいものを、新幹線で東京へ戻った。大人しく戻ればよいのに、大阪で下車して中心部をブラブラ。「子ども本の森中之島」の一般見学が可能な日にたまたま重なったので、じっくりと見学もした。そして、ようやく夜に東京へと戻ったのだった。この時の旅で、旅の予定を詰め込んでも問題ないという感覚を覚えてしまったらしい。2023年の2月、3月にまた同じようなことをするのである。

そんな、就活とは無縁の3月を過ごして3年生が終わり、4年生へと向かっていったのである。

またもや長くなってきたので、大学4年はさらに次回に回そう。新年度のこともどんどん書いていきたいから、連日投稿しないと間に合わないかもしれない(笑)まあ、ゆるくやらせてもらおう。

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