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家のこと

 父が他界したのが1989年、それから10年ほどかけて移住の準備をし、1999年に自宅が完成した。自分が33歳の時である。この頃、自分は成長し続けると感じていたし、景気も良くなり続けると本気で思っていた。渡辺篤史の建物探訪を録画したり、カーサブルータスなどを読みあさったり、リカルド・レゴレッタの講演を聴きに行ったり、ウシダ・フィンドレイの作品集を買ったり。建築家の方には20通り以上のアイデアを出していただいて、ようやく完成した自邸。
考えてみれば20世紀の出来事なのである。

建築家O氏の図面を友人T氏に3D化してもらった リビングとキッチン(1999)

 気に入って住み続けていた家も、25年の時間が過ぎて老朽化しつつある。震災があり、時代も変わって、自分の人生哲学も30代の頃とは違ったものになってしまった。人生経験をした分、より深く物事を観察できるようになったような気がするけど、その分、フットワークは鈍くなってしまった。
 2024年も気がつけば4月になってしまったが、今年は、還暦を2年後に控えた人生哲学に基づいて、住宅自体の見直しを徐々に進めていこうと思っている。無理のない範囲で!しか実現できないのだけれど。
 昨年の春に長男が進学してこの家を出て行った。次男と三男は、それまで三人分だった空間を2人で使えるようになり、この春休みに、自宅内での引っ越しを進めていた。
 30代の頃にカッコ良いと思って導入した木の窓枠は朽ちてしまったのでアルミに変えざるを得ない。タイルをあしらったキッチンやバスも、厄介者になってきてしまった。
 雨漏りがする箇所もある。

外観 この3Dモデルとほぼ変わらない自邸が完成した(1999)


 若かった頃の自分の感性が、今の自分を痛めつけている、というと言い過ぎだろうか。とは言っても、勿論、建物自体に罪があるわけではなく、自分の求める暮らし方を、より未来的なものにしたいのである。太陽光や蓄電池、電気自動車にはチャレンジしてみたものの、実のところ、家計的なお得感や地球への優しさは実感できていない。今から先の未来は、極端に言えば「原始時代に立ち返るようなセンス」が必要だと思うから、色々とアイデアを練っているところ。都市思考や再開発に対するカウンターのような発想が必要。この建物が、そんな未来を実現するための舞台として様変わりを果たせるのかどうか、やれることはやってみようと思っています。当然、プロの手も借りないといけないわけなのですが・・・

 これから家を建てる若い人にアドバイスがあるとすれば、ギリギリの哲学で設計してはいけない、25年後を見越した余白を沢山設けること、かな?
 幸い、この家にはいろんな意味で余白があるんです。

 そのうち、このNOTEで進捗状況をレポートしますね。

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