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041 四月十二日、災害ボランティアに輪島へ

 タイトル画像は今回使ったマイヘルメットです。前回までの二回は現地で借りたヘルメットで作業してたけどネットで調べたらそんなに高くなく、ならば自分用にと近所のワークマンで買いました。
 さて一昨日、前回のテント村プロジェクトの七尾ボランティアに行く前から計画してた、輪島の災害ボランティアに行ってきました。私と輪島、地震前に結んだ縁は前にも云った通り、昨年暮れの君ソムの聖地巡礼バスツアーで買った輪島塗の箸だけ。それでも輪島塗は歴史ある伝統工芸とバスツアーの折に改めて知ったので、古民家がつぶれている写真を見たこともあり、心配していたのです。
 しかし現地に行ってみると被災状況は七尾だろうと輪島だろうとあまり関係なく、無事と破壊という明暗が別れた状況でした。しかし今回、私が入った班は結局4軒の民家で作業したけど、いずれも外観は無事なようでした。ということはボラバス、あるいは班ごとのワゴン車から眺める民家やビルも、相応の地震の被害に遭ったと憶測するのです。
 しかし今回の衝撃は二件目に行くルートで遭遇した二つのビル。拠点である西松屋の駐車場から見掛けた、露骨に傾いだ会社のビルさえ衝撃なのに、その先には基礎が折れて横倒しになったビル、確か六階建てぐらいだった。多分元日だから従業員の死傷者はなかったと推察できるけど、それでどんなドラマがあったかと妄想すると軽く暗くなる。
 さて今回の輪島でのボランティア、時間割を見るとその日に帰るのは無理と判断し、ゲストハウスで前泊も含めて二泊する計画にしました。しかし金沢発が6:45なので5:30分起きとなり、ボラバス内で眠っていました。
 そして途中トイレ休憩を挟んで到着した現地、実は屋根のある集会場でなかったのです。西松屋の駐車場を間借りして輪島ボランティアの連絡所としてたのです。そしてオリエンテーションも駐車場に着いたボラバスの中でした。七尾市と比べると悲哀さを察し、復旧のスピードの差もむべなるかな、と合点がいきました。
 そして具体的な作業ですが、輪島だからと言って災害ボランティアとしては特異な作業はなかったです。ただごみの分別は七尾市ほど厳しくないようで、その場でブロック塀や瓦をごみ袋に入れてました。
 今回は四件行ったのに一件目や三件目は結構忘れてる。四件目はすぐ作業が終わったから印象がないのですが、二件目の印象があまりにも大きかったからで。
 私自身が直接伺ったわけではないのですが、一緒に作業した他のボランティアの人からの情報から輪島塗の人らしく。商売道具を二階から一階に降ろしてもらうことが「輪島 塗太郎」の代表、中宮春男さんがボランティアにお願いしたかったことで、工房を再開する絶対条件だったようなのです。その懸念が払拭され、俄然やる気を出されて意気軒昂になられたと見受けられました。私も「頑張ってください」と激励の言葉をかけました。
 この塗太郎にはもう一つ、斜めに倒れたブロック塀という問題がありました。それを叩き割って欲しいというお願いだったのですが、鉄筋が通っているのでかなり難事業のようでした。私が前回、七尾での二回目のボランティアで振り下ろしたハンマーよりもさらに重くても何回も叩きつけてやっと割れる程度。
 昼休みを挟んでの仕切り直し、私は振り下ろす罹りでなく残骸を袋詰めする係だったのですが、鉄筋を切る道具を活用したこともあり、私が想像したよりも早くブロック塀の粉砕が完了しました。もちろん重いものを振り下ろすので一人だけがずっと作業できるわけでなく、私以外の人が交代でやっていましたが。
 三件目は確か、落ちて砕けた屋根瓦の袋詰め。さらに三件目、二階の家具を一階の階段口で受け取り、外の収集場所に運ぶ作業もしました。会談があるから一段ずつ気をつけて降り、無事に役目を果たせた格好。今回もどうにかこうにか怪我がなく、ボランティア保険を使わなくて済みました。
 また今回特記すべきこととして、一回目の七尾のボランティアで一緒に作業した方とご一緒に作業できたことです。一回目の時も親切に、私に作業できるよう慮ってくれた方です。だから同じ日になったのは偶然でも、私を見かけて、その列に並んでくれたのかも知れません。
 何はともあれ今回の輪島はガッツリ災害ボランティアに参加し、個人的に満足した回でした。しかしゲストハウス、睡眠が浅かったので連日の参加には向いていないと分かりました。
 以下は「輪島 塗太郎」のサイトです。

(大塩高志)

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