たのしんだもん勝ち 中学生編

ひとつ前に書いた拙い文章の羅列は、
眠れなかった夜中に書き起こした。
そんなものだったのだけれど、
予想よりもたくさんの方に読んでいただけて、
続きが気になると言ってくださる方もいて
正直驚いています。 
本当にありがとうございます。

............
さてさて、前回も話したように、
私は小学4年〜6年まで
地元の野球チームに入団し、
男子に混ざって野球をしていた。
平日は学校に行き、土日は野球をする。
そんな2年間を過ごしていたものだから
野球と私を切り取った生活を
私は考えることができなかった。

ダイエット目的で祖父に勧められた野球は、
いつしかとても大好きなスポーツに代わっていて
私の取り柄は野球だ。
野球のためなら努力はいくらでもする。
好きな事に対する努力なんて努力ではない。
と、本気で思っていた。

ただ、どんな物事にも終わりはある。
野球チームの終わりは小学校の卒業と同時。

私に迫られた選択は2つ。
一つ目、地元の中学に通うこと。
二つ目、学区外の遠い中学に入学すること。

どちらの選択肢にも
メリットとデメリットはある。

前者のメリットは6年間ともに過ごした友達と
また、3年間楽しく過ごせるという事。

私には、保育園から
一緒に育ってきた幼馴染がいる。
その子と、6年間毎日一緒に登校していた。
お互いのことはわかっているし、 
話さなくても何を考えているのかわかる。
もはや、家族みたいな存在だ。

デメリットは、
2年間真剣に打ち込んできた野球を
やめなければいけないという事。
地元の中学の野球部に
所属するという手もあるが、
女子には公式戦出場資格がない。
男子と同じように練習し、努力をしても
それを、試したり生かせる場所は練習試合だけ。
それはそれはつまらない。

後者のメリットは
本気でソフトボールに取り組める。
それだけ。

デメリットは数え切れないほどある。
毎日、自転車で30分。
知っている人が誰ひとりいない。
市内で、そのような事例もない。

小学6年生にして初めて進路のことで
母と担任と、たくさんの大人と揉めた。
きっと、この時以上に揉めた事は
後にも先にも無いと思う。
1週間、2週間、1ヶ月。
いろんな大人たちと話し合い、揉めた。

そして、決断した。

私は、後者の道を選ぶことにした。
学区外の中学に通い、ソフトボールをする。
前例の無いことだと批判されればされるほど
なぜか燃えた。

この決断に対し、反対派が6割いや8割を
超えていたかもしれない。
市内にそのような事例がない上に、
1人の女の子がソフトボールをやりたいから
学区外の中学に入学する。という
とんでもない馬鹿げたわがままだから。

周りからは、すぐに辞めるさ。
毎日自転車で30分も通えるわけがない。
馬鹿な事を言ってないで 
地元の中学に通いなさい。
と、たくさんいろんな事を言われた。

しかし、私の性格上、あなたにはできない。と
言われると、は?やってやるよ。と
逆に燃えてしまう厄介な性格なので、
反対する人がいればいるほど、決意が固まる。

そして、あんなに反対していた母も
「あなたのやりたい事を応援する」と、
言ってくれて、区役所や、市長や、
いろんなところに行き、
お願いと手続きを進めてくれた。

ほぼ、母のおかげで私は
学区外の中学に通うことができた。
娘のわがままのために各所に頭を下げ、
事例のなかった事をやり遂げた母の愛には
頭が上がらない。 感謝しても仕切れない。

こうして、
念願のソフトボール部に入部する事ができた。

当時、3年生が10人、2年生が5人。

ソフトボールは、9人(10人)で行うスポーツ。
先輩が、15人もいる時点で
当然行われるのはポジション争い。

ただ、野球経験者の私からみたソフトボールは、
ボールは大きくてバットは太い。
塁間はめちゃくちゃ短い。
そして、外野までの距離が圧倒的に近い。
遠くに飛ばしさせすれば余裕で点が取れる。

正直、簡単すぎて面白かった。
チームとしても野球経験者の私を
試合に出した方が勝てる試合も増える。

そして、入部して1ヶ月もしないある時、
監督から「キャッチャーをやれ」と言われた。

野球時代は主にベンチ、たまに外野を守る程度。
キャッチャーなんて未経験でしかなかった。
チームの要であるキャッチャー。
ただ、野球経験者というだけでキャッチャーを
任されることになった。

が、このチームのキャッチャーを守っていたのは
その当時のキャプテンだった。
一年生の私が試合に出ることで
いままで試合に出ていた先輩が  
ひとりベンチに下がる事となる。
とても気まずかった。
が、部活は実力主義。
そんなこと言ってられない。

キャッチャーというポジションは
いわば、監督的ポジションだ。
ひとつひとつのプレーに対し、指示をする。
そんな要を、入学して1ヶ月もしない1年が
任された。

あの時は聞けなかったけど、
先輩たちはどう思っていたのだろう。
機会があれば聞いてみたいが、
少し怖い気もする。

一年にして、キャッチャーで4番。
そんな生意気な後輩嫌だよなぁ。

そして、私の人生を変えた1年の冬がくる。
初めて参加した県選抜試験。

県選抜メンバーに選出されたら
全国の選手と戦える。
自分を成長させるには最高の場所だ。
何週間にもわたって行われた選抜試験に
私は見事に合格した。

中学1年の冬、私は県の代表選手になった。
そこから意識とモチベーションが
ガラッと変わった。

今後の目標は推薦をとって高校に行くこと、
将来はソフトボール選手になり、
オリンピックに出場し、金メダルを獲る事。

これだけを目標に3年間頑張り続けた。

そして、中学3年。キャプテンに任命された。

いろんな大会に出ては、
打てないピッチャーはほぼいなかったし、
最優秀選手に選ばれる事も多かった。
キャプテン、4番キャッチャーという肩書きは
わたしの誇りでもあった。


後輩にはとても親しまれ、
たった1人で始めた朝練の前の自習練も
気付けばたくさんの後輩が参加していた。
チーム自体は強くなかったが、
後悔なく、3年間ソフトができた。

そして、自分の実力と運の強さと縁があり、
必ず県ベスト4に入っていると
言っても過言ではない私立高校から
スポーツ推薦をいただいた。
念願の推薦獲得だった。

ただその当時のわたしには
行きたい高校があった。
公立校だったがソフトボールを
一緒にやりたい。
この仲間となら
どんなに強い私立校でも倒せそう。
と、心から思わせてくれる仲間と
公立校に行きたかった。

が、私立高校が出してきた条件は、
授業料全額免除。母子家庭のわたしにとって
母を助けるという意味でもこの条件を
飲み込まない理由はなかった。

そして、私立高校に入学を決めた。

............
中学生編、ありがとうございました。
ここまで読んでくださる方がいるのならば
とても嬉しいです。

わたし的にはいろんな感情に流され、
たくさん考え悩み、頑張ったなと思える
とても濃い中学校3年間でした。
見る人によってはたいしたこたないじゃん。
と思われる方もいるかもしれません。

ただ、中1の時に県選抜にチャレンジし、
選ばれた事はわたしの中で
はじめて、努力って報われるんだ。
これからも頑張ろうと思った経験でもあり、
何事も周りの支えがないと
ダメなんだと思わせてくれました。

もう一つ。
わたしは、物持ちが良い方ではありませんが、
グローブだけはとても大事に大切にしました。
中学入学時に母から買ってもらった
ソフトボール用のグローブは
ぼろぼろになっても紐を変えたり、
磨いたりし続け、使い続けました。
そして、高校入学時にも  
それは買い換える事なく、
同じものを使い続けました。

グローブはとてもとても高いものです。
ソフトボールを続ける上で
グローブはなくてはならないものです。

泥だらけ靴下やユニフォームの洗濯、
日々のお弁当、遠征や合宿。

たくさんわがままを言ってお金を
出し続けてもらった分、
わたしができる最低限の行動は、
買ってもらったグローブを、
とことん使うこと。
それしか思い浮かばなかったです。

............
ここまで、ありがとうございました。
次は高校生編ですね。
正直、次が1番書くのにも心が辛いです。
文字に起こしながら
きっと目には涙が浮かぶでしょう。

もしまた、誰かに読んでいただけるなら
幸いです。

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